孫が、ハゼ釣り大会に父親と初参加して、16,5㎝を釣り上げて優勝しました。
嬉しそうにメタルをいただいて、表彰されたいる動画を息子に見せてもらいましたが、シャイな孫がしっかりと賞状を受け取っていました。
孫が、ハゼ釣り大会に父親と初参加して、16,5㎝を釣り上げて優勝しました。
嬉しそうにメタルをいただいて、表彰されたいる動画を息子に見せてもらいましたが、シャイな孫がしっかりと賞状を受け取っていました。
二男の所の下の孫が4歳の誕生日を迎えました。
今年、年中組になります。幼稚園にも慣れて楽しんでいるようです。
お絵かきが大好きで、誕生日のプレゼントにもらった「ポケモン図鑑」を見ながら早速お絵かきです。
バースデーケーキは、モンシェールに注文した「新幹線の🎂ケーキ」です。
人の一生は「小説よりも奇なり」とか言われることがありますが、身近に起こったドラマは、まさにその通りでした。
主人の死後、2年が経ったある日のこと、1通の書類が届きました。それには、主人の生母が100歳で尚且つ健在であると言うものでした。
主人は2歳で養子として、昭和18年にこの家に入り、養父・養母の元で愛情いっぱいに育てられていました。 しかし、養父とは10年後に死別。
母一人、子一人の生活が始まり、賢母を絵に描いたような姑(私から見れば)に厳しくまた温かく育てられていました。
その養母(姑)も亡くなり、我が家は息子二人と四人家族となりました。
平凡で幸せな日々が過ぎ、息子たちもそれぞれに家庭を持って、夫婦二人の穏やかな生活・・・・。
主人は趣味で始めた民謡の師範となり、津軽三味線と民謡を指導すると言う日々でしたが、健康そのものと思っていたのですが、異常な肝臓の数値の上がり具合のため、検査入院し、わずか12日間、あっという間に黄泉の国へと旅立ってしましました。古希を前にして69歳と言う若さでした。
生母のことは、施設の方から「100歳を過ぎて、いつどのようなことが起こるかわからないし、血縁と言う者はご主人しかいない」ので、「血縁である息子(孫)に今後のことを頼みたい」と言うことでした。 こちらとしては、寝耳に水の驚きでした。
息子たちは施設に出向き、「やっぱり、血は争えない、親父と目元がそっくり」だと言っていました。
そんなことがあり、誕生日とか折に触れ、衣類やお菓子を贈ることがありましたが、そう再々出向くことはありませんでした。
104歳になり、食事も進まなくなり、とうとう亡くなってしましました。
息子たちは葬儀に行き、遺骨を抱いて帰って来ました。葬儀の日は私は病院で検査の予約があり、参列は出来ませんでした。
主人の月命日と近かったので、ご住職にお願いして、読経を上げてもらい、いまは我が家で「遺骨」を預かっていますが、もうすぐ納骨となります。
先日「一心寺」さんへ出向いて納骨のお願いをしてまいりました。 これでご生母も安らかにお眠りのことでしょう。
離ればなれになっていたが、血縁でむすばれた者に見守られてあの世でごゆっくりとされることだと思い、お盆を迎える準備をしています。
合 掌
孫たちが、お母さんが買い物に行っている間、我が家でお留守番することに。
2歳の弟に小学1年生のお兄ちゃんが何だかだと言いながら、結構遊んでやっている。
近くにいる二男家族は毎日のようにやって来るが、長男の所の孫娘は離れているのと、もう大学生・・・。 看護師を目指して目下勉強中。
孫(6歳)が描いた「お雛様」です。
もうすぐ、幼稚園を卒園し、4月には小学校に入学します。 大好きな「妖怪ウォッチ」の段飾りが何とも言えない。
おだいりさまもあります