日々雑感

コロナ禍のなかで”みんなのために”の呼びかけへの違和感

コロナ禍の中で”みんなのために”マスクをしよう・予防接種をしよう・行動を考えようとの呼びかけが政府やマスコミなどより行われているが、これに大きな違和感を覚える。
理由はただ一つ、コロナ禍が始まるちょっと前まで世間の雰囲気は「自分の行動の結果は全て”自己責任”」だったではないかということ。

この”自己責任”という言葉は実際には既得権を多くもっている人たち(=比較的年配の人たち)が既得権をあまり持っていない人たち(=比較的若い人たち)を援助しない理由として使用されていたように思う。”自己責任”という言葉は若年層を突き放すための言葉になっていたのを若年層は感じていたように思う。それなのに、コロナが流行し始めたことで突然”みんなのために”と呼びかけられても、若い人たちはコロナで比較的重病化しにくいとされていることとも相まって、若年層が”そんなこと知らないよ”と感じてしまうのは致し方のないことのように思える。

コロナ禍が終わった後、世間が何を言い出すかが見ものである。コロナ禍が終わってしまえば、”みんなのために”という呼びかけは無くなってまた”自己責任”ということになるような気がする。



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