当学院の一室を使用して、小笠原流礼法を習っています。
三十代の頃、習ってみたいと思い
図書館に出向いていろんな本を調べてみたことがありました。
資料から「小笠原流礼法」とは
なんとも凝り固まって堅苦しい礼儀作法だという印象を持ち
こんな作法は到底習えないとアッサリ諦めてしまって二十年以上が経ちました。
勿体ないことをしましたが
縁があれば
やがて自然とつながるのですね。
この度ご縁あって
宗家本部理事・高等総師範の山本先生直々に
小笠原流礼法を習えるようになって何だか夢のようです。
習ってみて分かったことは
堅苦しい・・凝り固まっているような作法ではなく
すべてが流れる水の如くなめらかで
まったく無駄のない立ち振る舞い・・
それが美しい身のこなしにつながっています。
見惚れるほど自然で、何一つ不快感なく温かいのです。
礼法は、自分を美しく見せるためのものではありません。
相手を大切に思う心が基底になり
敬い
思いやり
配慮の心を形にして表現したものです。
そういった人を思いやる心遣いや気配りが
「美しい姿」として相手に映るのでしょうね。
写真は月謝袋です。センスの上にのせて納めます。
赤は魔除け、血潮、元気回復の意。白は穢れを祓います。素敵でしょう。
全ては「いついつまでも美しく生きる」ためです。
三十代の頃、習ってみたいと思い
図書館に出向いていろんな本を調べてみたことがありました。
資料から「小笠原流礼法」とは
なんとも凝り固まって堅苦しい礼儀作法だという印象を持ち
こんな作法は到底習えないとアッサリ諦めてしまって二十年以上が経ちました。
勿体ないことをしましたが
縁があれば
やがて自然とつながるのですね。
この度ご縁あって
宗家本部理事・高等総師範の山本先生直々に
小笠原流礼法を習えるようになって何だか夢のようです。
習ってみて分かったことは
堅苦しい・・凝り固まっているような作法ではなく
すべてが流れる水の如くなめらかで
まったく無駄のない立ち振る舞い・・
それが美しい身のこなしにつながっています。
見惚れるほど自然で、何一つ不快感なく温かいのです。
礼法は、自分を美しく見せるためのものではありません。
相手を大切に思う心が基底になり
敬い
思いやり
配慮の心を形にして表現したものです。
そういった人を思いやる心遣いや気配りが
「美しい姿」として相手に映るのでしょうね。
写真は月謝袋です。センスの上にのせて納めます。
赤は魔除け、血潮、元気回復の意。白は穢れを祓います。素敵でしょう。
全ては「いついつまでも美しく生きる」ためです。
粋で素敵ですね。
自分を美しくみせるためでなく
相手を敬い、思いやる心・・・
そんな心が
流れるような動作になってくるのでしょうね。
いい雰囲気でした。
そんなことを、できる子どもたちは、社会のなかで、立派に生きて行けるんだろなんて思います。
私も見習いといけないな
着物を着た 綺麗な方が
たけしや他のタレントさんを
指導していました。
今の時代 こういう礼法が
とても大事だと、大変印象に残り
しっかりみました。
一番 印象に残ったのは
千葉の高校生?が
授業で礼法を取り入れていて
とても お辞儀や身のこなしが
スムースで美しかったです。
大人になって必ず役にたつと思いました。
日本人としての品位がでて
素敵だなと思いました。
古い堅苦しいものだと思っていたのですが
そうではないのですね。
興味を持ちました。