イヨ、サラバ

一日一生〜胃なし生活の記録〜

ステーキ

2009年02月06日 | 検査&抗がん剤治療

‘ぼんこ’も元気になって今日から保育園に行った。
「お昼に食べよう!」と思ったものの
一人でステーキを食べに行くのは寂しいので
実家の父を誘い行ってきた。

父と二人で食事をするなんて何年ぶりかな。
最近はいつだったか覚えていないけれど
私が専門学校に行っていたとき
父が出張で東京に来て一緒に夕食を食べたのはよく覚えている。
新宿高野の2階で、私はビーフシチュー食べた。

と懐かしいことも思い出したりして
久しぶりに父とゆっくり話もできてよい一時を過ごせた。
食後のコーヒーもご馳走してもらったし。
これで胃がなくなる前に食べたいものBEST3制覇。

今日の一日一仕事:図書館、入院準備最終チェック

父と別れたあと図書館へ行って入院中読む本を借りた。
ふだんはゆっくり本を読む時間もないので
今回よい機会だと思ってちょっと楽しみ。

家へ帰って入院用品の最終確認。
まぁ忘れ物があれば旦那に持って来てもらうなり
売店で買うなりできるし、大丈夫だろう。

夕方‘ちょん’と昨日のひみつのアラシちゃんを見た。
今回はDAIGO、インパクト大。
夜は歌のおにいさん見ようかな。

胃にお別れ直前、我が家での最後の夕食はポトフ。
ホカホカになってゆっくり休もう。

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母への想い…

・病床の母

私は今のところ余命宣告をされたわけでもなく
病気が分かった当初はかなり落ち込んだものの
手術して胃を切除したら元気に回復するつもりでいる。
この状況ではまだ
亡くなった母の気持ちを理解することはできていない。

余命宣告される以前の気持ちは少なからず想像ができる。
母だって手術するまでは今の私と同じように
元気になって普段通りの生活に戻ろうと思っていたはず。
でも、もう治らないと知ったときの母の気持ちは
どれほどのものだったのだろうか。
これは本人以外には到底理解することができない。
いくら悲しみ、切なさ、辛さ、絶望などの感情を想像してみも
母と同じ状況にならない限り理解することは不可能だ。

そんなことを思うと苦しく切ない気持ちになる。
最後の数ヶ月、毎日病院に通い一緒の時を過ごしたけれど
私は母が望むような対応をできていただろうか。
もっと真剣に向き合えば良かったのではないだろうか。
後悔の気持ちばかりが膨らむ。

以前も書いたが
だからこそ『千の風になって』を聞くとほっとする。
母が風のように自由になっていてくれたら
鳥になって、星になって、私たちを見守っていてくれたら
そう信じたい。

いつの日か私にも最期のときがくる。
そのとき私は初めて
母の思いを知り、心穏やかになれるのかもしれない。

・母の思い出

‘ぼんこ’に童謡を歌ってあげる。
母親であれば誰でもするごく普通のこと。
歌に限らず娘たちに何かしてあげるとき
小さい頃母が私にしてくれたことを思い出す。

保育園に行きたくなくてお腹が痛くなる私に
おにぎりをにぎって2階の部屋まで持ってきてくれたこと。
毛糸の帽子を編んでくれたこと。
ミシンでスカートを縫ってくれたこと。
手芸や料理を教えてくれたこと。
おたふくになったとき甘い葛湯を作ってくれたこと。
塗り絵や着せ替え、ブロック、おもちゃのミシン等々
私の好きなものを色々買ってくれたこと。

断片的だけれど、娘たちと過ごすその時々に
「そういえば私はこんなとき母にこうしてもらったな」
と思い出したことを、娘たちにもしてあげたいと思う。
母が生きていたら私の子供の頃のこと
もっとたくさん聞けたのにな…そう思うとちょっと寂しい。

娘たちにはそんな思いをさせたくない。
成長して家庭を持って子どもができたら
教えてあげたいことはたくさんある。
だからこそ、元気になってもっと生きなくては。


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