狂犬日記

芹沢健一 公式ブログ

気遣いの話

2008-07-29 16:12:14 | Weblog
過去の私は誰にでも気の利く優しい男に見せてました多分

優しさは本物ですが表現方法はここ10年ほどで大きく変化し表現的には無神経、無関心が適してる気がします

昔の私はは人の為にとなんでもかんでも一人で抱えて物事こなしてましたが全くメリット無し。無しって見返り求めたんですね。小さい。そこに付け込む奴や上手く使う器用な輩もいるのでたちが悪かった

格闘技界でも一般社会でもいろんなもん見ていろんな人種見て来て贅肉取れて損得で動くようになりストレスも無くなりました。
田舎町の同じような人間しか見ていればこんな感性も生じなかったでしょう

私の損得は金銭的なもんでなく私の精神を刺激、向上させてくれたり勉強させてくれる人は得。金くれれば尚良いですが

人の気持ちのわからないアホ、非常識なバカなど言ってみれば誰が見ても愚者にしか見えないのが損です

あと生理的に受け付けない…これは私の業です

人との繋がりは深くありたいので浅はかな薄っぺらい輩は友人にはいません…いや適当に利用してるのかな

わがままでなくなんでも口に出してる私に対し間違ってたり他論があれば投げ返してくれる人が私の周りには多いので良い環境なのでしょう

逆に人生経験が薄く自分の考えが口に出来ずに腹に溜めるような人は離れていき余計な逆恨み、遺恨さえ残される。

そんな腐が足かせでいると負けないぞと反骨精神が湧いて頑張れるしあまり平和じゃ呆けてしまうから敵もありがたいもんなんですがね

飾り付け無しで無償の奉仕が自らの肥やしになるような気がします

親の教育と自分の好奇心と行動の積み重ね、あとは萎縮しないで我慢した結果が今なんだろうなと