私の思いと技術的覚え書き

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先日の揚陸演習と様々な関連史

2018-07-08 | 沼津そして伊豆周辺
 先日、近くの海岸で海陸自衛隊の揚陸演習があったことを記したが、結構閲覧者がいて、関心持つ方が多いことを感じる。そこで、ちょっと関連史を辿り書き留めてみたい。

1 太古の昔
 この演習地は駿河湾というたいして大きくもない湾の最奥浜辺において行われたのだが、この湾、日本中の湾の中で最も水深が深いということは意外と知られていない。およそ2,500m程の深度があるそうだ。それは何故かということだが、地球表面の亀裂たるプレートの継ぎ目がここを通っているためだという。それが、いわゆるスルガトラフ(海溝)だ。

 太古の昔(100万年前)今の伊豆半島は、遥か南の海で生まれ、プレートの動きと共に北上し、日本列島に衝突してめり込んでいるのだ。だから、伊豆は本州とは地質学的にも異なるし、江戸時代くらいまでは、金や様々な石も取れたり、海あり山あり風趣に富んだ半島として、昔から文人にも愛されて来たのだろう。

2 大東亜戦争末期
 負け戦たる大東亜(太平洋)戦争の末期、沖縄も陥落した中、日本軍は本土決戦を辞さずと、米国の上陸作戦を予想した。種々多方面から上陸作戦は予想されたのであろうが、首都東京陥落を目指すに違いないとすれば、この駿河湾は大きな候補になると予測した。つまり、東京までの距離も100キロと比較的近く、大型艦や潜水艦が容易に入いるための水深も十分深く、硫黄島からのB29や援護艦載機の支援もできるだろうと、誰でも予測しうる候補地の一つとして防備をした。その防備だが、情けないかな、特攻攻撃なのだ。沼津市の西浦地区周辺には、海辺に沿って無数の洞窟様の穴が残っている。昨今の知らない者から、漁業関係者が漁具の格納用に掘ったのだと思っているかの発言を聞くことも多くなった。そんなことで、今更説明をすることもあるのだが、ほとんどが「震洋」(しんよう)と名付けられた木造モーターボート(トヨタ製エンジンだったらしい)の前部に250kg爆弾を搭載し、特攻を行うための格納庫として掘られた穴だったのだ。これは、それ依然の東京や名古屋の空襲に際し、サイパン、グアム、硫黄島などから北上しつつB29が目印にしたのは富士山で、このルートは何時空襲を受けても不思議ではないという意図を持って、洞窟様格納庫を作ったのだろう。
 結局のところ、天皇の御座所や大本営作戦本部を長野松代に移設する工事を着工して準備を進めていたのだが、広島および長崎と原爆を投下され、降参するしかなくなり、終戦となったのだった。

3 戦後の話
 戦後、米軍は進駐軍としてキャンプ富士(御殿場)を設営し、大規模な演習を行うため戦車などの兵器の揚陸を、今回演習地点で行って来た様だ。ここから、陸路30kmほどでキャンプ富士まで、往時は戦車が街道(R1およびR246号)を走ることもあったと聞く。しかし、その後、キャンプ富士の縮小と共に揚陸することは稀なことになって久しい様だ。




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