アナログ旧車と離れるが、100年以上前に作られ、今でもクルマが通れるトンネルを、1年近く前に通過した。その直後に記したブログ文(2つ)を再掲してみる。
■100年前の旧天城トンネルのこと 2015-12-27 記述
今朝は下田へ向かう途上、ハイペースで飛ばして来て余裕もあり 、左へ切れ込んで旧天城トンネルを10年ぶりに通過してきた。途上の道は、昔より荒れており、深い轍が多く、左右へのハンドルコントロールをしないと腹を擦りそうだが、そんなこともなく到着した。伊豆の踊り子など、数々の作品に登場する100年前のトンネルを久しぶりに見たのだ。
■天城越え 2016-01-03 記述
つい先日、久しぶりに旧天城トンネルを見学したので、若干講釈を記してみる。
三島から下田へ至る脇街道を下田街道と呼ぶ。今でいう、国道136号と国道414号がこれに相当する。江戸時代までは全て徒歩で、トンネルもなく、天城の山並みを越えていく厳しい道程であった訳だ。明治になり最難関の天城越えを容易にするため隧道が作られたのだが、これが旧天城トンネルで全長440m余り幅員4m程(側溝含め)の石組みの作りだ。1904年完成と記録されているので、今から114年も前に作られたものなのだ。(国の重用文化財指定)
トンネル内で停車し内部を撮影したのだが、石組みからの漏水を防ぐためだろう、モルタルを吹き付けてあるが、トンネル自体の作りはしっかりしたものだ。幅員からは小型乗用車なら行き違いがなんとか可能だが、大型車では無理だろう。クルマの少ない時代だから、大した混乱も生じなかったのだろう。ここから、「伊豆の踊子」(川端康成)や「天城越え」(松本清張)などの名作が生まれたのだと思うと感慨が湧く。
現在の新天城トンネルは、旧天城トンネルの西側にもっと標高の低いところを貫通しており、全長約800mでセンターラインがある。2000年迄有料道路として運営されていたが、現在は無料で通行できる。


■100年前の旧天城トンネルのこと 2015-12-27 記述
今朝は下田へ向かう途上、ハイペースで飛ばして来て余裕もあり 、左へ切れ込んで旧天城トンネルを10年ぶりに通過してきた。途上の道は、昔より荒れており、深い轍が多く、左右へのハンドルコントロールをしないと腹を擦りそうだが、そんなこともなく到着した。伊豆の踊り子など、数々の作品に登場する100年前のトンネルを久しぶりに見たのだ。
■天城越え 2016-01-03 記述
つい先日、久しぶりに旧天城トンネルを見学したので、若干講釈を記してみる。
三島から下田へ至る脇街道を下田街道と呼ぶ。今でいう、国道136号と国道414号がこれに相当する。江戸時代までは全て徒歩で、トンネルもなく、天城の山並みを越えていく厳しい道程であった訳だ。明治になり最難関の天城越えを容易にするため隧道が作られたのだが、これが旧天城トンネルで全長440m余り幅員4m程(側溝含め)の石組みの作りだ。1904年完成と記録されているので、今から114年も前に作られたものなのだ。(国の重用文化財指定)
トンネル内で停車し内部を撮影したのだが、石組みからの漏水を防ぐためだろう、モルタルを吹き付けてあるが、トンネル自体の作りはしっかりしたものだ。幅員からは小型乗用車なら行き違いがなんとか可能だが、大型車では無理だろう。クルマの少ない時代だから、大した混乱も生じなかったのだろう。ここから、「伊豆の踊子」(川端康成)や「天城越え」(松本清張)などの名作が生まれたのだと思うと感慨が湧く。
現在の新天城トンネルは、旧天城トンネルの西側にもっと標高の低いところを貫通しており、全長約800mでセンターラインがある。2000年迄有料道路として運営されていたが、現在は無料で通行できる。











