先週末、カメラ一式を背負って、身軽なバイクで大阪市内をうろちょろしてきました。
高射砲砲台跡を後にして、30分くらい地図を片手にある場所を探し当てました。
古びたコンクリートの壁に残るこの凹み。
なんだと思いますか?
たくさん、こんな穴がここの壁面には残されています。
そう、実はこれも第二次世界大戦の爪痕なんです。
色んな本を漁っているうちに昭和初期や大正、明治の頃の大阪に残るものに
目が行きはじめました。もちろん第二次世界大戦も含まれてきます。
大阪市福島区鷺洲5-7付近のJR東海道線のガード下壁面に
昭和20年(1945年)6月7日の空襲の時に残された弾痕があると知りました。
爆弾の炸裂による、破片のものなのか、戦闘機などの機銃掃射の弾痕か
はっきりしたことは不明ですが、ここを探していくつもガード下を覗きましたが
こんな無数の穴が開いてるのはここだけでした。
なんの看板も保護も無いので、僕がカメラを向けていると
通る人たちがレンズの見る方に一体何があるんだろうと
かなり注視してましたがたぶん誰も分からなかったと思います。
一つ疑問が湧いてきました。
線路の下にはたくさんの弾痕があるのに
側面にはもっと弾痕があって当然だろうと・・・
探しましたが全然ありません。
ふと気付いたのが側面とガード下の色の違いです。
どうやら側面は後から新たにコンクリートで作られたようです。
補強のためなのでしょうか・・・
東海道本線の大阪-神戸間は明治7年(1874年)開通とのことなので
この壁面が世界大戦より以前に建造されたことは確かのようです。
で、側面は戦後の最近に作られ、当時の壁面はガード下にしか残っていないのでしょう。
世界大戦時に日本全域はもちろん、大阪も大空襲で焼け野原になったとは
知っていましたが、痕跡なるものを生で見たのは初めてでした・・・
空襲で焼け野原にされた時、大阪は視界を遮る建物が無くなってしまい
今では想像できませんが、梅田から難波高島屋が見えたとの記述もありました。
これからは、身近に残る身近に感じる歴史や、大阪の特徴的な場所などを探して撮り歩いて
自分の住む場所を自分なりに見つめなおしてみようと思います。
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