鹿児島城跡(別名:鶴丸城跡)
鹿児島市
江戸時代初期に島津氏によって築かれた。
鹿児島では
古くから別名「鶴丸城」(つるまるじょう)と呼ばれている。
別名の由来は、屋形の形状が鶴が羽を広げたような形から。
公称「77万石」の大名の城としては
天守など高層建築や高石垣などは築かれてなかった。
それは
江戸幕府に対する恭順の意味があったとされる。
その代わりに、
島津氏は中世式の山城を各地に残し、
113区画をそれぞれ家臣に守らせる外城制度を行っていた。
維新後の城は
熊本鎮台の分営として使われ、明治6年(1873)炎上。
鎮台:明治4年~明治21年まで置かれた日本陸軍の編成単位である)
参照 ウィキペディア
現在
鶴丸城 御楼門の復元計画が進行しています
http://www.goroumon.net/fund/index.html
個人寄付金募金の状況と
現在までの募金額のご報告(11月末現在)
2014年1月20日から開始しました個人寄付金募集状況です。
2015年11月30日現在 | |
個人寄付金申込書及び振込金額の件数 | 6,629件 |
募金合計額 | 44,123千円 |
目標5000万円に対し88%の達成状況です。
これからも皆様のご協力をお願いします。
「 城をもって守りと成さず、人をもって城となす 」
という薩摩藩流の思想によるもので、
藩内の各所には
兵農一致の郷土団が守る外城がめぐらされていました。
歴史資料館センター
鶴丸城跡の中に建っている
(内部は撮影禁止)
城山(しろやま)は
西南戦争最後の激戦地であり、国の史跡および天然記念物に指定されている。
「城山」の名前は中世に地元の豪族・上山氏が山城を築いていたことに由来する
かつては鶴丸山・上之山と呼ばれており、島津氏に明け渡された。
この城山の東麓に鶴丸城がある
城山から桜島を眺める
今日も
最後までご覧頂きましてありがとうございました。
明日も皆様のお越しをお待ちしております。
私もこの様にきれいな時に行っていました。
富士山の様にいい山ですね。
寒くなりました・・・
男性料理教室から帰って来ました
来週は男性料理教室の忘年会です
会からの補助が有り凄く安いです
4時からです~
お店側としては4時からのお客さんを裁いた
後にもう一組の予約が受けられるのです
全員がサンデー毎日の仲間・・
4時・5時がどうって事が無いのです
桜島どーんとしていますね。
鬼の霍乱でしょうか?。
風邪をひいてしまいました。
Wingtomさんもお気を付けくださいね。