旅するデジカメ 我が人生

ご近所の紹介から遠くの観光地までカメラを持って歩きます。

沙羅と菩提樹を求めて 鶴林寺 in 兵庫・加古川

2014年07月02日 00時00分00秒 | 

沙羅と菩提樹を求めて 鶴林寺

兵庫・加古川

 

ここも6月2度目のお参りです。

沙羅と菩提樹を求めてやってきました。

今回は日曜日

太子堂と仁王門の内部見学が出来ました。

 

関連ブログ
播磨路の古刹 鶴林寺 in 兵庫・加古川

 

聖徳皇太子御霊蹟

(御霊蹟 : 神仏に関する神聖な事跡のあった地)

 

 

沙羅の花

日本では温室がないと育たないため、

多くの寺院ではツバキ科のナツツバキ(別名サラノキ)が

「仏陀入滅ゆかりの木」として植えられています。

 

 

 

常行堂(常行三味堂

常行三味堂とは

阿弥陀仏の周囲を歩き続けながら念仏を唱えるという

天台宗の修行を行うための専門の堂で、格式ある天台寺院にしか見ることが出来ない

 

菩提樹

菩提樹も、本来のクワ科のインドボダイジュが日本では育たないため、

代わりに、シナノキ科の植物の1つをボダイジュと名付け、

「釈迦が悟りをひらいたゆかりの木」としています。

 

2週間前には咲いてなかったのに今回は終わってました。

出来た実で数珠を作るそうです。

 

 

6月頃,葉裏から淡黄色の花を咲かせ,球形の果実が出来る。

変わった木ですね。

 

仏教容認派の飛鳥の朝廷 蘇我一族

日本は神の国だからと仏教反対の物部一族が対立

仏教と一緒に渡来僧が飛鳥に来ていたのですが

物部一族から迫害を受けて逃げ出し、国に帰ってしまった。

恵便法師も都を逃れて、この近くに隠れ住んでいました。

12歳の聖徳太子は

恵便法師から仏教の勉強をするため、お忍びでこちらに来られた。

急遽 村人が勉強小屋である 「木の丸殿」を建設したそうです。

聖徳太子が飛鳥に帰られた後、

毎日、通われたこの門を我々が通ると失礼にあたるとして門を塞いだ。

 

不開の門跡
(あかずのもん)

 

2年後、皇太子14歳のとき

蘇我と物部の対立がピークになった。

聖徳太子は勉強した仏教の中で

四天王が戦の神様だと聞いていたので、堂を造りお祈りしました。

私が勝ちましたら

仏教を広め、四天王様をお祭りしますとお約束をしたところ、見事に勝利

物部が滅び、仏教が本格的に広まっていきます。

約束を実行したのが「大阪の四天王寺」さんで

きちんと国費でお祀りされました。

また、こちらにも

四天王寺聖霊院を建てられました(現在の太子堂になります)

 

門のあったところだけが菊の御紋になっています。

 

室町時代と太子信仰の高まりと共に鶴林寺は全盛期を向かえ

塔頭30数ケ寺

僧侶が3百数十名もおられたそうです。

現在、塔頭は3ケ寺

 

浄心院

 

 

 

宝生院

 

 

 

 

 

真光院

 

 

 

 

この花は分かりません。

最後までご覧頂きましてありがとうございました。

   明日も 皆様のお越しをお待ちしております。

 

   7月以降は体調を考えて
コメント欄 閉鎖させていただきます



最新の画像もっと見る