風塵社的業務日誌

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高麗神社

2008年10月13日 | 出版
10/12(日)
世の中ではいろいろなことが起きているけれど、こちらもたまには息抜きが必要である。ということで、ハイキングに出かけることにした。7月にP舎I氏と富士山に登って以来の山行である。ハードなところにも行きたかったけれど、今回は高麗神社も見てみたいということもあり、飯能から少し奥に入った日和田山で妥協することにする。囲碁とFIを観たかったけれど、体はひとつしかないのだ。
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おにぎりを作ってから、妻と8:00過ぎに家を出、池袋まで歩く。西武池袋線池袋8:34発の三峰口行きという電車に飛び乗るが、タバコを買いそこねてしまう。9:32には、西武秩父線の武蔵横手に到着。降りてみると、周囲にはまったくお店がない。ニコチン切れと闘う羽目になってしまった。駅舎の脇の自販でペットボトルの水を買い、準備をしてから、9:45にスタート。
まずは北向地蔵なるところを目指すことにする。途中まで、林の中の舗装された道を沢沿いに歩いていくだけなので、特に大変というわけでもない。空は青く、ハイキングにはちょうどいい天気である。途中、五常の滝という滝があり、水を飲めるようになっている。水場がないと思ってポリタンクを持ってこなかったのが悔やまれる。後味がさっぱりした美味しい水だ。この滝で高麗一族の武者が身を清めて戦に向かった、という伝説が残っているそうだ。
10:50には北向地蔵に到着。おにぎりを1個食べて、しばらく休憩。そんなに見晴らしがいいわけでもない。車でも来れるところで、親子連れが何組も休んでいる。このお地蔵さんには、男女の逢瀬を助ける功徳があると立て札に書かれている。昔の人は、こんな山奥までやってきてハッスルしとったんかいな。見せ付けられるお地蔵さんも大変だな。
ここの標高が400メートルほどだろうか。あとはなだらかな下りを降りていくことになる。30分ほど歩くと、物見山に到着。低山なので、家族連れの姿が目立つ。山頂付近では十数組がお弁当を広げている。はるか遠くには、巨大な東京が見える。我々はちょっと休んですぐ出発。大人の足だと、それほど疲れるコースではない。
途中、芝生の広がる裏庭のようなところがあり、しばしそこに寝転がる。晴天で気持ちがいい。そこから車道に出てまた山道に。12:10、日和田山に到着。飯能がすぐ足元に見える。ここでお昼にする。ここも子供連れでいっぱいだ。タバコを吸っているオヤジがいて、一本もらおうかと思うが、ガマン。12:30、降りることにする。少し下ると、金刀比羅神社があり、ここも眺めがよくて20人ほどが休憩中。マウンテンバイクで登ってきている人もいるようだ。男坂と女坂があり、妥協して女坂を下ることにする。20分ほど歩けば、もう里に降りてしまった。

そこで、次の目標である高麗神社に向かう。高麗の駅前にもトーテムポールのような朝鮮の将軍標が建てられているが、その実物を見たかったのだ。途中、ようやくタバコを売っているお店を発見。ハイライトがなかったのでショートホープを買い、やっとニコチンを補給。30分ほど歩いて、高麗神社に到着。高麗神社はその名のとおり、高句麗滅亡後、日本に逃れてきた高句麗王家が祀られているところである。703年に建てられたというから、かなり古い神社だ。意外なことに、濱口雄幸、若槻禮次郎、幣原喜重郎、鳩山一郎、小泉又次郎(純一郎祖父)らの献木が並んでいる。又次郎はともかく、他の連中は参拝後首相となっていることから、出世の神様として人気があるそうだ。ところが期待していた将軍標は、最近建てられた石造のものだったので、少々ガッカリ。
しかし、風格のある社殿で、神社の裏には江戸時代に建築された高麗家の住宅も残されている。また高麗家何十代目の当主(神主を継承しているのか?)も近くにお住まいのようだ。高句麗からの古い歴史が、こんなところに残っているのかと、かなり意外な感じがする。シーズンでもないのに、参拝客も多い。
一通り見学したあと、高麗一族の菩提寺である聖天院へ。ここは最近本堂を移築したそうだ。それに合わせて日韓友好のための、つまらないモニュメントを本堂の裏に作っている。だいたい、拝観料300円というのが気に入らない。それでも、いつ建てられたのかわからないが古い山門は素晴らしい。3本指の仁王像もダイナミックに彫られている。山門の右手に高麗王廟があり見てみると、コンクリで補修されている。つまらない補修をしてしまうと、学術的にはどうよ、と思ってしまう。
中門で拝観料を払いまずは阿弥陀堂へ。キンキラキンの大日如来としか思えない本尊の脇に、古い観音像が置かれていて、もしかしたらそれが本来の阿弥陀仏ではなかろうかと考える。阿弥陀堂の裏にはなぜかパンダの石造(画像)が置かれている。水子を慰めようとこんなものを置いたのかな。しかし、庭は風情があり、京都のちんまりしたお寺を髣髴させる。
阿弥陀堂から本堂へ上るが、ここは最近移築されて新しくなったところで、特に見るものもない。さらに登ると鐘楼があり、100円払ったら撞かせてやると書かれていて、げっそり。さらに登ると、広開土王や新羅の武烈王など、朝鮮の歴史上の人物の石造が置かれている。おいおい、武烈王なんて高句麗の敵じゃないか、と思うが、まあよしとしてやろう。
その先に「在日韓民族無縁仏の慰霊塔」というのがあり、手を合わせようとレリーフを見ると、「三塚博」なんて彫られている。どうも三塚が建立に関わっているようだ。すっかり白けて、手を合わせるのをやめる。
まあしかし、いい歴史の勉強にはなった。14:30、高麗の駅に向かうことにする。登山靴で一般の舗道を歩くとけっこう疲れる。どうしてなのだろうか。このへんは巾着田もあるので、観光にはけっこう力を入れているようだ。切支丹禁制の高札の複製なんてのも飾られている。しかし、我々は歩行者なので、車の量が多いのには困る。もう少し道路を整備してほしいものだと、建設業界が聞いたら喜びそうな感想を書いておこう。

駅に着いてから缶ビールを買う。池袋から武蔵横手まで片道510円なので、1日に、旅費510円×2+ペットボトル120円+缶ビール260円=1400円で、映画を見るよりもお安く楽しむことができた。17:00前には池袋にもどる。

戦乱三国のコリア史―高句麗・百済・新羅の英雄たち (Korean Historical Stories)
片野 次雄
彩流社

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2 コメント

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陰謀史観めくが (mikogamitenzen)
2008-10-13 22:26:41
高麗神社は、古代史を語る上で相当重要なな史跡であるそうな。それについて過日、ウチの常務が一晩中語ってました。
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そうなの? (腹巻オヤジ)
2008-10-14 09:23:06
最近では、韓流オバサンの聖地らしいけれど。それなら、もっとゆっくり見てくればよかった。民俗資料館というのもあったけれど、今回はパスしてしまった。
ところで、おぬし、元気そうで何より。
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