風塵社的業務日誌

日本で下から258番目に大きな出版社の日常業務案内(風塵社非公認ブログ)

新宿へ(2)

2018年10月10日 | 出版
中秋の名月のある日、朝から薄曇りで、これでは月見どころではなさそうだと思いつつ会社へ。世間はなにかの旗日ではあるが、仕事がたまっていてそれどころではない。「今週の食材を買出しに行かなければいけないから、早めに帰ってきて」と妻に言われ、17:00くらいには帰宅する旨を告げておく。それにしても、休日出勤してもどこか気合が入らない。一方、平日だからといって気合が入っているわけでもない。困ったものだ。
次の新刊『身体化するメディア/メディア化する身体』の最終チェックをしなければならないのであるが、入院中のN氏の代わりに某俳句誌の制作を終らせないといけないのである。最初、フォントの問題があって面倒かなあと心配していたら、こちらのシステムでもおおかた代替できることがわかり、そこから順調になるはずであった。それでも、他の人の仕事を受け継ぐというのは気を使うものである。しかも、俳句誌なんて初めての経験だ。そういえば、Y氏が獄中川柳を本にしたいと言っていたけれど、その話はどうなったのだろうか。
N氏がここはどういうふうに工夫しているのかとかをInDesign上で確認しつつ作業を進めていく。俳句誌といっても20数ページのものなので、量としてはたいしたことはない。なんとか早く終らせたいとしていると、電話が鳴る。取るとT氏だ。小生が休日出勤していると思って電話してきたのだろうかと一瞬考えると、「あれ。ごめん。Kさんに電話しようと思っとった。腹巻社長も休みに大変やなあ」きしゃん、うるさか、ボケ。おいはなあ、初めての仕事やけんカリカリしとうとばい。
実は、風塵社には日が射さない(象徴的な意味でも日は射さない)。おかげで、社内の書籍が焼けにくいので本屋としてはありがたい立地であるし、しかもそのため家賃もずいぶん安くしていただいている。大家さんには感謝である。しかし、なにごともすべてが一長一短で、午後集中モードに入ると、時間感覚が麻痺しがちなのだ。もちろん時計はあるけれど、集中しているときに時計に目がいくわけがない。すると、気がついてみたら、もう夕方かということになりがちだ。
なんて述べると、小生がいかにも仕事に熱心に取り組んでいるかのように聞こえてしまうかもしれない。ところが、そうでもない場合の方が断然多いから困りものなのだ。昼飯後、ちょっと仮眠と思いソファに引っくり返ったら、そのまま夕暮れだったなんてことは珍しくもない。しかしその日は、たまたま集中モードだったので、あわてて買い物のため帰宅することになる。妻のご機嫌をそこねたら、おあずけのポチ状態になること必至だ。スーパーからの帰り道、空を見上げると月が雲の向こうで橙色に輝いているのが見える。雲のせいで光がボケる分、月がずいぶんと大きく感じる。
その夜、簡単な夕食後、ジョギングに出かけることにする。小生にとってのジョギングとは、そもそもは通勤するための手段であったはずだが、最近はその手段が目的化し始めたようだ。史的一般的定式として、手段は常に目的化するものなのだ、としておこう。そのため、小生もフルマラソンを射程に置き始めている。ただしその裏返しには、小生が日常に抱えているいらだちなり焦燥感があることは否めない。つまり、仕事上での苦労やら不安はどうしようもないけれど、代わりに努力すれば単純に達成できる目標を獲得しようとする心理を指す。
それはともかく、山手通りを走っていって中野坂上を越えて、今回は都庁の裏まで走ってみようと考える。東中野に差し掛かると、老夫婦二人が仲睦まじく空を仰いでいる。なんだろうと小生も空を見上げると、中秋の満月が雲の合間からポッカリと顔を出しているではないか。そこまで下ばかり向いていて、上のことに気がつかなかった。しかもさすがは中秋の名月で、どっしりとした存在感を漂わせている。そのどっしりが遠い中空に浮かんでいるんだから、なんだかヘンだなあという印象も否めない。
中野坂上あたりも高層ビルが建っているが、そこを過ぎると遠くに(というか近くにというか)新宿の高層ビルが見えてくる。ツインで青と緑の光を放っている建物がある。あれはなんだろうと走りながら眺めつつ、それが都庁であることをようやく理解した。走っていたのはまだ20:00台だったのだろうか。周りには歩行者の姿も頻繁にある。もっと深夜に新宿の夜景を眺めつつ走っていたら、古い方の『ブレードランナー』の世界だなあと思わなくもない。新宿の夜景を都庁の裏側から見るのはこれが初めてなのであるけれど、けっこうカッコいい。こんな世界があるなんて、まったく知らなかった。
おのれの体力がどの程度のものなのかを知らないので(つまりは自信がないので)、そのときは清水橋交差点で折り返して帰ることにした。小生もそこそこは慎重な人間なのである。帰り道も、可能なかぎり月を視野に収めようとする。太陽とちがい、当然ながら月の方が見やすい。ならば、太陰暦って人間にとって自然なありかただったのかもしれないなあと感じた。

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