風塵社的業務日誌

日本で下から258番目に大きな出版社の日常業務案内(風塵社非公認ブログ)

福岡へ(12)

2019年01月12日 | 出版
さすがにいつまでもチンタラ福岡の話を記しているのに飽きてきたので、この話はこれで終わりとすることにしたい。前に記したが福岡空港が市街地の近くにあるため、市街地のビルはこれまで高さ制限を受けていた。どういう理由なのかは知らないが、それが解除になるということで、大規模なスクラップ・アンド・ビルドがこれから市内で進行しそうだ。なんでも、モノレールだかロープウェイを博多駅から海側に向けて通すなんて計画もあるらしいし、街の変貌はこれからさらに加速することだろう。それはそれでいいのだけれども、小生にしてみればたいして懐かしくもない街になっていくということであり、一抹の淋しさは覚えるところだ。東区にあったクソ学校が消滅したこと自体は清々した気分でしかないが、その跡地もずいぶんと変貌することだろう。
ところで、福岡に行く前に聞いていた話から、前に触れた天神コアが取り壊されたものと勝手に誤解していた。そこでコアの跡地を見にいこうとしたら、いまだコアがあるではないか。あれッ、なんでとそのときは思ったものの、のちに人からうかがった話では、ゆくゆくはコアとその隣りの福岡ビルというのを取り壊し、合わせて巨大なビルを造るという計画であるらしい。したがって、小生、少しばかり先走っていたようだ。その天神コアと国体道路を挟んで向かいにイムズというショッピングビルがある。これも取り壊すらしい。イムズというのは全館吹き抜けといういかにもバブルを髣髴させる使い勝手の悪い構造のビルで、なんでこんなものを造ったのだろうと開業当初から疑問を持ったものであった。それが老朽化ではないはずなので、やはり集客に問題があったのかもしれないし、福岡市の街作りの戦略にそぐわなかったのかもしれない。いずれにせよ、イムズのようなバブルビルがなくなるのは大歓迎だ。
天神コアの前で渡辺通りを三越側に渡り、その先の西通りに向かうことにする。昔はそこにNTTがあったのだけれど、その跡地に岩田屋という福岡の地元デパートが新店を出した。おかげで岩田屋はそれで経営難になったのだっけな。忘れちゃった。それはともかく、以降、西通りから西側が賑わうようになったとは聞いている。以前、そこには紺屋町という一見うら寂れた一画があった。しかし、小生はそこが好きで、よく通っていたのだ。いまや絶滅危惧種となった古レコード屋やら古書店に始まり、小生の関心外ではあるものの古着屋といったものが狭い空間に密集していて、いかにもサブカルチャーという雰囲気であったからである。
いかん、話が長くなりそうなことをまた思い出した。何回となく述べているように小生が福岡に住んでいたときは学生だったので、その東区の寮に住んでいた。そして、早良区百道浜(ももちはま)なる市内西側の涯まで自転車で50分ほどかけて通っていた。そこでしょせんは狭い町なので、歩きなり自転車なりとおのれの脚を使えば、たいがいのところには行けてしまうのが福岡のいいところであった。旧友のT氏とも「街がコンパクトだから、あちこち行かずともすぐ用件が足りるのはよかったよね」なんて話をしたことがあるぐらい、小生にしてみれば博多駅から天神なんて歩いてもさほどの距離でもないのだ。東京駅から歩いて有楽町を抜け、新橋あたりに行くくらいの感じだろうか。
一方、大阪にしても、梅田から難波まで歩いてもさほど遠いわけではない。おそらく1時間もかからない距離だろう。名古屋も、名駅から栄まで歩いたって1時間もかからないはずだ。そして博多駅―天神間なんて、40分というところだろうか。ましてや小生が福岡にいた当時なんて、博多駅周辺にさほどのなにかがあったわけではないので、そもそも行く用件もない。したがって、天神からの距離感覚で考えると、それほど歩くわけでもないところでたいがいの用件がすんでしまうという簡便さがあった。
したがって、少々の距離なら自転車ですむし、市街地なら徒歩ですむ便利な街というのが小生が住んでいたときの福岡市の感覚である。ところがそんなことを妻に話すと、「それは、あんたが特別すぎる」という反論が返ってきた。「福岡は車社会なんだから、みんな、どこに行くのも車でしょ。博多駅から天神まで歩く人なんて見たことがない」。その見たことのないやつが目の前にいるんだけどなあという気分であり、したがって、福岡の人とは常にどこか違和を覚えざるをえなかったということになる。博多駅から天神までのさしたることもない距離を、なぜ、あえて公共交通機関を使ったり、車で移動したがるのか、その方が小生にはよっぽど不思議だ。小生の場合、基本的に1日1万歩以上は歩いているので、もしかしたらそういう山猿的な行動様式というのはほかの人には理解しにくいのだろうか。
以上は脱線になってしまったが、学生のとき、自転車で百道浜に行った帰りにしばしば紺屋町をのぞいていたというところに話をもどそう。当時は、そのくらい心ときめく空間であったということであり、したがって、その紺屋町がどうなったのかというのは気がかりなところでもある。そして行ってみました、昔の紺屋町の跡地。すると、アパレル系の店のネオンが光り輝くおしゃれな一画と化していやがる。死ね、という気分しか湧き起こってこない。福岡ってやっぱりいやな街だな、というのが率直な感想だ。遅れてきたバブルが福岡のトラウマになっているのだろうか、どこか浮わついてはしゃいだ街を目指す感がして、それは小生の感覚とまったく合わない。したがって、そんなものは死ねという気分にしかなれないのだ。
したがって、もうやめようと思っていたのに、この話はまだ続くかもしれない。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿