風塵社的業務日誌

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翻訳文化

2008年07月18日 | 出版
学生のころ、小林秀雄の『ドストエフスキイの生活』(新潮社?)を読んだことがあった。『カラマーゾフ』(原卓也訳、新潮文庫)を読んで、ドストエフスキーにはまっていたからだと記憶している。ところがそれからしばらくして、E.H.カーの『ドストエフスキー』(松村達雄訳、筑摩叢書)を読んでいたら、大笑いしてしまった。小林の『ドストエフスキイの生活』が、カーの翻訳にすぎなかったからだ。
『ドストエフスキイの生活』は戦前の作品なので、権利関係がいまとちがってうるさくない時代だったから許されたのだろうけれど、いまの時代ならば噴飯ものの盗作騒動に陥ったはずだ。それに、翻訳できる人間がいまほど多くなかったから、澄ました顔をして外国文献から剽窃しても誰も気がつかなかった、おおらかな時代だったのだと思う。
それ以来、小生のなかで小林秀雄の評価はガタ落ちとなった。読む気もないし、検証したこともないけれど、『モオツアルト』『ゴッホの手紙』などの評論も、多分なにかの翻訳にちょこっと手を加えただけのものだろう。間違っていたら、どなたかご教示ください。だいたい小林は、モーツァルトを聴いて、本当に感動したのだろうか。
したがって、日本でもっとも優れた評論家の名前に小林秀雄が挙がったり、小林秀雄賞なんてものが世の中にあることには、はなはだ疑問を感じる。受賞者全員がバカだと思っていても、そう的外れでもないだろう、。こちらが左派なので、伝統回帰の傾向の強い小林とは相容れない部分があるという屁理屈はさておき、小林の創作スタイルそのものが気に入らない。

同じような幻滅を味わった作家に安倍公房がある。『壁』『砂の女』『箱男』(以上、新潮文庫)などの作品は、高校生のころから一生懸命読んでいたと思う。確か、高校の国語の副教材に「棒になった男」が使われていて、それが安倍公房を知ったきっかけだった。授業はほとんど寝ていたので、教師が何をのたまわっていたのかまったく知らないが、安倍公房を教えてくれてありがとうございます、と敬意をこめずに書いておこう。
で、少し長じて、白水社のuブックスから「小説のシュルレアリスム」が刊行されて、A.ブルトンの『ナジャ』を読んだら、安倍公房の『箱男』ってこれをベースにしたんだとわかり、ガッカリしてしまった。結末で、主体と客体をあえて混乱させるような手法は、アンリ・バルビュスの『地獄』のパクリだし、安倍公房のなにに感動していたのか少々考え込まざるを得なかった。
確かに、気の利いた警句やエピソードは安倍作品のなかに横溢している。しかし、斬新だと思っていたスタイルが他者のパクリとなると、不学で無知でナイーブなガキにしてみれば、裏切られたという思いしか残らない。
そのため、小林秀雄同様、安倍公房も小生のなかの評価はガタ落ちとなった。両者ともに、現在はたいして売れてないだろうし、時代に取り残されつつある存在だから、このまま消えてしまえばいいと思わなくもない。

ついでに、夏目漱石の小説『門』に出てくる禅寺での「門」のエピソードは、カフカの「掟の門」のパクリだと以前から思っている。文学の専門研究者たちは、こうしたことをきっちり指摘しているのだろうか。小生はまったくの門外漢なので、近代文学がどのように研究されているのか知らないけれど、「本歌取り」(別名パクリ)の研究くらいはなされていることと信じたい。興味深い研究だと思うので、そういう本が出ていたら、どなたかご教示ください。

しかし、海外の翻案というのは文学だけの専売特許ではない。それどころか可愛いものだ。音楽なんてひどい。日本の歌謡曲はすべて、海外のものの翻案だとしても過言ではないだろう。先日、ある若手人気バンドのパブ用の写真を見たら、ボーカルの子が白のジャケットを着て、他のメンバーが黒のジャケットを着、全員黒いサングラスをかけている。おいおいこれは、1967年にThe Velvet Underground & Nicoを売り出す時の、A.ウォーホールのイメージ戦略ではないか。オジサン、ちょっと知識があって気がついたけれど、若い人にはわかるわけもないよなあ、と感慨に浸らされた。
もっともロックの歴史そのものが、黒人音楽からのパクリの歴史ともいえるわけで、こうなると「本歌取り」も奥深くなる。

一方で、日本の文化は始めっから中国文化のパクリなのだから、オリジナリティに乏しいのは致し方ない。国立の谷保神社(菅原道真の三男が建立)で、「和魂漢才」なる道真の石碑を見たことがある。ずっと昔からこうなのだから、パクリだからといって、いまさら嘆くことでもないのだろう。

駄弁を弄していると、雨がザンザンと降り始めた。明日の富士登山は大丈夫かいな。

誠実という悪徳―E・H・カー1892-1982
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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2019-03-26 13:53:36
>夏目漱石の小説『門』に出てくる禅寺での「門」のエピソードは、カフカの「掟の門」のパクリ

漱石の『門』は1910年。カフカのVor dem Gesetzは1915年。漱石によるパクリはありえないでしょう。タイムマシーンを持っていたなら別ですが。
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コメントありがとうございます (腹巻オヤジ)
2019-03-27 09:56:24
ご教示いただきお礼申し述べます。
確かに、年が合わないですね。
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