風塵社的業務日誌

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アストロブライト

2014年05月12日 | 出版
最近、社内のスピーカーの調子がまた悪くなってしまった。なぜか、右側の音が割れる。確か、昨年の年末から調子が悪くイライラしていたのであるが、急にトラブルが解消されてしまった。理由はわからない。
しかしまた、原因不明のまま調子が悪い。イライラするねえ。そういえば、中学生くらいからずっとながら族であった。「ながら族」もすでに死語となっているのだろうか。そもそも、使っているスピーカーが学生の時に買ったものだから、そろそろ30年近く使用していることになる。一度修理に出したほうがいいのかもしれない。そもそも、スピーカーの寿命ってどのくらいのものなのかを、よく知らない。
そのイライラする状況の中、『メディア・リテラシーの倫理学』を入稿してしまわないといけない。イライラ倍増である。その装幀をJ社Tさんにお願いしたので、どんな感じにするか相談に行く。
「最初はフランス折りも考えたんですけどね。結局、ページ数もあるから、持ったときに軽くはならないんですよね」
「フランス折りは、それに高いし」
「そうなんですよね。じゃあ、いつものように4Cで並製にするかと思ったんだけど、それもなんか味気なくて、カバーだけ箔押しにしようかなと思うんですよ。箔じゃなくても、字を盛り上がらせるような印刷方法があるけれど、ここはオーソドックスに行こうかなあ」
「箔はいいよね。落ち着いているし」
「表1と背の書名のところだけ箔にして、ニス引きすれば、風合いが変わっているから、手触り感もいいでしょ」
「そうですね。神保町の竹尾のショールームで、よさそうな用紙を探してきますよ」
ということで、後日、用紙を買ってきたというので、再びJ社へ。銘柄は3つあった。岩はだ、里上、アストロブライト・オレンジというものである。岩はだというのは、文字どおり岩肌をイメージして地に波模様のギザギザが浅く入っている。アストロブライトというのは竹尾の新商品だそうで、タントよりも鮮やかな色彩の色紙である。
第一勘はアストロブライトで、これなら、スミベタにしても映えそうだ。しかし、ここから先が面倒な話なのであるが、用紙には目(紙の漉く方向)と寸法というものがある。それが印刷時の面付けと合っていなければ、非常な無駄に終わってしまう。
さらに、小生は紙の計算が苦手なのだ。用紙の大きさには、四六全判、菊半裁、A(またはB)の全判など多々あり、しかも重さで販売し(1キロ当たり)、1000枚を1連として計算する。そこに、先ほどの目(タテ目、ヨコ目という)を斟酌して総合的に考えなければならない。
こんな面倒なことは、小生の足りない知恵では無理。こういう話は、Y印刷Y氏に投げておくにかぎる。ということで、Yさんに電話し、「こちらは一番安いのがいいから、調べておいてね」と依頼。
そういえばY氏も言っていたが、「出版の紙の取り都合は複雑だから、慣れるまで苦労した」げな。ところが、小生の周りには紙の計算が得意な人がなぜか多く、彼ら諸先輩方の言っていることは小生にはチンプンカンプンであったのだ。
思い出せば笑いぐさであるけれど、いまは亡き某社など、入社試験のときに、紙の取り都合なんて出題していた。出版のシの字も知らない人に、そんなことを質問してもわかるわけもないし、またそれを説明しても理解できないことだろう。さらにそのうえ、紙の取り都合を深く理解しても、それほどのメリットがあるわけではない。
そこで、埴谷雄高『死霊』の第3章の面付けの話を思い出した。確か在日朝鮮人の金さんだったかが誰かに、1ページの裏は2ページになるわけであるから、それを広げると1ページの隣りは16ページなんだと説明する場面である。
実は先日、『メディア・リテラシーの倫理学』の著者であるKMさんと酒を飲みながら話をしていたら、たまたま『死霊』が話題になった。そこで久しぶりに、小生も『死霊』の話なんてしたものだから、いま、また思い出してしまった。(ついでに、迷惑なのでKブラザーズはこのブログは読まないように)
埴谷雄高『死霊』には、小生も多大な影響を受けているのかもしれないがそれはさておき、面倒な取り都合の計算を小生がやるわけがなく、Yさんの返事を待つ。すると、「どれも取り寄せはできるけれど、アストロブライトは規格が変なので、それだと大変なことになりますよ」げな。じゃあ仕方がない。ここは岩はだにして、白を基調としつつ、手触り感を味わってもらう本にしようと決める。
ところが、同志KM、本書中に次のことを述べている。「書物(中略)をモノとして、物理学的対象として位置づけるかぎり、観察される対象にすぎない。どのような紙を使っているのか、装丁のデザインはどうとか、ハードカバーであるとか、横書きで文字が大きいといった表象について明確に認識できるものでしかない」。
正しい主張ではあるけれど、これを言われてしまうと、小生はTさんに合わせる顔がなくなってしまう。同志KMに厳しい自己批判を求めることにしよう。

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