城門シリーズ、前回より間が空いてしまいましたが、もうちょっとお付き合い下さいませ
→江戸城跡☆城門あれこれ
江戸城跡☆城門めぐり~北桔橋門・乾門~
今回の「平川門」は、江戸城跡で最も興味深い門だと思います。
お濠にかかる木橋、一の門・高麗門(こうらいもん)、二の門・渡櫓門(わたりやぐらもん)、
の城門形式一式が、昔のまま残っているのはこの門 だけだそう。
お濠にかかる木橋です(平川橋)
遠くから見ると木には見えなかったのですが、近くで見ると木であることがよくわかります。
平川橋を渡って、まず平川門の高麗門です。
高麗門をくぐって左折すると渡櫓門です。大手門と向きが逆になっています。
(大手門はくぐって右折)これも何か意味があるのでしょう。
平川門の渡櫓門です。
この門は江戸城の鬼門にあたるため、不浄門とも呼ばれ、城内の死者や罪人を出す門でも
あった、ということです。
生きてこの不浄門をくぐった歴史上の人物としては、忠臣蔵の赤穂藩主、浅野内匠頭と
「絵島生島事件(えじまいくしまじけん)」の奥女中絵島だけだそうです。
また大奥女中の通用門としても使用され、お局門とも呼ばれたらしい。
春日局がある日門限に遅れ、ここで一夜を明かすことになったという話も有名です。
なんだか、大奥の女中たちの日常や、悲しい事件など歴史の要所要所を見つめてきた門、
という気がしました。
さて、普通に歩いていると見落としがちですが、
渡櫓門の右脇に小さな高麗門が横向きに設けられています。(立入禁止で正面からは見れない)
この門は帯曲輪門(おびくるわもん)と呼ばれ、城外へ出るもうひとつの門です。
不浄門はこちらの門だった、という説もあります。
※入れないのでズームで撮影。
帯曲輪門からは、帯曲輪(帯郭とも書く)と呼ばれる、平川濠を二分する細長い城郭に続いています。
現在では緑地帯となっています↓↓
☆画像はお借りしました☆
その帯曲輪を道路側から撮ったところ。平川門の帯曲輪門から竹橋門跡まで続いています。
この帯曲輪(帯郭)は説明書きによると、
竹橋門より侵入してきた敵を、撃退できるように細長い城郭として作った、とあります。
また、この帯曲輪を使って、城内の罪人や死人、または処分すべきものを搬出したとも
考えられているそう。
うーーん平川門と共に帯曲輪、興味深いです。
素人考えですがきっと全国の城跡に、いろいろな形で存在するのだと思います。
最後は平川門の渡櫓門を内側から(皇居東御苑内)。
ありました♪渡櫓へ上るための石段。中に入ってみたいなぁ・・・。
長らくお付き合いいただきありがとうございました。
まだ、各所の石垣、北の丸公園、桜田門・二重橋・皇居正門などの画像がありますが、
少し間をおいて改めてアップしたいと思います。