のんびりのーと「ココロコエ」dA-iki

とてもシンプルなことなんだ。
心で見るんだよ。
大切なことは目に見えないんだ。

安らかに死を迎えるということ

2007-06-17 | -日々の生活-
病院には、元気になっていく人もいれば、残念ながらで亡くなっていく人もおるねん。

病院は、こういう言い方はいいかどうか分からないけど、
『死』を迎える場所でもあるわけなんやん。

『死』って、多くの場合、本人にとってもそうやけど
その配偶者、親、兄弟、、、いろんな人の人生に組み込まれるねん。
ほんで、いっぱいの悲しさとさみしさを残していくけど、
それと同じくらい、生き様を、思い出したらあったかくなるような
そんなものも残してくれる。
それは時に人が生きていく第一の目標になったりすることもあると思うねん。

そして、大切なことは、『死』はその人の最後の生き様でもあるねん。
最後の花道。人として。

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病院でのなくなり方には色々あるけど
ここでは、いわゆるターミナル、そうやな、
ご家族本人、いっぱい色んな検査して、点滴とかもして難病に立ち向かって
それでも、残念ながらうまくいかなくて死が迫ってくる。
怖がって、悲しんで、でもなんとか自分に納得させて、頑張って、、、
その先にある死。

死ぬ前にどんな風に死にたいか。

俺が癌になって、いろいろしてきて、最後、あとは死だけやったら・・・
やっぱ安らかに死にたいわ。痛いのいやや。
チューブはごめん。

それまで、いろいろ戦ってきたもん。
病気の中でも、きっと自分なりに一生懸命生きてきたと思うねん。
そういうのがあるから、言い方別にして、あっさりしてもらっていいとも思う。

業界でいったら、蘇生とかね、救命第一。
じつは、病院では、NO CPRっていって、もうどうしようもない状態のとき
チューブをつなげへんっていうことをご家族に了解を得る場合があります。
医者たちはけっこう、さらっとききますねん。こわいことやけど。
それにはさまざまな理由があって、ここではかかへんけど。

聞いたあとご家族は数日後に返事します。
NO CPRでいいです、と。
そこにはどれほどの思いがあることか。
いろいろなやんで、決めはるとおもいます。

『NO CPR』
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最近、なんだかいろいろ問題起こってます。

でも、結局、どういい死に導いていくか。
そういうのも医者の仕事やと思います。
これはほんまに難しいことやとおもう。
いろんなことをほんまにかんがえてしなあかん。
ほんで、しなあかんことは、意外と僕ら知らないことが多いんです。
不勉強です。

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勉強はしていかなあかん。
あと、やっぱ最後の最後、いろんな決断をするときには
患者の今までの人生の重み、生き様を一瞬でいいから思い出すことやと思う。
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思い出すためには、患者と誠心誠意向き合わないといけません。
すこしでも、こちらに打算とかそういうのがあったら、
まあ演技できる人はいいかもしらえへんけど、
通じませんわ。どんどん悪くなってくる。
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また、来週から頑張ります。反省しますわね。
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なお、ここに書いたのは私見であり、また、誰かに押し付けるものでもありません。さらっと流してくださればうれしいです。

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さてサマリかこうか。苦笑
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