植物によるがん治療のお手伝い 聡哲鍼灸院日記

植物で心身を癒す施術の日々。そこから感じたこと、学んだことなど。。。

「愛ある医療」の前に・・・

2009年09月08日 23時03分23秒 | かぜさんのお話会
「お前は何年かけて、人を苦しめてきたかの真実を知れ」

「優しいつもりの思い違いを知れ」


これは、8月30日のかぜさんのお話会であった言葉の中で、一番自分に衝撃的なことばであり、男のように低くなって肺腑を絞り出すようにして出されたかぜさんの声で、語られた。

怖かった。聞いた途端に、ぞくっとした。冷や水を浴びせられたようだった。これは、僕のように治療に携わる者、全員に向けて発せられた、見えない世界からの怒りの警告だったのだ。

「治療とか、そういうものに携わっていらっしゃる人には、本当にかけらも、「この方、大変ね」という気持ちとか、そういうものを捨てて頂くことが大切なんです。

 だけど、人間の中に中途半端な優しさがあるから、つい人の健康の足を引っ張りながら、優しいつもりで仕事をしちゃうんです。それが、結果、人を苦しめる。そのことをご存じない・・・」



 たぶん、世の中の多くの医師、看護師、セラピスト、治療家といった人たちは、症状の重い人や苦痛に苛まれている人に対して、普通に、「お気の毒に・・」とか「大変だなぁ・・」とか「可哀想だな・・」と心の中で思っていることだろう。

 正直に告白すれば、僕もその一人だった。乳がんで乳房は落ち、その下の皮膚もとれて、肋骨が4、5本、外から見える状態でいらした若い女性を診たとき、「こんな状態の人に何ができるだろう」とか「あぁ、ひどいなぁ」と僕は確かに「重い念」を送っていたと思う。

 かぜさんによると、(精神的に)強い者、力のある者、そして健康な者のネガティブな心(念、意識)は、病者にとってたいへんな負担なのだそうだ。だから、患者の周りの家族が、「大丈夫?」と心配の念を向けるだけで、患者は重い気を受けて、消耗するらしい。

 まして、家族より影響力が大きい(であろう)治療に携わる者が発するネガティブな意識は、多大に患者の心のエネルギーにダメージを与えるに違いない。

 最近、「愛ある医療」が唱えられ始めた。シンポジウムや大会が開催されだした。この12日にも神奈川で開催される。これまでの医療は科学の面で患者を扱うことばかりで、一個の人格ある存在として扱うことがなかったので、その反省として注目され始めたことであり、とても素晴らしいことだ。患者を全人格的に診るという視点に立つ医療が、これから求められる医療だと思うのでこれから大きく発展していくことだろう。

 僕は今回、かぜさんに出会い、そして心がエネルギーであることをまざまざと見せて頂いた。そして治療する者の意識がとてつもなく患者に影響を与えることも知った。そのことをこの世の治療に携わる人すべてにシェアしたい。

 まずは手始めに、「愛ある医療」を実現したい意識の高い医師や看護師、セラピストなどの治療に携わる人々に、「愛を送る前に自らの患者に対する否定的な見方を払拭すること」をお願いしたいと思う。

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5 コメント

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おはようございます(^-^) ()
2009-09-09 08:43:08
ミクシィと同じニックネームにしました。


病院にいると気が重くなるのはそのせいなんだろうな、と私も昨日考えてました。

医療従事者だけでなく、患者やその家族が発する気も大きいと思います。


そういう気がない、来るだけで前向きになれるような明るい雰囲気の病院になったら…というより、病院のお世話にならないように前向きで過ごすのが一番ですね。
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そうですね (そうてつ)
2009-09-09 20:29:23
杏さん

>というより、病院のお世話にならないように前向きで過ごすのが一番ですね。

そうですね。体の痛み、症状から学んで、自分で朗らかに過ごす。そうしていきたいです。
返信する
優しいつもり(上から目線) (ぽんちょ)
2009-09-10 18:50:18
私もついつい優しいふうに装って治療してきてしまったなぁ、、。反省です!

患者さんに対してあまりあっさりしてもまずいし、同情し過ぎもわざとらしいし、、、、いつもお芝居を演じているような自分をわかってはいました。そして、、、どうしても患者さんご本人の痛みはわからないんだよな~とむなしさも感じていました。

私は医療従事者として「治療」という仕事をしているだけと居直ってみたりもしました。

どういう態度が良いのか、、いまだわかりません。ただ、正直ではありたいと思っています。

優しいつもりは傲慢な上から目線の「同情」かもしれません。自分はまだ健康だって安心して自分の幸せを確認していたのかも、、、。

どうしたらいちばん良いのかわかりませんが、せめて「かわいそうに、、」というネガティブなものは今後いっさい送らないようにします。
どうしたら、患者さんにとっていちばん良いのかを神さまに伺いつつ、私自身がエネルギーのパイプとなるよう、良き治療の道具となるよう
身を任せていきたいです。
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そうなんですよ (そうてつ)
2009-09-14 00:27:46
いつの間にか、治療している者が加害者になっている、ってことですよ。これ、とんでもないことでした。おっかないです。

>せめて「かわいそうに、、」というネガティブなものは今後いっさい送らないようにします。

いやいや、それだけじゃだめみたいです。
必ず治すっていう信念を持たないと。そうでなければその治療者は「自分の生活のためにしている」ことになるようです。

僕自身はいままでは「自分の生活のため」に治療をしていました。これからはかぜさんを見習って、本当に、患者さんのための治療家になると決めました。なれるかどうかはわかりませんが、そう決めました。

かつてシルバーバーチの霊訓を読んで、スピリチュアルな世界に触れ、「治療家は治すのではない、気づきを促すことが大事だ」と考えました。

でも、症状が取れなくても、病気が治らなくても、魂が気付くきっかけさえ差し上げられればよい、と考えたのは、逃げだった気がします。自分のことしか考えていなかった。

いま、ぼくは自分が治すというふうに考えて動き始めました。かつて傲慢だと考えたそのスタイルが、実は違うのではないかとか分かるのも経験しないと分かりませんからね。
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そうですね (ぽんちょ)
2009-09-14 13:47:14
「治す」って、一見傲慢に聞こえますよね。治すのは患者さんであるなあんて言ったりしますね。でも、しっかり責任を持つということはプロの治療家として当然のことですね。表面的な言葉の意味ではなく、深く深く真実を追求していきたいですね。お話会都合がついたらぜひ参加しますね!
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