「素」と言っても、にんじん、たまねぎ、じゃがいもと、
香辛料は、にんにく、しょうが、黒こしょう、カルダモン、クローブ、コリアンダー、クミン
仕上げに、GABANのカレー粉、しょうゆ
初日は、「ハンバーグカレー」
二日目は、「鶏唐揚げカレー」
三日目は、「鶏ももソテーカレー」
鶏ももは、お友だちに教わった「生しょうゆ麹」に漬け込んでおいて焼いたもの
とてもふっくら、柔らかく焼き上がり、塩味もさほど強くなくいい感じ
冬は「おでん」
おせちを先付けっぽく盛りつけてみました
昆布巻き、田作り、金箔黒豆、海老、栗きんとん
それぞれ、よろこぶ、五穀豊穣、マメに働く、腰が曲がるまで長寿、金運
昨日は、しいたけを入れ忘れてました
なんということか、今日も痛ましい事故が発生しました。
海保のボンバルディアはプロペラ機。涼麻父、20数年前、仕事で奄美大島や喜界島へいくために類似のボンバルディアに頻繁に搭乗していました。また、札幌からのJAL便は昨秋に利用したばかり。
ボンバルディアDHC-8の重量は26tでエアバスA350-900は270t。一般的な着陸速度は時速250km。つまり、ほぼ停止状態のボンバルディア機に重量が約10倍のエアバス機が新幹線並みの速度で着陸してきたことになります。
着陸許可が出されている滑走路に離陸許可は出ません。また、離陸中の航空機が滑走路に残っている間、基本的に着陸許可は出ませんが、着陸機が滑走路に到達する頃には離陸が済んでいると見込まれる場合には着陸許可が出されることがあるようです。
直接的な原因は「おそらく大丈夫だろう」という過信である可能性が考えられるわけですが、根底には「あまりに忙し過ぎる」「急ぎ過ぎる」という事情があるのではないでしょうか。タイパのあり方について考え直す一年になって欲しいと思います。
2024年、本年もよろしくお願いいたします。
今年のおせち、手作りは一品のみ
セット物を買ってきた方が、分量的にちょうどいいし、結構、味もいいものです
大晦日から漬け込んでいたお屠蘇で一献
おせちを用意しておけば、お正月から家事をしなくてもよいはずなのですが、お雑煮は作り置きできないんですねえ
師走に入り、「このところ大きな地震が来てないな、年末年始は避けて欲しいものだ」と思っていましたが。
元日から石川県輪島を中心として「大地震」が発生し、現地の皆さんはおせちやお雑煮どころではなくなっていることと思います。
それにしても、発災直後のNHKの報道はひどかった。アナウンサーが避難を強く呼びかけるのは当然ですが、それが絶叫続きで、あきらかに冷静さを欠いていたように思います。もちろん、ご本人も身の危険を感じながらだとは思いますが、これも使命です。約15分後、大津波警報に切り替わった途端、大絶叫をあげ、しばらく無声状態に。その間に交代になったようです。交代後は、しっかりと避難を呼び掛けつつも冷静さが伝わるものでした。
民放に切り替えてみると、NHKとは異なり、海岸の波の様子も映し出しており、各局のアナウンサーとも冷静。
公共放送であるNHKさん、がんばれ!
津波情報は、到達時刻、到達範囲、津波高さ、遡上距離など予測が難しい。特に、日本海側の津波は到達までの時間的猶予がないらしい。
とはいうものの、海には海保の巡視艇、空には海自や民間の航空機がいるのですから、そのあたりの目視情報などを加味できないものか。
宮古の瓶ドンをお取り寄せ
小ぶりな牛乳瓶に、ウニ、イクラ、イカ、ホタテ、とろサーモン、めかぶ
白米を炊いて、まずは巴丼
白米が半分ほど進んだところで、とろサーモン
空き瓶は、プリン容器にするかな
年越しそばは、にしん蕎麦。にしん蕎麦といえば、祇園の「松葉」か「やぐ羅」でしょう。
そばを多めに茹でたもので・・・
みなさま、良いお年をお迎えください。
茨城県常総市に鎮座する一言主神社
本殿の裏手に石塔が集められており、その中に13基の庚申塔が祀られています。
向かって最も右側に小型の庚申塔。「青面金剛」「明和三丙戌天」「三月吉日」(1766年)
頂部に青面金剛の種字ウーン、上方左右に瑞雲つき日月。下方に二鶏。基台に三猿(言わざる、見ざる、聞かざる)
左へ、「一言神社石塔」「大日供養塔」を挟み、
六臂青面金剛庚申塔。上方に瑞雲つき日月。頭上に蛇を頂き、右上手に戟、左上手に宝輪、両下手に弓矢、右本手に宝剣。左本手はショケラのように見えますが、ショケラであれば腰のあたりで吊り下げるところ、胸に抱いていることや造形から独鈷鈴ではないかと思います(珍しいです)。足下に邪鬼、下方に三猿(見ざる、言わざる、聞かざる)
10基の石塔、石祠、句碑等を挟んで、
庚申文字塔。「青面金剛塔」、上方に瑞雲つき日月。「寛政十二庚申十二月〜」(1800年)
※西暦が60で割り切れる年は庚申です
「道祖神」「畜頭観世音」を挟んで、
三猿庚申塔。下方に三猿(言わざる、聞かざる、見ざる)。通例の見ざるは、右手で右目、左手で左目を覆いますが、こちらは手をクロスさせて反対の手で目を覆っている点が珍しいです。
「延宝二□甲寅九月大吉祥日」(1673年)
その左に庚申文字塔。「庚申塔」
上方に日月(逆様)
その左も庚申文字塔、「庚申塔」
上方に瑞雲つき日月。「文政元寅年」「十一月吉日」(1818年)
左に庚申文字塔「奉造立庚申供養塔」「明和三丙戌天」「十一月吉日」(1766年)
「百観音四国八十八所巡礼供養塔」を挟んで、
庚申文字塔「奉寄進庚申」「慶安四年」「十月吉日」(1651年)
「水神」さまを挟んで、
庚申文字塔「庚申塔」
左に庚申文字塔「奉待庚申供養塔」「宝歴十二午年」「五月吉日」(1762年)
「二十三夜供養塔」、ちょっと謎な「日讀月讀供養塔」を挟んで、
三猿庚申塔。文字刻の風化が強く判読が難しいです「〜造立庚申〜」
下方に三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)
六臂青面金剛庚申塔。右上手に戟、左上手に宝輪、両下手に弓矢。右本手に宝剣、左本手にショケラ。足下に邪鬼、下方に三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)
「奉造立青面金剛一躰」「聖徳五未□」「□月吉□」(1715年)
謎な感じのフラグメントを挟んで、
庚申文字塔「猿田彦大神」
さらに左方には、由緒不詳の石祠、水神宮、諏訪大明神、御嶽御三方碑など多くの石塔が並んでいます。
千葉県勝浦市に鵜原海水浴場があります。
この日は、結構、風が強かったのですが、比較的、気温が高めで、もとより温暖な南房総ということもあってか、サーファーたちが波間に漂っていました
海水浴場を横目に小さな漁港を過ぎ、隧道を抜けると、
鵜原理想郷に至ります。
このあたりは、明神岬を中心として、周囲が切り立った急崖に囲まれていて、陸路でも海路でもアクセスしにくいことから秘境的存在になっており、南房総国定公園の一部でもあります。
知る人ぞ知るこの景勝地に文人墨客が集い、たとえば、与謝野晶子は滞在中に76首の歌を詠み、三島由紀夫は短編小説「岬にての物語」の舞台(小説中では「鷺浦」)に選びました。
「毛戸岬」と「手弱女平」の間にある細い急坂を降りてゆくと、
「毛戸浦」に到達します。三浦層群が外洋の激しい波に海食されて切り立っています。左は「手弱女平」、その沖に「ひとつやま」
千葉県は、銚子市から旭市に至る屏風ヶ浦、養老渓谷の地磁気逆転地層、鋸山の房州石切場など、地質学的宝庫といえます。
また、南房総は黒潮の流れに乗って鯨が寄ってくるところでもあります
ツチクジラ(槌鯨)が打ち上げられていて、九相図状態になっていました。
こちらは背骨
脊髄の通り道がよくわかります。
入江に手掘りの生簀が残っています。
「黄昏の丘」
彼方に見えるのが、冒頭の海水浴場です
まるで時間が止まってしまったかのような場所。
そもそも、理想郷とはユートピア、常世。良くも悪くも、この世ではないということです。
帰り道でキョンに出会いました。市内にあった行川アイランドから1980年代に脱走、野生化したもの。繁殖力が強く、房総半島を中心に勢力を拡大、このところ北上中で、利根川を越え茨城県民になるのも時間の問題だとか。
後ろから来た散歩中のワンコに吠え立てられると、茂みの中へと姿を消しました。
ここは12月に水仙が咲きます。22年前にも同じ光景を目にしました。
水仙は三島と繋がりの深い花でもあります。
青森奥入瀬の純米酒「桃川」
熱燗って、なかなか苦手だったのですが、この年を迎えて、俄然興味が湧いてきて
チロリがないので、PYREXの計量カップで一合を量りとって、
湯煎して、TANITAの温度計で40℃(ぬる燗)
テレビは、チャンネルを何周してもおもしろくないので消して、ナッツと読書
涼麻父、何を隠そう猫舌なので、まずは、ぬる燗(40℃)を試したのですが、なんだか「もわーん」とした感じ
そこで、翌々日は熱燗(50℃)にしたところ「きりり」
おいしいし、時間を有意義に使えて良いです
なにせ計量するので飲む量が決まる。家呑みだと酔いの回りが早くて、半合で十分だから経済的
何度もお燗をつけるのは億劫(笑)なので、ダラダラと飲み過ぎることもありません
大阪道修町(どしょうまち)は薬種問屋が集まって形成された街です。
そのビル街に、「神農さん」として親しまれている少彦名神社が鎮座しています。
日本の医薬神である少彦名神と中国の薬草神である神農炎帝が習合しています。
今でも、周辺には多くの製薬会社が本社を構えています。
虎の張子がイメージキャラクターになっています。これは、1822年に大阪や京都でコレラ(虎狼痢:ころり)がパンデミックを発生させた際、「虎頭殺鬼雄黄圓」という丸薬で対抗したということに由来します。ちなみに、「虎頭」は虎の頭蓋骨で「雄黄」は三硫化二砒素。
昔は家庭常備薬というものがありましたね。
拝殿左手前の虎の張子の奥に神農像が祀られています。こちらの神農像はオーセンティックな像容で、左手で薬草をつかみ、葉を口に含んでいます。
神農さんと言えば、西の少彦名神社、東の湯島聖堂ということになりますね。