映画に 乾杯! / 知の彷徨者(さまよいびと)

名作映画に描かれている人物、物語、事件、時代背景などについて思いをめぐらせ、社会史的な視点で考察します。

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私の〈ノーヴァチェント〉 再論 理論の模索と浮遊 その4

2010-05-08 17:31:22 | 世界経済
■国家装置とは何か■
 ところで、これまで何度も「国家装置:Staatsapparat」という用語を使ったが、この観念がなかなかに難しいのだ。
 国家装置とは「政府組織」とイコールではない。
 私の使い方では、一定の地理的範囲の社会空間を国民国家的に組織化=凝集化するために機能している中核的装置、骨格的制度のことを意味している。
 たとえば、18世紀のイングランドを例に取ろう。
 この時代には、17世紀の諸革命を経て、イングランド王権は域内を政治的に統合するための政治装置体系の組織化の中心からは外され、イングランドの国民的統合を担う装置の1つとして議会(ことに庶民院)によって強く統制されていた。
 外形的にはイングランド中央政府は、王の王国統治のための家政装置として、王のパースナルな諮問=顧問官の集合体としてのキャビネット(本来は「王の私室」という意味で、「内閣」とは王の枢密院としての閣僚会議という意味であって、日本語の意訳である)を中心=頂点として組織されていた。
 この政府は行政府という意味だけではない。司法府や議会=立法府も含んでいた。とはいえ、王の顧問会議=閣僚メンバーの指名・任命は、庶民院の統制下に置かれていた。司法機関は、人事面とイデオロギー面で完全に、ジェントリが司会する議会の統制下にあった。
 「三権分立」などという戯言は、そこでは通用しなかった。

 さて、この中央政府の運営を支える財政を全面的に取り仕切っていたのは、イングランド銀行だった。このとき、イングランド銀行は、シティ・オヴ・ロンドンの最有力の金融家(銀行家)たちによって組織化された「民間銀行」だった。名目上は。
 この時代には、プライヴェイト・セクターとパブリック・セクターとの区分はなかった。政府の高位の役人や、地方の出先機関としての治安判事層は、政府からの俸給は受けずに、自らの経営や行政上の特権の運用で収入を得ていた。たとえば、ある個人や団体への一定の商業特権=許可状の発行と引き換えに、見返りに上納金を受け取って自分の収入にしていた。
 今から見れば賄賂だが、自分の権限の範囲内で収入を得るのは、当時は十分に正義や道義にかなった行動だった。

 だが、議会の統制を受けて、政府の税収はイングランド銀行が管理していた。この税収をもとにして、イングランド銀行は歳入の水準を設定して、公債発行という形態で政府に財政資金を供与していた。つまり、民間銀行家団体としてのイングランド銀行は、議会の承認によって特権を与えられていた。
 したがって、イングランド銀行は、私的な金融資本家の団体なのだが、イングランド王権政府の運営を左右する中核的な国家装置である。政府機関ではないが、紛れもなく「国家装置」である。
 つまりは、19世紀までは、ヨーロッパには「公的なもの(パブリック)」と「私的なもの(プライヴェイト)」とのあいだの区分の観念は乏しかったし、制度上の区別はずっとあとになってからでき上がった。この区分は、現代のイデオロギーでしかない。

 そのほか、庶民院やキャビネット、イングランド銀行の周囲に組織された特権的な商人団体や企業もまた、国家装置をなしていた。たとえば、「東インド会社」。
 東インド会社は、王権から特許状を受けてアジア産品の調達と販売をめぐるあらゆる商業的特権、そして、これにともなう海外活動や航海、植民地開拓と支配における軍事力や行政権、裁判権などの独占を与えられた団体だった。
 はじめはインドへの冒険航海と特産物の買付け、そして航海成功後の商品の販売という冒険事業への出資者を募集して、事業を組織化し運営する個別事業だった。空前の成功を収めて、莫大な収益をあげ、それを出資比率・額に応じて利益の分配した。もちろん、王室も何枚も噛んでいた。冒険航海にともなう金融投機と貿易投資の事業運営をつうじて、ロンドンを中心とするイングランドおよびブリテンの商人(銀行家や貿易商人)を結集組織化した。

 が、いくたびかの冒険事業の成功を続けるうちに、ロンドンに常設の経営拠点を置く持続的な経営組織になった。やがて、インドを植民地化し、周辺のアジア諸国を制圧しながら植民地経営・茶やアヘンなどを含めた貿易を全世界的規模で組織し、ブリテン本国の海軍よりも強力な世界的艦隊を動かすようになった。
 そのなかでも大立者たちは、王権の周囲に国民的結集の核=エリートとして組織化されるようになった。エリートたちは、軍事的闘争をともなうヨーロッパ的規模での通商競争での自社の優越を求めるという意味で、海外の諸王権や企業との競争・対抗を意識するようになった。
 世界貿易にともなう海運事業やこのための資金調達=金融や貿易保険、関連事業としての造船業や兵器生産・軍需産業などの育成(資金供給や需要喚起を含む)を自ら創出していった。

 東インド会社は独自の企業だが、言ってみれば、ブリテン国家の世界戦略や世界貿易の支配にとって決定的に重要な機能を担っていた。政府組織やシティの銀行家・貿易業との人脈的・家系的な結びつきも強かった。
 インド植民地だけでなく、インド洋や地中海に面した中東、アフリカ諸地域、北アメリカ植民地の統治や支配、貿易管理も掌握していた。
 その意味では、世界最強の国民国家装置であった。

 してみれば、国家装置とは、中央政府組織の内部で、あるいはその周囲で補完しながら、さまざまな分野で優越し最優に立つ諸階級や諸集団を独特の支配階級(権力ブロック)へと組織化し、その内部的凝集を形成するための制度や組織であって、それをつうじてエリートを国民的規模での政治的・軍事的・経済的結集のための中核として機能させるはたらきする存在である。
 したがって、財界団体や業界組織、労働組合の中央連合組織をも含むことになる。
 だから、近代国家と一般市民との間には、このような中間的組織や団体が介在している。20世紀初頭までは、このような中間組織は身分制や身分的特権と分かちがたく結びついていた。「市民と国家とが直接向き合う」かのような近代の世界観=法的イデオロギーは、ことの一面をなでるだけの皮相的な虚偽意識にすぎない。

 国民的枠組みをつうじて一定の地理的範囲(国境で囲まれた領土)の諸階級・人口を政治的に組織化するための装置、つまり社会諸関係の国民国家的編成をもたらす機能を果たす組織や団体、制度は、国家装置なのである。

 賄賂は、現代では、公的な自分の職務にともなう権限を利用して利益や利権を獲得する違法行為となっている。しかし、ほんの1世紀前までは、政府の財政能力は乏しく、官僚や官吏に十分な俸給を払うことができなかった。いや、というよりも、政府が官吏の給料を支払うという観念や制度ができていなかった。
 そうなると、王権や中央政府はその主権に属するとされている行政上や経済的な特権、特権認可権などを官僚や金持商人に売り渡して、一方で政府財政の収入を得ながら、他方で官僚や特権を買い取った商人や有力者たちに、分与した特権で収益を得ることを奨励していた。つまりは、自分の報酬は自分の特権を利用して稼げという規範が広くいきわたっていた。
 税金だって、地方税や諸費税、業種ごとの税金は、徴税権を競争入札で買い取った商人や業界幹部の富裕商人たちが自分の課税評価基準にしたがって課税し集めていたのだ。
 完全な地方分権、役所分権だった。
 王の代官が金持ち商人と結託して利権を生み出し、収益を獲得するのは、むしろ督励すべき立派な統治行為だったのだ。現代の規範意識や尺度で、単純に批判することはできない。むしろ、その当時の人びとの意識を想像しながら、どういう社会的・歴史的文脈におかれていたのか理解すべきである。

 だから、いまだにそういう旧弊な制度の名残が続いているのだ。こういう悪弊は現在の規範意識や尺度で批判すべきだ。

 とにかく、国家の歴史を考察する場合には、現代の常識(それが通用してきたのは、わずか1世紀にも満たない)をあてがってはいけない。


 

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