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男として女として生きること (乃阿一葦)
2008-04-21 13:19:39
アンフェアーなのか何なのか。どの民族でも生きつづけることって、もしかすると、そこに現代の物差を当ててみることが妥当なのか。そのようにして、民族も人類も存続していく、ということなのか。
 
 
 
釈然としないもの (ビー玉)
2008-04-22 00:38:14
わっ!高樹先生も「ヤマトタケル」を観に行かれたのですね!

実は、観劇後、私も女性として多少、釈然としないものを感じました。一夫多妻制の世だったのだから、仕方ないのかななどと思いながらも・・・。

でも、タケルには、それなりに相手のことを思うやさしい一面もあったように思います。自分のために身を投げる女を想うなんともいえぬやるせなさや、自分の子供を産んでくれた女への感謝の気持ちも十分に描かれていたかと思いますから。
最後に娶られる女性に「どうして、あなたには妃がいるのに、なお、私のことを娶るのか」と言わせるあたりは、梅原先生の女性に対する配慮があったのではないかと私は受けとめました。「わたしは、そのようにはっきりものを言うそなたを素直にいとおしく思う」と言うタケルの言葉を、結局、姫は受け容れてしまうんですよね。
子供を生んだ正妻が本当に幸せだったのかどうかは、よくわかりません。自分の子が王になり、自らも豊かな暮らしができたとて、愛する人に会えないままに暮らすことが果たして幸せなのかという疑問が残るからです。

まっ、いずれにしても、現代を生きる女性は、二股三股かける自分勝手な男には、どんな武勇をもってして迫られてもひかれないでしょうね。
現代社会においても、非倫理的な状況で突然恋をしてしまうことはあるかもしれませんが、男性だけが得をするというアンフェアな状況に追い込まれた場合、女性の誠実な心は一瞬にして褪めてしまうように思います。
 
 
 
父親と息子の関係についての時代性 (ISO)
2008-04-22 11:30:43
久しぶりの釣行やその後始末で 疲れ、やっと落ち着きました。

ヤマトタケルは書かれた時の都合の良い架空の人物のようですから、コメントをしても仕方ない感じがしますが・・・。
高樹さんの父子についてのコメント、「父に認められたい・・
男は誰しも、そう思って育っていくのでしょう。
父を越えたい気持も、そこから出てくるのでしょ・・・」は僕にはピンときませんでしたね。
う~ん?
僕の父親については祖父に対して、そのような意識は後年になって気が付きました。
お恥ずかしい身内の話で、僕が高校1年の頃ですが父親が、「俺は親父にも届かないんだから情けない」と言ったことが有ります。
何が届かないかは恐らく当時の資産形成だったと思います。
大企業の管理職と云っても三人を大学に行かせるのは、昨今と同じく大変なことだったと思います。
祖父の時代はインサイダーに近いのですが、住友家の家長から新しく造った、幾つかの会社の株を買うように言われ、その売却益で投資したボーナス全額が何倍にもなり、大阪に貸家を数軒持ってました。
祖父はお抱え建築家と云っても、住友の同じく月給取りの所謂サラリーマンでした。
僕は父親に対しては、体力が越えてしまった高校に入っから、対抗意識や乗り越えようとか標的外でした。
サラリーマンはマズイぞ!、サラリーマンの選択をしない職業でないと、僕の自由がなくなるぞ、と当時から考えてました。
これは個人的な話の例でしたが、僕の世代の父親は何らか「負け戦」に係わっていて、どうなんででしょうか?
陳腐な軍部と財閥の独走を許容し、原爆まで落とされた彼らの自己責任の有無は、精神的内面で反故にできたのでしょうか?
負け犬を越える?そんな意識は持てませんよね?
建築の設計の分野では負け犬でも、中には光った作品を遺している人もいますが、そんな父親像が多いのでないのかと僕の世代は思います。
やはり身近な僕の息子の就職を決めてからの発言で、「僕はもうお父さんに世話を受ける必要が無くなったと思う。」と言ったのですが嬉しいこと。
この息子は先月、彼女とお別れしたようです。
どうも先方の仲の悪い両親が離婚??をしたようで、多忙で毎晩タクシー帰りの息子としては、彼女の不安定なところにもウンザリしたとの由。
先方の父親は先進的企業で社会的にも偉いのですが、僕より二つ下でかなりの変人で、癖があるらしくよくある事です。
付き合い始めた頃に、二親が揃ってないと駄目だよと言っては措きましたが。(苦笑)

久しぶりの千葉・千倉の磯釣りは強風にも負けず大漁でした。
息子と二人で沖タナゴの良型が40匹余り、ワイフ達には「朝掘り竹の子」にも代わりに行ってもらい、一昨日の夜から4時まで掛かって竹の子を茹でたり、海タナゴを塩や調理したりと、「春の旬」を食すのはこれも時間との戦い、後始末に心地良いが正直疲れました。
その間ワイフは息子から頼まれた、デザインのPCラフをボランティア制作、お疲れ様。
竹の子の混ぜ寿司も昨夜でき上がり美味しかったです。
海タナゴの塩焼きは磯の香が好いです。
千倉のバブル期の置き土産の宿も好い施設でしたし、早川さん達と出かけたお魚料理の店もとても美味しい所でした。
お任せ握り鮨とアンキモとブダイとカンパチのアラ煮や菜の花のお浸し、ガザミのみそ汁碗でした。
石井崇さんがパエリア料理とフラメンコのイベントを汐風王国で準備されてましたが、僕らは釣り場の探索に出かけました。
彼の個展は拝見しましたがお上手な方です。
帰りがけに旧友のギャラリーオーナーに頼んで、大きな金魚草の花束のお土産も戴き、また通い始めたカフェにも飾っています。
金魚草を見直しました。
こちらのベランダの薄いピンクの牡丹が開きました。
そろそろ打ち合わせの準備をしないと。


 
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