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ノーマライゼーション・・・ (ビー玉)
2007-08-24 03:10:12
という言葉を御存知ですか?
福祉先進国の北欧で生まれ、1980年代初頭「国際障害者年」を契機にいっきに全世界に広まった言葉です。障害をもった人もそうでない人も「ノーマル」つまり普通な暮らしをする事ができるような社会を目指すといったような意味あいでしょうか。

目が見えないからといって、登山してはいけないとう法律はどこにもありません。健常者と同じように登山していいはずです。素晴らしい映画ですね。

私は、学生時代、福祉の勉強をしていました。ゼミの先生に読め!と言って渡された「障害をもつ人とともに」という本の題名に衝撃を受けた鮮烈な記憶があります。障害をもつ人のために、と考えるのではなく、障害をもつ人と「ともに」と考えなければ、結局、障害者を見下すことになるのではないかといったような趣旨の本でした。同じ平面にたってこそ初めて平等にものが考えられるはずです。

日本にも長く障害をもった人々を差別してきた歴史がありましたが、チベットでは、まだノーマライゼーションの概念が普及する状態にないのですね。なんだか悲しくなりました。

ここ二日ほど忙しくてブログを拝見できず、朝日新聞の記事も芥川賞授賞式のブログも、今、拝見したところです。

朝日の記事にあった「地方から発信することの難しさを感じた」という言葉が胸に残りました。確かに、WEBという媒体は、地方にいても全国発信できますよね。
今後の御活動の更なる発展を御祈りします。

しかし、新聞の力ってすごいなぁ・・・。
新規参入の方が増えていてびっくりしましたぁ~。

SIA-DAYの申し込みも始まったみたいですね。
今度こそ、抽選に当たりますように!
 
 
 
障害の分類 (大関 康夫)
2007-08-24 07:47:58
・運動機能
・感覚機能
・知覚機能
それぞれにハンディキャップがある。

・障害とみなされない
・処置すれば回復する
・適切なときに処置すれば回復する
・訓練すれば社会参加できる
・訓練すればコミュニケーションがはかれる

・生かし続けることができる
その程度も色々である。

この国の人々は障害とみなされないハンディのある人に優しいだろうか?
この国は処置すれば回復する人にはだれにでも手をさしのべる国だろうか?
この国は適切なときに適切な処置をがだれでも受けれる国だろうか?


人の思いやりは報われることによって満たされる。そういう一面がある。
ハンディキャップを抱えた人が回復したら、嬉しい。
いくつもの重いハンディキャップを持った人が訓練を通じてコミュニケーションができるようになったときの感動。
けれどもシジフォスのように報われることの希有な状況でハンディキャップに立ち向かう人もいる。

30年以上前、S療育園の就職面接に出掛けたときのことだ。
一通りの面接を終えた後、勧められて施設を見学した。
素人の僕の目には生かし続けられている人々。チューブで栄養を送られ、寝ているだけ。
ベッドには誕生祝いの飾り付け、肉親から「大事な大事なXXちゃん」に始まるハガキも。
世話をしている妙齢の娘さん。「心は通じています」と一言。こういう人がシジフォスなのだ。

縁がなくてS療育園には採用されなかった。
同じような施設の門を叩いたが、僕の経歴が警戒されて、どこにも受入れて貰えなかった。

僕にはこういうシジフォス達に負い目がある。
今、破綻した国家財政が、彼らの献身を、足もとから崩しているのではと心配だ。
心配する以上のことはできないのだけれど。
 
 
 
ノーマライゼーション (高樹のぶ子)
2007-08-24 08:53:55
この言葉の素晴らしさを知っています。
たとえば義足の人がフルマラソンを走りぬいたときの、本人の達成感、サポーターの満足・・見ている人間は涙がとまりません。「義足でも、やる気になれば、どんなことだってできるのだ!」と。

99%の感動感動!!・・けれど1%で、何かがきざす。
まず、整形外科的には、どうなんだろうと・・

そのつぎに、「健常者と同じことをすることだけが(この場合、健常者以上)障害者のアイデンテイテイになるのか」と。

もちろん、本人がそれを望めば、その方向で努力の応援をするべきだし、障害者にもその権利もある。

そんな「がんばり」が出来ない障害者は、どんな気持なのだろう・・

ノーマライゼーションという概念は、北欧から出てきたのだそうですね・・
東洋の思想とは、どこかで微妙に色合いが違うきがします。

世界人権宣言のように、高い目標であり、それによって、最低のところが救済される・・その意義は大きいです。

けれど・・
ブラインドサイトという映画が私にとって面白かったのは、
この「ノーマライゼーション」を、深く考えさせるものだからです。
彼らはあとぁずかのところで頂上に立つことを諦めます。
そこで彼らは、氷の壁やツララで、遊びます。それが「人生の至福の姿」に見えます。

私には「子供たちが、努力することと、頂上を断念することの両方を覚えた」と言う風に、見えました。
 
 
 
口で言えても (のあ いちい)
2007-08-24 10:41:23
口で言うことは簡単ですね。
フリーター作家の私は、心身障害者の施設で働いたことも、精神科の病院に住み込んで働いた(看護助手)ことも、県立の養護学校で情報関係のアドバイザーとして働いたこともあります。
同じ人間として、心を通わせて生きること。過剰でも不足でもなくバランスを取ってやっていくこと。生身の人間のぶつかり合い。いろいろあって当然です。生きているんだから。
こう口で言っても、現実は苦しかったり、回避したくなったり、泣いたり、差別したり・・現実です。
民族が違うと、そうなるまでの時間も必要になりますね。
『いのちの初夜』・・あそこもかつて見学しました・・

これから、 香港と中国の国境の町・シンセン に住んでいて、アジアのあちこちを飛び回っている息子が帰国したため横浜駅へ行きます。息子はタイペイにも4年ほど住んでいました。

高樹さん! 九州大学発信の「SIA」が回り始めましたネ!
 
 
 
Unknown ()
2007-08-24 12:50:33
自分の現状と折り合いをつける、そのための智慧となる因果報応・輪廻、希望であれ諦念であれ生きる動機付けになる。

なるほどなぁと感じ入りました。

哀しい智慧と思うのは富者健者の感傷でしょうか?そう言い切るのをためらう畏れを感じますが…

盲目の人がバスに乗車するには時間がかかるけれど、それをそのまま待つ。手をさしのべなくとも互いにノーマルな気持ちでいられる。無関心とは違う一切の受容。

登頂の価値も個別のものだから、歓喜の時間を得られたのなら

幸せだと思います。

 
 
 
高樹先生・・・ (ビー玉)
2007-08-24 16:13:11
のコメントを読んで、「みんなが力を合わせて誰もなし得なかったことが奇跡的に成就したという話なら感動的であっても、複雑な感情は残りません。ストーリーに収束できないものが、あちこちにはみ出して味わいになっている・・・」というブログ言葉の意味がようやく理解できました。

実は、私は、このノーマライゼーションについて深く考えなければならない仕事をしています。当該概念に対する日本の歴史、現状、北欧や欧米アジア諸国との差異、宗教的背景がもたらすもの等など語りたいことは沢山あるのですが、長くなるといけませんので仮に御会いする機会があれば御話ししますね。

「彼らはあとわずかのところで頂上に立つことを諦めます。そこで彼らは氷の壁やツララで遊びます」というコメントを拝読した時、実際にその映画を見たことがない私は「そうだったのかぁ~」と思いました。
「私には子供たちが努力することと頂上を断念することの両方を覚えた」というコメントで更に、納得。このコメント、障がいを持った人たちだけでなく私たち全てに該当する深い内容のような気がします。

Jさんの「盲目の人がバスに乗車するには時間がかかるけれど、それをそのまま待つ。手をさしのべなくても互いにノーマルな気持ちでいられる」というコメントは、まさにノーマライゼーションの真髄を現しているように思いました。

99%の感動と残り1%のなにか。この残り1%のなにか(それは毒であったり、理想と現実のギャップであったり、現実と夢の狭間であったり、いろいろなのでしょう)がある作品とそうでない作品には大きな開きがあるように思います。私も後者の作品の方が好きです。
 
 
 
ま、また間違えました~(汗) (ビー玉)
2007-08-24 16:17:31
「後者」と「前者」を間違えました!
私好きなのは、「99%の感動だけでなく残り1%のなにか」のある作品です。
 
 
 
心の垣根 (ふわく)
2007-08-24 19:10:32
健常者と障害者の心の垣根は、

自分が、「健常者」と思っている限り消えません。
どこかで、差別まではいかないけれど、「区別」して考えてしまいます。その区別がアル限り、障害者のことは、
どうしても、対岸の火事となってしまいます。

人間は、悲しいけど、その身になってみないとわからない!!

「きれいごとは、いつでも言えるし、書ける」

その人が、「何を言ったか、何を書いたか?」ではなくて

その人が、「何をしたか?」でその人の本物度がわかります。


高みの見物をしている限り、垣根なんてとれっこないと思います。最初から違うと思って接してしまっては、ノーマライゼーションなどとんでもない話です。
何か少しでもできることをやった上でないと何もわからないし何もいえないのではないか・・・
そういう意味では、Jさんのいわれている意見が、最も適切でやさしい考え方だと思います。
 
 
 
トラックバックについて(その2) (staff OHYA)
2007-08-24 19:13:26
いつもお世話になっております。

トラックバックについてですが、当ブログのリンクによる
スパム防止については効果がありませんでした。
そのため、当面は事前承認制によりトラックバックの
運用を行います。
基本的には、明確なスパム以外は全て許諾するように致します。

当ブログへのご意見は、websia@mail.goo.ne.jp 大屋 へお願いいたします。
今後とも宜しくお願いいたします。
 
 
 
自分の手の届かないところにある原因 (半次郎)
2007-08-24 21:31:08
高樹 先生、こんばんは。

自分のせいでなく、親のせいでもない。
もっともっと自分の力では逆らえないものの力でこういう事態になっていると・・・。
そう思うことで、受け入れ難い現実を冷めた目で見ることが出来、受け入れることが出来るようになるという効果があるのかも知れませんね。

彼らにとっては、“辛くても現実”なのですから。 
 
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