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ベトナムからの情報 ()
2008-03-21 14:26:15
先日高樹さんが滞在中、どんなフォーラムなのかとベトナム在留日本人対象の、通信記事をネット検索して読みました。
確かそれによると、新日越交流センターのオープン記念も兼ねてのフォーラムだったのでしょ?
日本は外国人労働者を受け入れて、高齢化社会を乗り切るしかないと思いますが、ベトナムの方々は基本的に評判が良いし、夫々の技術を身につけ、悪い業者に利用されない様に、安心して日本で働ける環境を整え、日本の行政にも対応して戴きたいです。

日本の現代文学は国際的には春樹とバナナだけですか・・。
そうだ先ず、日本の童話の翻訳本をお願いしたら好いと考えます。
近年の日本の童話は、なかなか絵のレベルも高いし、文字数も少ないから翻訳も感性さえあれば楽々、それに母親と子供に読んで貰えますし一石二鳥でしょう?
一石二鳥は不適切ですが・・。
しかし春樹は日本の社会状況をよく捉えています。
若~い頃、肥満になりそうな体質の男でしたが、毎日ランニングをして鍛えているのは感心してます。


 
 
 
Digitalラジオの可能性 ()
2008-03-21 21:16:27
今日は40年ぶりになるNHK+民放の第二次ラジオ・ルネッサンスのキャンペーン放送を聞くと、昔々のように文学作品の表現の一つとして、再評価されていくのかなと思います。
Digitalラジオシステムが普及すると、情報の占有や捏造が出来難くなり、ただただ利益だけを追求する組織からの、情報操作や誤解による争いや機会の不公平は少なくなるでしょう。
ラジオ・ルネッサンスとは好いネーミングです!
ベトナムでも携帯やPCは普及して来て、安価なDigitalラジオも普及すると文学だけでなく、国民の文化交流にとっても追い風になりそうです。


 
 
 
「個」の「感性」による交流 (ビー玉)
2008-03-22 08:38:52
今日22日は、いよいよ、SIA上海篇が開催される日ですね!

福岡で仕事をしているワタクシ、半年に一度、このSIAの会場にて高樹先生に御会いするのを楽しみにしているのですが、今日は残念ながら、参加できません。間悪く、関西出張の予定が入ってしまいました。今、神戸にいます。
こんなに悔しい思いをするのは久しぶり。勤め人の哀しさよ・・・であります。

昨日は仕事で(あくまで仕事!で・・・)USJに行ってきました。6年ぶりに訪れたのですけれど、あるアトラクションの乗り物に一緒に乗り合わせた人たちが喋っていた言葉は、中国語でした。6年前にはなかった傾向のような気がします。太宰府天満宮でも、韓国語があちこちで飛び交っていますし。今、日本はアジアブームであり、日本そのものもアジアの国々から注目されているというウェーブを感じます。

様々な研究分野でアジア(特に東アジア)の研究がブームになっている一方で、アジアと名のつく学科を志望する学生の減少が激しいといったような話も耳にしました。「アジア」は飯の種になり難いと思う保護者が多いのか、若者本人の意向なのか、そこのところの真意は定かではありません。

結局、政府の要人、研究者レベルではなく、市民レベルでの交流や相互理解が足りないのではないかという気が致します。かくいう私も、上記のブログを拝見して初めて今、ベトナムで日本の注目度が非常に高いのだということを知りました。

失礼と誤解を恐れずに申し上げるとするなら、大学内に生きる人々の常識は、一般の人とは少し違う(いや、かなりずれている・・・)ような気が致します。そういった意味で、一般市民の、あるいは文化人の「個」の「感性」による交流は、アジアの国々の人々との相互理解を深める上で、非常に大きな役割を果たすのではないでしょうか。そういった意味で、研究者ではなく、政治家でもなく、高樹先生の作家としての感性(五感)をフルに生かしてアジアのリポートを行うSIAの意味あいは大きいのではないかと思います。

わたくしどもファンは、半年に一度、新潮で今までにない新しい感性をはらんだ新作を読むことができるのも愉しみですし。
しっかし、ベトナムで日本文学といえば、三島、川端、芥川でとまっていて、現代文学は春樹さんとバナナだけ???って、これもまた驚きの真実でした。中国ではどうなんですかね?

ある韓国人の友人(文学者ではない一留学生)が、川上弘美さんの「溺レル」を翻訳した日本語を見て、私はだめだしを出したことがあります。意味だけを訳していて、川上ワールドの独特の世界を表現しているとは思えなかったからです。高樹ワールドでもしかりでしょうね。
どんなアジアの言語でも、おっしゃるがごとく「日本語から直訳できる翻訳者の育成が急務」かと思います。

また長くなってしまいました。本日のSIAの御成功を御祈りすると共に、御報告を愉しみにしております。
 
 
 
翻訳本は別物 ()
2008-03-22 12:12:29
今日はサイアディ上海でしたね。
黒胡麻団子?を食したいです!
最中と鯛焼きと吉備団子は度々食ってはいますが・・。
基本的に各国の翻訳本のそれは別物の作品と考えるのが自然です。
上手いとか下手とか関係なく、別物の作品と思います。
学生の頃、A.ランボーの翻訳本を全て買い集め読みましたが、訳者によって全くイメージが異なります。
中には間違いと思える訳も有り、例えばランボーが詩や文学からさよならし、北アフリカで商人をしていた頃の目撃談に、「ランボーは親指の上にもう一つ指が付いていた」と書いてましたが意味不明でした。
今もって意味不明です。
商取引の際の指の合図か、元々指の奇形だったのかわかりません。
結構、昔も今も異訳ではなく誤訳もかなり多いのではと考えてます。
特に日本語訳は訳者の原本や人に対する接し方と、ボキャブラリの豊富さとその使い方で、かなり読んだ印象が違うようです。
「食」がテーマの上海デー、できれば北京ダック焼き×鴨焼き鍋(芹付き)のバトルの後に黒胡麻団子を食したいどすな!


 
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