コメント
Unknown
(
怪猫28号
)
2007-11-15 23:08:07
紅葉ですか・・・日本に生まれてよかったと思う時って桜の時と紅葉の季節です。満開の桜の下に立つと、なんだか気が変になりそう。紅葉はのぶ子さんの写真のように地面を埋めているのがいいですね。でもやはりこの季節は寂しい。
話は変わりますが、「枯れ木も山の賑わい」とある会合に出席しました。思いっきり年齢差別を受けました。女性はつくづく損だと思いました。男性は幾つになってもそれなりに社会からも異性からも認められますが、女性はどうして若いが何よりなんでしょう。
日本の男性ももう変わったかな?と40年近いブランクを乗り越えてパーティデビューを試みましたが、40年前と同じでしたね。やはり若いが何より・・・でした。
あっちへ行ってもこっちでも、おばさん達の群れ群れ群れ。
その訳がわかりました。おばさん同士で群れていれば差別の憂き目に会わないからなのですネ。
世の男性たちよ、人生を重ね日本国のために、あなた方に
代わり子供を育て、懐深く魅力的になったおばさんを大切に
しようじゃない?フランスなどでは成熟こそ女の魅力だそうですよ。
芭蕉の「斧いれて香に驚くや冬木立」この意味分かってよ。
綾町の照葉樹林
(
宮崎県の田舎者
)
2007-11-16 01:11:39
う~ん、そちらもさぞ絶景が続く事でしょう。 宮崎にも綾町(あやちょう)と呼ばれる町があるのですが、ここも照葉樹林の美しい町で、世界遺産となってもいいような所です。 教授も是非一度、お出でください。手前味噌で申し訳ありません。 '07.11.16.01:08 宮崎県の田舎者より
もみじの発色
(
崖 転岩
)
2007-11-16 04:37:57
発色の好い[紅路]が撮れましたね!(笑)
石積みも風情があるし・・・。
道誉のお墓は米原ですか。
米原は東海道線では一番寒そうな所ですね。
冬、何度かパジェロで東京→福山を往復しましたが、あの辺りで一休みしたらとても寒かったです。(笑)
お陰さまでバサラのことを知って、人は人生できらびやかな時も過ごしてから、やはりワビ、サビは会得するべきだなと思いました。
紅葉といえば十年程前、福山で紅葉の木の近くに実生で生えた、発色の好い個体の苗を見つけたので、菖蒲(黄・青紫)とサンキライ(サルトリイバラ)とを鉢の寄せ植えにして、毎年杉並で眺め楽しんでいます。(笑)
未だこちらは紅葉には早いですが、見つけただけあって毎年綺麗に紅葉します。
庭の一重の山茶花も散り始めました。
マレーシアからの客人
(
T.S.
)
2007-11-16 08:28:58
この季節になると毎年のように会社を訪ねてくるマレーシアからの客人があります。
今年も、一昨日から日本に来ています。観光目的がほとんどで、ビジネス上の目的は2-3割程度。。。
今年のひとつの目的は、京都の「紅葉」を楽しむことだったようです。
話をしていたら、当然のことではありますが、「マレーシアでは色彩変化が年間を通じてない」とのことです。
つまり、年がら年中「緑に包まれている」ということになります。
しかもマレーシアの場合、ボルネオ島も含め、国土のかなりの部分が熱帯原生林で、ごく一部分が切り開かれて人間の居住地域になっているとのこと。
そのような地域に先生も触れておられた、マレー系、中華系、インド系の人たちが棲み分けをしているということになるのだと思います。
その意味では、季節により寒暖の変化があり、その寒暖の変化に合わせて木々が花をつけたり、葉の色を変化させたりと、色彩の変化に富む日本に生まれてよかったのかもしれません。
また、民族の単一的な点も。。。
その取引先の社長自身もイギリス生活5年、来年にはお子さんがイギリスに留学する学齢とのこと。
そのお子さんも、あるいは、イギリスでマレーシアとは異なる気候風土、季節の移り変わりに伴う色彩の変化、いわゆる「地球の季節的変化」を感じることになるのだろうと思います。
またひとつ記事をトラックバックさせて頂きました。
By T.S. on 16th Nov., 2007
幽霊
(
高樹のぶ子
)
2007-11-16 10:21:54
この徳源院には、本堂の脇に、幽霊の絵がありました。
どこかで見た・・いえ、お会いした・・幽霊さんでした。
目の玉が飛び出し気味で、怖いと言えば怖いけど、どこかオカシミもある表情でした。応挙かと問いましたが、違うそうです。
絵師は、なぜ幽霊を描いたのか・・いわゆる地獄絵とか凄惨な図を描くには、深い生理の欲望が動いているように思うのですが・・しかし幽霊はちょっと違う動機から描いているような気がして・・
「あなたはなぜ、絵にされたの?」と質問してみましたが、答えは結構単純で「ウラメシヤ~~」だけ。
幽霊は暑気祓い?
(
崖 転岩
)
2007-11-16 13:27:23
春の道誉桜の枝垂れ咲いてる、写真をネットで拝見致しましたが老巨木ですね。
[幽霊]の絵は肝試しか暑気祓いでしょう。(冗)
ネットでこの幽霊を和歌で詠んだのが目に入りましたので・・。(笑)
動乱の時代は禅宗には凄惨な絵図があるように思います。
何故、幽霊の絵を描くのか?
地獄絵と幽霊の絵の違いとなると少し微妙ですね。
僕の推測ですが、現在の日本と違い[死]が非常に身近に有り、父母の愛を知らない人々も、多数いた時代だったから[ネガティブな情念]の代弁と考えてます。(笑)
この例が適当かどうか・・・。
或七十才位の知人の男性で、仏画で気持ちの悪い絵が好きな方がいます。
その方の生い立ちは生後間もなく実母は他界、運悪く後妻に鬼の様な仕打ちを受けて育ちました。
彼は小4の時に役所に一人で出自を確認に行き、中学生から新聞配達をして大学を卒業、後妻(4子)に粗大ごみの様に扱われてる、父親の老後も引取り面倒をみました。
しかし、幼年期から思春期の身内達との葛藤は想像以上のものの様に思います。
今は躁鬱気味の方ですが、[俺の過去は地獄だったよ]が口癖です。(苦)
絵にストーリー性を探します。
禅宗の[達磨絵図]も目はひょうきんですが・・・。
緊張感と自覚心の発揚の意図と考えてます。(笑)
現在も結構、暗い絵のファンは脈々と多いのです。
?
(
立ち寄り人
)
2007-11-16 14:24:05
自らのことを述べるのならいざ知らず、他者のプライバシーをこのようなところに書き込むのは問題ではありませんか?
読むほうもいい気持ちはしません。どのような思いで書き込んだのでしょうか?
幽霊の本当の正体は?
(
ピース・りヴァー
)
2007-11-16 15:32:51
僕も崖氏にならって、ネットで検索してみたところ、道誉桜の満開時の写真があって、巨大な骨のような老木に、滝のように桜の花が落下している有様は、あたかも老木の白い鬚のようで、美しいというより、奇怪といった感じがしました。これぞ何者かの幽霊とみたり。皆さんも試して見られるといいです。
立ち寄りの方
(
崖 転岩
)
2007-11-16 15:48:29
例に上げた方は公的な所で、明るく何度も語られています。
絵図の好きな理由についてもです。
それに表現がプライバシー?の保護もされています。
お許し下さい。
小説や歴史上の人物では人の輪郭がはっきりしないと考えました。
つまり、残虐な体験や悲嘆の多い暮らしがあると、誰しも凄惨な絵や心めしい[ウラメシ~ィ]絵に興味を持つようです。
これは逆トラウマ現象のようです。
幽霊2
(
高樹のぶ子
)
2007-11-16 16:29:23
残酷絵や地獄絵、というのと、幽霊の絵は、なにか根本の絵師の動機が違っている気がして・・
残酷絵や地獄絵は、絵師の肉体(生理)が、そこに参入している気がします(もちろん、絵師自身は、なぜこんなものを書きたいのか解かってはいないでしょうが)絵師の性とも、複雑な関係性を持っているのでは・・と。
フロイトに尋ねてみたいところですね。
ちなみに、私はこの手の絵は大嫌いです。
しかし幽霊の絵というのは、「出現」させる役目なのではないか・・「出たくて苦しんでいる霊魂」を、「さあ、出てらっしゃい」と、この世に出してあげる役目?
となれば、絵のなかの幽霊は、絵師に感謝しているんだと思いますね。
幽霊の手
(
崖 転岩
)
2007-11-16 17:38:57
そんな気構えでないと、幽霊の絵など描けないでしょうね。
目に微かながらも、オドケた所が有る幽霊でしょう?
尚、[うらめしい]は広辞苑では、
1.うらめし・い【恨めしい・怨めしい】
が本当は正解です。(笑)
よく有る幽霊の手の垂らした位置は、人間が最っも楽な姿勢だそうです。
原爆で被災された方々も、あの姿で歩いたそうですね。
五年前にかなりの大病をしましたが、ベットで手を垂らして寝てみたら、本当に楽な姿勢でした。(爆笑)
運良く、僕は大手術で完治しました。
胃の出口のケロイドに因る幽門狭窄で、幽門と胃の半分の摘出手術でした。
ガンは無く外科手術を先延ばしにし過ぎましたが、直ぐに体重も理想になり元気です。
實は長年我慢し過ぎたので、風船の理屈で人の倍の胃の大きさになっていたのでした。(笑)
外科手術するまで40日、結局50日以上も入院しました。
節税目的の高額医療保険をかけていたので、助かりました。(苦笑)
幽霊と幽門でつまらない話をしました。(爆笑)
所でその幽霊は手を垂らしてました?(笑)
何度も失礼します!
(
通行人
)
2007-11-16 18:25:09
崖さんへ
やはり・・
ご自分のお話は、ご自分のブログでお願いします。
私たちは多分・・高樹先生のお話が聞きたいのです。
崖さんの私的なお話を、このブログで読みたいのではありません。
幽霊再考
(
崖 転岩
)
2007-11-16 21:07:09
僕もあの手の地獄絵は苦手です。
地獄絵の好きな人も悪い人ではないが、気を使わないといけないから苦手です。
幽霊の居そうな田舎生活から離れて久しいので、幽霊考には杉並は向かないです。
僕は前述のように幽霊の知識のお陰で、病気中、入院前の栄養不良の体がかなり楽で助かりました。
幽霊の正体は[お岩]と同じで、文学でも扱われれ出てくる、やはり怨念でしょうね。
その後確か、道誉の長男は怨念を残す戦死をしたのでしたね。
応挙の幽霊画
(
小皿
)
2007-11-16 22:07:58
幽霊画といえば応挙と名前が浮かびますが、実際に応挙の筆とされる幽霊画はほとんどないそうです。
数年前、大阪で開催された円山応挙展に行きましたが、その時心に残った絵の一つが、応挙作とされている幽霊画でした。
想像していたおどろおどろしいものではなく、病弱な先妻を描いたといわれるその画は、美しくはかなくて、見ているうちに切々と泣きたいような気持ちになってくるほどでした。
絵を描く才能をほんの少しも持ち合わせていないので、実際のところは分かりませんが、技術を越えたところで心が宿っていなければ、人の心を動かすことは出来ないでしょうね。
もっとも、絵は自分の心を映す鏡なのでしょうが…
応挙の幽霊画をネット検索して見つけたので、アドレスを貼り付けておきます。
http://www.theway.jp/zen/html/gallary/zentext/1.htm
徳源院の幽霊画
(
崖
)
2007-11-17 03:42:34
気になる、徳源院の幽霊画をネットの16年の・・・親睦ブログで拝見しましたが、応挙とは違い乱世の凄惨な怨念の篭った幽霊でした。
度胸のある高樹さんが怖いといえば怖い・・幽霊です。(笑)
恐らく、男の般若顔の幽霊の様に感じます。
道誉の長男は以下テキストコピー、
南朝に京を追われ東近江へと逃れる後光厳天皇、足利義詮らを守っていた際に、堅田近くの真野浦にて、新田氏の残党である堀口貞祐に襲われ、戦いの末に討たれた。
生前の道誉と行動を共にした優秀な長男で、京極・佐々木家にとっては、恐らく密告と裏切りに因る不慮の悲劇だった様ですね。
その後も京極・佐々木家は繁栄しましたから。
長男は先妻の子か訳ありの子で、随分と道誉をよく助け、バカラにしては気質も安定した男だった様です。
彼は怨念を持っても赦されそうな人物ですね。
お陰で幽霊にハマってしまいました!(笑)
訂正です!
(
崖
)
2007-11-17 08:09:28
バカラ→バサラの間違いです!
幽霊論?
(
ピース・リヴァー
)
2007-11-17 11:29:48
僕の考えでは、幽霊には、幽霊界における人格のようなものがあって、その人が出現する(あるいは出現したいと思っている)相手は、特定の人なんですね。
つまりその幽霊が生前に、ひどい目に合わされたとか、あるいはその人に残虐に殺害されたとか、とにかくその人と極端な利害関係の対立があったとかいう場合です。
これは、裏を返して幽霊を見る人にとっては、その人に(つまり幽霊である当人に)とんでもないことをしてしまったなという負い目があって、常にそのことがが気にかかっている時に、なにかの弾みに幽霊を見てしまうことになるのではないでしょうか。
とすれば幽霊を見る人も、まだ、憎めないところ、人間らしいところが残っていることになります。
だから樹さんが、「絵師は、出たくて苦しんでいる幽霊をこの世に出してやっている役目」を果たしている、とおっしゃるのは、当っているわけです。
絵師は、その幽霊が自分を見せてやりたいと思っている当人には、こう見えているに違いないと、幽霊を代弁してしていることになります。
したがって,「絵の中の幽霊は、絵師に感謝している」わけです。
また、第三者にとっては、自分も人をいじめたりすると、こういう幽霊に付きまとわれる羽目になるぞ、という自戒の象徴になるのではないか。
とすれば幽霊は、ある意味では、ありがたい存在ということになります。ネットでそのありがたい幽霊画のコレクションを発見しましたので、小皿さんにならって、そのアドレスを貼り付けておきます。
http://zarigani.web.infoseek.co.jp/hp4.htm
認識の間違いで訂正。
(
崖
)
2007-11-17 11:35:37
佐々木道誉は長男の秀綱より長生きしてます。
徳源院は後年に京極家によって創建されたもので、幽霊画は南北時代の動乱に於いて、道誉を始めとする怨念の総体と考えるのが自然ですね。
歴史ついは詳細な資料をベースにして、推測しないと僕の様に陳腐になります。(恥)
特定の人に対する怨念?
(
崖 転岩
)
2007-11-17 12:25:02
ピースさん、[徳源院・道誉桜]で検索しますと[16年の・・親睦旅行のブログ]が出て来ます。
それをクリックしたら何枚かの写真の中に幽霊画が有ります。
当方、携帯でアドレスのコピーの技術の未習得です。(悲)
ピースさんのコレクションより少し怖いです。
この幽霊画は直接ルーペで確認しないと断定できませんが、目は後から加筆された感じです。
この幽霊は誰に対す怨念か?
前述の新田氏の残党である堀口貞祐に襲われ佐々木秀綱の戦死は、延暦寺方の謀略説が有力の様にも、ネットでは表記されてもいますが・・・。
高樹さんのお陰で幽霊は市民権を、ブログ上では取得しました。(笑)
この世に怨念を残して、三途の川は渡らない様にしたいです。(笑)
徳源院の幽霊画のアドレス
(
崖
)
2007-11-17 13:08:37
試すとコピー可能でした。
http://dotclub.web.infoseek.co.jp/vvv/index.html
旅行記念撮影の中にに含まれてます。
霊通山清瀧寺徳源院
(
崖 転岩
)
2007-11-17 22:57:00
ネットで清瀧寺の住職の方は高校の生物の先生を兼任していて、お寺のインフォメーションや季節の植物の写真も充実してますね。
魚類の研究も好きな方の様です。
好感の持てるホームページでした。
京極家は18代高吉の時代にも没落し、19代高次が関ヶ原の戦いで武勲、再興した歴史もあり、幽霊画の怨念の内容は特定が難かしそうですね。
住職も書かれてましたが、この地は生物分布の東西の分岐点だそうです。
確かに米原を過ぎると、東国に入った印象を持ちます。
清瀧寺は天台宗のお寺ですが、学生時代に建築家 故 白井晟一さんの天台宗のお寺の作品を、見に出かけたことが有ります。
この方はユニークな建築家でした。
[書]も一つの世界を確立したと言っていいでしょう。
若い頃、江原の自宅兼アトリエに遊びに行きましたが、アトリエは地下に、一階の屋上は飼い犬のスペースで、核シェルター風になってました。(笑)
銀座親和銀行や松濤美術館も代表作です。
京都・西陣の出身の方です。
昨日からグッと寒くなりましたが、枇杷の花の芳香は漂ってます。
近くのP教会の石蕗も満開です。
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話は変わりますが、「枯れ木も山の賑わい」とある会合に出席しました。思いっきり年齢差別を受けました。女性はつくづく損だと思いました。男性は幾つになってもそれなりに社会からも異性からも認められますが、女性はどうして若いが何よりなんでしょう。
日本の男性ももう変わったかな?と40年近いブランクを乗り越えてパーティデビューを試みましたが、40年前と同じでしたね。やはり若いが何より・・・でした。
あっちへ行ってもこっちでも、おばさん達の群れ群れ群れ。
その訳がわかりました。おばさん同士で群れていれば差別の憂き目に会わないからなのですネ。
世の男性たちよ、人生を重ね日本国のために、あなた方に
代わり子供を育て、懐深く魅力的になったおばさんを大切に
しようじゃない?フランスなどでは成熟こそ女の魅力だそうですよ。
芭蕉の「斧いれて香に驚くや冬木立」この意味分かってよ。
発色の好い[紅路]が撮れましたね!(笑)
石積みも風情があるし・・・。
道誉のお墓は米原ですか。
米原は東海道線では一番寒そうな所ですね。
冬、何度かパジェロで東京→福山を往復しましたが、あの辺りで一休みしたらとても寒かったです。(笑)
お陰さまでバサラのことを知って、人は人生できらびやかな時も過ごしてから、やはりワビ、サビは会得するべきだなと思いました。
紅葉といえば十年程前、福山で紅葉の木の近くに実生で生えた、発色の好い個体の苗を見つけたので、菖蒲(黄・青紫)とサンキライ(サルトリイバラ)とを鉢の寄せ植えにして、毎年杉並で眺め楽しんでいます。(笑)
未だこちらは紅葉には早いですが、見つけただけあって毎年綺麗に紅葉します。
庭の一重の山茶花も散り始めました。
今年も、一昨日から日本に来ています。観光目的がほとんどで、ビジネス上の目的は2-3割程度。。。
今年のひとつの目的は、京都の「紅葉」を楽しむことだったようです。
話をしていたら、当然のことではありますが、「マレーシアでは色彩変化が年間を通じてない」とのことです。
つまり、年がら年中「緑に包まれている」ということになります。
しかもマレーシアの場合、ボルネオ島も含め、国土のかなりの部分が熱帯原生林で、ごく一部分が切り開かれて人間の居住地域になっているとのこと。
そのような地域に先生も触れておられた、マレー系、中華系、インド系の人たちが棲み分けをしているということになるのだと思います。
その意味では、季節により寒暖の変化があり、その寒暖の変化に合わせて木々が花をつけたり、葉の色を変化させたりと、色彩の変化に富む日本に生まれてよかったのかもしれません。
また、民族の単一的な点も。。。
その取引先の社長自身もイギリス生活5年、来年にはお子さんがイギリスに留学する学齢とのこと。
そのお子さんも、あるいは、イギリスでマレーシアとは異なる気候風土、季節の移り変わりに伴う色彩の変化、いわゆる「地球の季節的変化」を感じることになるのだろうと思います。
またひとつ記事をトラックバックさせて頂きました。
By T.S. on 16th Nov., 2007
どこかで見た・・いえ、お会いした・・幽霊さんでした。
目の玉が飛び出し気味で、怖いと言えば怖いけど、どこかオカシミもある表情でした。応挙かと問いましたが、違うそうです。
絵師は、なぜ幽霊を描いたのか・・いわゆる地獄絵とか凄惨な図を描くには、深い生理の欲望が動いているように思うのですが・・しかし幽霊はちょっと違う動機から描いているような気がして・・
「あなたはなぜ、絵にされたの?」と質問してみましたが、答えは結構単純で「ウラメシヤ~~」だけ。
春の道誉桜の枝垂れ咲いてる、写真をネットで拝見致しましたが老巨木ですね。
[幽霊]の絵は肝試しか暑気祓いでしょう。(冗)
ネットでこの幽霊を和歌で詠んだのが目に入りましたので・・。(笑)
動乱の時代は禅宗には凄惨な絵図があるように思います。
何故、幽霊の絵を描くのか?
地獄絵と幽霊の絵の違いとなると少し微妙ですね。
僕の推測ですが、現在の日本と違い[死]が非常に身近に有り、父母の愛を知らない人々も、多数いた時代だったから[ネガティブな情念]の代弁と考えてます。(笑)
この例が適当かどうか・・・。
或七十才位の知人の男性で、仏画で気持ちの悪い絵が好きな方がいます。
その方の生い立ちは生後間もなく実母は他界、運悪く後妻に鬼の様な仕打ちを受けて育ちました。
彼は小4の時に役所に一人で出自を確認に行き、中学生から新聞配達をして大学を卒業、後妻(4子)に粗大ごみの様に扱われてる、父親の老後も引取り面倒をみました。
しかし、幼年期から思春期の身内達との葛藤は想像以上のものの様に思います。
今は躁鬱気味の方ですが、[俺の過去は地獄だったよ]が口癖です。(苦)
絵にストーリー性を探します。
禅宗の[達磨絵図]も目はひょうきんですが・・・。
緊張感と自覚心の発揚の意図と考えてます。(笑)
現在も結構、暗い絵のファンは脈々と多いのです。
読むほうもいい気持ちはしません。どのような思いで書き込んだのでしょうか?
例に上げた方は公的な所で、明るく何度も語られています。
絵図の好きな理由についてもです。
それに表現がプライバシー?の保護もされています。
お許し下さい。
小説や歴史上の人物では人の輪郭がはっきりしないと考えました。
つまり、残虐な体験や悲嘆の多い暮らしがあると、誰しも凄惨な絵や心めしい[ウラメシ~ィ]絵に興味を持つようです。
これは逆トラウマ現象のようです。
残酷絵や地獄絵は、絵師の肉体(生理)が、そこに参入している気がします(もちろん、絵師自身は、なぜこんなものを書きたいのか解かってはいないでしょうが)絵師の性とも、複雑な関係性を持っているのでは・・と。
フロイトに尋ねてみたいところですね。
ちなみに、私はこの手の絵は大嫌いです。
しかし幽霊の絵というのは、「出現」させる役目なのではないか・・「出たくて苦しんでいる霊魂」を、「さあ、出てらっしゃい」と、この世に出してあげる役目?
となれば、絵のなかの幽霊は、絵師に感謝しているんだと思いますね。
そんな気構えでないと、幽霊の絵など描けないでしょうね。
目に微かながらも、オドケた所が有る幽霊でしょう?
尚、[うらめしい]は広辞苑では、
1.うらめし・い【恨めしい・怨めしい】
が本当は正解です。(笑)
よく有る幽霊の手の垂らした位置は、人間が最っも楽な姿勢だそうです。
原爆で被災された方々も、あの姿で歩いたそうですね。
五年前にかなりの大病をしましたが、ベットで手を垂らして寝てみたら、本当に楽な姿勢でした。(爆笑)
運良く、僕は大手術で完治しました。
胃の出口のケロイドに因る幽門狭窄で、幽門と胃の半分の摘出手術でした。
ガンは無く外科手術を先延ばしにし過ぎましたが、直ぐに体重も理想になり元気です。
實は長年我慢し過ぎたので、風船の理屈で人の倍の胃の大きさになっていたのでした。(笑)
外科手術するまで40日、結局50日以上も入院しました。
節税目的の高額医療保険をかけていたので、助かりました。(苦笑)
幽霊と幽門でつまらない話をしました。(爆笑)
所でその幽霊は手を垂らしてました?(笑)
やはり・・
ご自分のお話は、ご自分のブログでお願いします。
私たちは多分・・高樹先生のお話が聞きたいのです。
崖さんの私的なお話を、このブログで読みたいのではありません。
僕もあの手の地獄絵は苦手です。
地獄絵の好きな人も悪い人ではないが、気を使わないといけないから苦手です。
幽霊の居そうな田舎生活から離れて久しいので、幽霊考には杉並は向かないです。
僕は前述のように幽霊の知識のお陰で、病気中、入院前の栄養不良の体がかなり楽で助かりました。
幽霊の正体は[お岩]と同じで、文学でも扱われれ出てくる、やはり怨念でしょうね。
その後確か、道誉の長男は怨念を残す戦死をしたのでしたね。
数年前、大阪で開催された円山応挙展に行きましたが、その時心に残った絵の一つが、応挙作とされている幽霊画でした。
想像していたおどろおどろしいものではなく、病弱な先妻を描いたといわれるその画は、美しくはかなくて、見ているうちに切々と泣きたいような気持ちになってくるほどでした。
絵を描く才能をほんの少しも持ち合わせていないので、実際のところは分かりませんが、技術を越えたところで心が宿っていなければ、人の心を動かすことは出来ないでしょうね。
もっとも、絵は自分の心を映す鏡なのでしょうが…
応挙の幽霊画をネット検索して見つけたので、アドレスを貼り付けておきます。
http://www.theway.jp/zen/html/gallary/zentext/1.htm
気になる、徳源院の幽霊画をネットの16年の・・・親睦ブログで拝見しましたが、応挙とは違い乱世の凄惨な怨念の篭った幽霊でした。
度胸のある高樹さんが怖いといえば怖い・・幽霊です。(笑)
恐らく、男の般若顔の幽霊の様に感じます。
道誉の長男は以下テキストコピー、
南朝に京を追われ東近江へと逃れる後光厳天皇、足利義詮らを守っていた際に、堅田近くの真野浦にて、新田氏の残党である堀口貞祐に襲われ、戦いの末に討たれた。
生前の道誉と行動を共にした優秀な長男で、京極・佐々木家にとっては、恐らく密告と裏切りに因る不慮の悲劇だった様ですね。
その後も京極・佐々木家は繁栄しましたから。
長男は先妻の子か訳ありの子で、随分と道誉をよく助け、バカラにしては気質も安定した男だった様です。
彼は怨念を持っても赦されそうな人物ですね。
お陰で幽霊にハマってしまいました!(笑)
つまりその幽霊が生前に、ひどい目に合わされたとか、あるいはその人に残虐に殺害されたとか、とにかくその人と極端な利害関係の対立があったとかいう場合です。
これは、裏を返して幽霊を見る人にとっては、その人に(つまり幽霊である当人に)とんでもないことをしてしまったなという負い目があって、常にそのことがが気にかかっている時に、なにかの弾みに幽霊を見てしまうことになるのではないでしょうか。
とすれば幽霊を見る人も、まだ、憎めないところ、人間らしいところが残っていることになります。
だから樹さんが、「絵師は、出たくて苦しんでいる幽霊をこの世に出してやっている役目」を果たしている、とおっしゃるのは、当っているわけです。
絵師は、その幽霊が自分を見せてやりたいと思っている当人には、こう見えているに違いないと、幽霊を代弁してしていることになります。
したがって,「絵の中の幽霊は、絵師に感謝している」わけです。
また、第三者にとっては、自分も人をいじめたりすると、こういう幽霊に付きまとわれる羽目になるぞ、という自戒の象徴になるのではないか。
とすれば幽霊は、ある意味では、ありがたい存在ということになります。ネットでそのありがたい幽霊画のコレクションを発見しましたので、小皿さんにならって、そのアドレスを貼り付けておきます。
http://zarigani.web.infoseek.co.jp/hp4.htm
佐々木道誉は長男の秀綱より長生きしてます。
徳源院は後年に京極家によって創建されたもので、幽霊画は南北時代の動乱に於いて、道誉を始めとする怨念の総体と考えるのが自然ですね。
歴史ついは詳細な資料をベースにして、推測しないと僕の様に陳腐になります。(恥)
ピースさん、[徳源院・道誉桜]で検索しますと[16年の・・親睦旅行のブログ]が出て来ます。
それをクリックしたら何枚かの写真の中に幽霊画が有ります。
当方、携帯でアドレスのコピーの技術の未習得です。(悲)
ピースさんのコレクションより少し怖いです。
この幽霊画は直接ルーペで確認しないと断定できませんが、目は後から加筆された感じです。
この幽霊は誰に対す怨念か?
前述の新田氏の残党である堀口貞祐に襲われ佐々木秀綱の戦死は、延暦寺方の謀略説が有力の様にも、ネットでは表記されてもいますが・・・。
高樹さんのお陰で幽霊は市民権を、ブログ上では取得しました。(笑)
この世に怨念を残して、三途の川は渡らない様にしたいです。(笑)
http://dotclub.web.infoseek.co.jp/vvv/index.html
旅行記念撮影の中にに含まれてます。
ネットで清瀧寺の住職の方は高校の生物の先生を兼任していて、お寺のインフォメーションや季節の植物の写真も充実してますね。
魚類の研究も好きな方の様です。
好感の持てるホームページでした。
京極家は18代高吉の時代にも没落し、19代高次が関ヶ原の戦いで武勲、再興した歴史もあり、幽霊画の怨念の内容は特定が難かしそうですね。
住職も書かれてましたが、この地は生物分布の東西の分岐点だそうです。
確かに米原を過ぎると、東国に入った印象を持ちます。
清瀧寺は天台宗のお寺ですが、学生時代に建築家 故 白井晟一さんの天台宗のお寺の作品を、見に出かけたことが有ります。
この方はユニークな建築家でした。
[書]も一つの世界を確立したと言っていいでしょう。
若い頃、江原の自宅兼アトリエに遊びに行きましたが、アトリエは地下に、一階の屋上は飼い犬のスペースで、核シェルター風になってました。(笑)
銀座親和銀行や松濤美術館も代表作です。
京都・西陣の出身の方です。
昨日からグッと寒くなりましたが、枇杷の花の芳香は漂ってます。
近くのP教会の石蕗も満開です。