コメント
死にません
(
王龍
)
2008-11-30 13:40:50
生きているものは、その肉体はいつかは死にます。 でも、コンは、死にません。消えていくでしょう。京が、紅子を愛した時に。 あるいは紅子が、京の過去の全てを母の愛のように包み込んだ時に、コンは静かに紅子と暮らしていく事になるのでしょうか? 命を守る事、それを教えてもらえることは、なんとすばらしい事でしょう。助けられた人たちはどれだけ感謝しても足りません。 その人たちは、また他の人々を助ける事を考える。自然の中の人間は、本当に勝手な存在です。小説の中で猫をいじめても、怒る猫はいません。連載小説っていいですね。未来を自分で作っていくのですね。でも「愛」は必ずあることは否定しないでください。お願いします。
私も・・
(
miriam
)
2008-11-30 19:58:45
釧路で暮らしていたときに(小学生でしたが・・)
十勝沖地震の時に学校で机の下にもぐりこみました。
今では机の下が安全とは言えないようですけれどもね。
猫ちゃんを生かすも殺すも小説の世界では罪のないことです。
現実の問題ではないのですから、
あまり気になさらないでください。
実際に「あのオトコを殺したい」と思うこともあるのは事実で、
ですからこの様な意味不明な殺人事件も現実には沢山あるわけです。
王龍さんがおっしゃるように、
自然の中の人間は、本当に勝手な存在です。
高樹さんには「愛」は必ずあると思いますので、
不安なくこれからも小説楽しませていただきます。
図書館に行かないでも読めるのはとても嬉しいですね。
連載小説って・・・
苦手な私だったのですが。。
すっかりハマッてます(苦笑)
同じく・・
(
satoko
)
2008-11-30 21:39:11
私もmiriamさんと一緒で図書館に行かないで読めるので、
喜んでいます。
誰かが読んでいる側で、読み終える方をじっと待つこともありませんし・・(笑)
そういうことですね。小説ですから、いろんなことが書けるわけです。そしてそれが小説の醍醐味です。
ネコちゃん好きのことなんて書く必要もなかったと反省しています。わたし。
私、誰に嫉妬したのかな・・(笑)
人間の心理を描いしているから、面白いのだと思います。
はじめはちょっとした好奇心で始まった恋に、やがて身も心も
捕らわれていく、やがては大きなうねりとなるのかどうか、
次なる展開を楽しみにしています。
連載小説というのは、そのページ毎に書き足していくのか、あるいは、元々ずっと先まで書いているのか、興味津々です。
コメントを書くのは、ほんと難しいですね。
でもあえて、頑張って書いています。
夕陽と甘苦上海
(
ビー玉
)
2008-12-01 04:02:28
今日は「上海甘苦」を空の上(つまりは飛行機のなか)で読みました。ちょうど夕暮れ時で、まっすぐにひかれた黒い雲のカーテンの上に朱色の帯がのびていて、とてもきれいでした。その色合い、「上海甘苦」の題字のカラーと同じような感じで。思わず紙面の文字と空を見比べてしまいました。
猫をけっぱる、で抗議?気にしない、気にしない・・・。のぶ子先生は、多分、ハエも殺せない方でしょう。あくまで小説は虚構の構築だってこと、どうしてわかってくれないのかなぁ。
一部の真実、九部の嘘が小説というものではないかと私は思っています。
今日の日経に掲載されていた瀬戸内寂聴さんのエッセイも面白かった!大庭みな子さんと寂聴さんが同じ編集者に恋していたことが書かれています。
真実の恋について書くのは勇気がいります。だから、小説にした方が良いことだってあるでしょう。寂聴先生の御齢になって初めて真実が吐露できるのかもしれません。
大庭みな子さんの「三匹の蟹」、20代の頃、ある男性に是非読むように勧められた一冊です。その方とは、もう20年以上、会っていません。「三匹の蟹」の感想は言わずじまいでした。私は来年、その人の当時の年齢に達します。なぜ、その方が「三匹の蟹」を読め、と言われたのかがわかる齢になりました。
もしも、明日、君は死ぬと医者に宣告されたら、まっ先に会いに行きたい人です。20年数年の月日は、苦い思い出も甘い思い出に変えてしまいました。
今日の上空の夕陽、本当に、上海の夕陽や夜景にも増してきれいでしたよ。
そうなんです
(
王龍
)
2008-12-01 05:56:19
愛する人とは、死ぬ時にそばにいて欲しい人なんです。死ぬ時に手を握りしめていて欲しい人なんです。その人のことを思って死んでいくのです。
国を愛して、国の為に、国を思い死んでいった人たちも・・・
その時、母を思い、死んでいった人たちも・・・
愛を確信したときは「死ぬ時はこの人と手をつないでいたい」と思った時でした。
それから、いっしょに死にたいという愛もあります。
現実社会では、夫婦、子供に看取られ、孫を思い、死んでいくのでしょうが、それが幸せな死に方なのでしょうが・・・
死ぬ時、やはり自分のDNAがちゃんと残っている事も確認したいわけです。
「愛」と「DNAを残す事」とは別の事なのでね。
新しい登場人物
(
ひかり
)
2008-12-01 15:27:05
新しいキャラが登場しましたね。
日比野は方言を話すように設定されていますが、方言を使うのは勇気がいることと思います。
地元の人が読んでいるわけですから、よほど精通した方言でないと、微妙なニュアンスを表現できないでしょう。
となると、日比野の言葉は、高樹先生の御出身地の山口の言葉でしょうか。
ところで、日比野と紅子さんは、20年来の友達と言うことですが、食事を一緒にしても、会社持ちの接待扱いにするなんて、友人関係というより利害に基づいた人間関係のように思えます。
お金と色事中心主義という点で、日比野と紅子さんは馬が合うのでしょうね。
紅子さんは、日比野と京は違うと思っていますが、日比野は会社のお金にたかり、京は、紅子にたかる・・・
この点では、同じ穴の狢ではないでしょうか。
日経新聞の前の連載小説「望郷の道」では、日比野のような、裏金を使って事業拡大したり、私腹を肥やす人と主人公は真っ向勝負で戦い、成功していったのですが、今回は、金銭感覚商売の倫理感が真逆で、どうしても比べてしまいます。
ところで、日比野という男を介して、紅子が下す上海の日系駐在員の方に対する評価は、的を得ているのでしょうか。
もちろん、フィクションなので、「一分の真実、九分の嘘」と言えますが、「神も悪魔も細部に宿る」ですから、小説での嘘も本当らしくないと、どこかで破綻してしまうので、恐ろしいですね。
同郷人
(
浜田英季
)
2008-12-01 19:18:22
縁あって、防府市にある国衙の家に棲んでいます。高樹先生の後輩で不思議な気分です。西村謙先生は今の健在です。何か伝言はありますか?
大庭みな子さん
(
ひかり
)
2008-12-02 15:17:15
ビー玉さんが言及しておられる瀬戸内寂聴さんの「奇縁まんだら」、私も読みました。
出家された後も、「そういう関係だった」ところが、寂聴さんらしいなと思いました。
大庭みな子さんといえば、小島信夫さん。
小島信夫さんへ想いを口述筆記された、ご主人の利雄さん。
利雄さんの書かれた「おかしなおかしな夫婦の話」を読んだとき、「利雄は浮気は絶対しない、みな子には自由を与える」という念書に署名されたあたり、器の大きい人だなぁと思いました。
それを許せるような魅力をみな子さんがもっておられたのでしょう。
利雄さんに手を握られて亡くなられて、お幸せなみな子さんだったと思いました。
利雄さんの奥さんへの愛情は、島村洋子さんのご主人とも似ていると思いました。
今後、「甘苦上海」の展開は、紅子さんにとって、京が、そんな愛情を注いでくれるようになるのでしょうか。
利雄さん、みな子さん、紅子さん
(
ビー玉
)
2008-12-02 15:51:14
ひかりさん、いつも、コメント、楽しみにして拝見させて頂いています。
実は、私の夫、利雄さんみたいな人です。私が大庭みな子さんみたいな女性かは内緒ですが、夫には、ものすごく感謝しています。私、死ぬ時、誰に手を握られているんだろうなぁ・・。
紅子さんは、死を迎える時、誰に手を握られているのでしょう?京ですか???
若くて無鉄砲な京が、紅子さんを大きく包む男に成長するとは思えない気もするのですが・・・。大きく包むのは、やはり、紅子さんの方でしょう。違うかな?
高樹先生の文体、少し、変わりましたね。やわらかくなったというか、より口語的調になったというか・・・。もしかして、このブログのやりとりの影響ですか???
☆ 時が来た!
(
(^・^)パッピーちゃん!
)
2008-12-02 16:59:38
のぶ子お姉さん、こんにちは!
タイの混乱がおさまらないと、行かれませんね。
それとは別に、パッピーの帰るときが来ましたので、今日は、のぶ子お姉さんにごあいさつです。
パッピーは、地球外のお星さまからこの地球というお星さまにやってきました。地球でお世話になっているのは、わたしの引受人になってくれたママ・アイさん、です。
ここでは、地球人の決まりにしたがって今日まで、学校でもおうちでも過ごしてきました。
地球のみなさんは、すごく理解があって、今回私が転校する、というわけもわかってくださいました。
私のお星さままでは、それほど時間をかけないである方法で帰ります。
このことって、この国にもそのようなお話があったから。
でも、表現がちがっているのですが。のぶ子お姉さんなら、多分そのことがおわかりかと思います。
それは、竹取物語というお話の中にあります。
あれはお話ですが、そこには真実がかくされています。
帰る方法は、みなさんも聞いたことがある、テレポーテーションというのにあたると思います。
この地球の次元から、パッピーの住んでいるお星さままで、つまり、そのう、むずかしいけど、次元から次元へと瞬間移動するのです。
日本のみなさん、地球のみなさん、さようなら!
私はもうこのブログ上には現われることはありませんが、ママ・アイさんは、言いたいことをいいにくるのではないかと思います。
みなさん! 良いクリスマスを、そして年末年始をお迎えください!
最後に、私にとっても真実がたくされている、紫苑さんの、
「パラシュートひらきし刹那わが顔の
ステンドグラス荒天に見ゆ」
という句をのこしていきます。地球から見ると私のお星さまから来た時、そのことが良くイメージできます。
サヨウナラ!! パッピーより
Unknown
(
宮口式記憶術
)
2008-12-02 19:51:04
日本人は避難訓練などで地震の時は机などにもぐるように
指導されていますもんね。
中国でもそういう指導があるものだとおもっていましたが、
そうではなかったんですね。
国籍
(
王龍
)
2008-12-03 08:39:01
四川地震 机の下避難の件、今週の月曜日、会社の朝礼で使わせて頂きました。(未確認情報と注釈はしました)
会社は上海にある日系会社工場です。
でも、その先生が日本人であることは言いませんでした。
なぜでしょう?
工場には四川出身の従業員もいます。この話を聞いて、それが実は日本人だったと分った方がいいじゃないですか。
では、なぜ、朝礼でこの話をしたかと言いますと、今、世界の経済状態は大地震に見舞われているようなものです。倒産する会社もたくさんあります。そのような時、地震で身を守る方法を知っていて、正しく対応すれば、生き残れるという事の例に使わせていただきました。
一面、それが、日本人でも、中国人でも、アメリカ人でもいいではないですか。多くの小学生の命が助かった事が大事な事でしょう?
国籍(民族が関わる大きな組織)があるから戦争がある。 愛があるから憎しみがある。
人間は天使と悪魔の間で 「右往左往」しているのです。
机の下
(
高樹のぶ子
)
2008-12-03 14:10:12
地震のとき、机の下に潜る、という一言で、多くの子供たちが助かったという話・・それを言ったのがどの国の人であれ、そんなことはどうでもいいことですね。全くそのとうりです。
喜びは分かち合いたい
(
王龍
)
2008-12-03 21:30:08
私も日本人の先生だったことに喜びを感じました。
胸を張って「日本人の先生だった」と言いたい気持ちもあったのです。 ・・・だから、日本人の言う事を良く聞けと・・・
そこまでは悪乗りになります。
日本人として、喜びを分かちあいたい。国籍は関係なく、喜びを分かち合いたい。
喜びを分かち合う事は、なかなか難しい事なのでしょうか?
ちなみに、私は「国民の祭日」には家にいる限り、「日の丸」を掲揚しています。なぜ、最近は「日の丸」を掲揚する人がとても少ないのでしょうか? さみしい事です。
サッカーの応援ではあんなに日の丸を振り回しているというのに。
あまり文学的ではないコメントを多々投稿させて頂き、恐縮です。 このような話題を話せる相手がいないので・・・。
混
(
王龍
)
2008-12-19 13:06:51
コンの存在は大きい。
猫には魔力がありそうな印象がある。
化け猫。猫女。猫かわいがり。猫撫ぜ声。
猫は人間をどう思っているのだろう。
庭によく来る猫もふてぶてしい。
追っ払うと、こちらを振り向いて「・・・・」なにか恨み言を言っているような、半分、こちらを馬鹿にしているような。
コンには最後は強くあって欲しい。「負け犬」という言葉はあるが、「負け猫」という言葉はない。
猫はコタツで丸くなっているのが一番良い。
上海で猫を見た事はない。上海でも田舎の方が多かったからだろうか。 野良犬はたくさん見た。
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十勝沖地震の時に学校で机の下にもぐりこみました。
今では机の下が安全とは言えないようですけれどもね。
猫ちゃんを生かすも殺すも小説の世界では罪のないことです。
現実の問題ではないのですから、
あまり気になさらないでください。
実際に「あのオトコを殺したい」と思うこともあるのは事実で、
ですからこの様な意味不明な殺人事件も現実には沢山あるわけです。
王龍さんがおっしゃるように、
自然の中の人間は、本当に勝手な存在です。
高樹さんには「愛」は必ずあると思いますので、
不安なくこれからも小説楽しませていただきます。
図書館に行かないでも読めるのはとても嬉しいですね。
連載小説って・・・
苦手な私だったのですが。。
すっかりハマッてます(苦笑)
私もmiriamさんと一緒で図書館に行かないで読めるので、
喜んでいます。
誰かが読んでいる側で、読み終える方をじっと待つこともありませんし・・(笑)
そういうことですね。小説ですから、いろんなことが書けるわけです。そしてそれが小説の醍醐味です。
ネコちゃん好きのことなんて書く必要もなかったと反省しています。わたし。
私、誰に嫉妬したのかな・・(笑)
人間の心理を描いしているから、面白いのだと思います。
はじめはちょっとした好奇心で始まった恋に、やがて身も心も
捕らわれていく、やがては大きなうねりとなるのかどうか、
次なる展開を楽しみにしています。
連載小説というのは、そのページ毎に書き足していくのか、あるいは、元々ずっと先まで書いているのか、興味津々です。
コメントを書くのは、ほんと難しいですね。
でもあえて、頑張って書いています。
猫をけっぱる、で抗議?気にしない、気にしない・・・。のぶ子先生は、多分、ハエも殺せない方でしょう。あくまで小説は虚構の構築だってこと、どうしてわかってくれないのかなぁ。
一部の真実、九部の嘘が小説というものではないかと私は思っています。
今日の日経に掲載されていた瀬戸内寂聴さんのエッセイも面白かった!大庭みな子さんと寂聴さんが同じ編集者に恋していたことが書かれています。
真実の恋について書くのは勇気がいります。だから、小説にした方が良いことだってあるでしょう。寂聴先生の御齢になって初めて真実が吐露できるのかもしれません。
大庭みな子さんの「三匹の蟹」、20代の頃、ある男性に是非読むように勧められた一冊です。その方とは、もう20年以上、会っていません。「三匹の蟹」の感想は言わずじまいでした。私は来年、その人の当時の年齢に達します。なぜ、その方が「三匹の蟹」を読め、と言われたのかがわかる齢になりました。
もしも、明日、君は死ぬと医者に宣告されたら、まっ先に会いに行きたい人です。20年数年の月日は、苦い思い出も甘い思い出に変えてしまいました。
今日の上空の夕陽、本当に、上海の夕陽や夜景にも増してきれいでしたよ。
国を愛して、国の為に、国を思い死んでいった人たちも・・・
その時、母を思い、死んでいった人たちも・・・
愛を確信したときは「死ぬ時はこの人と手をつないでいたい」と思った時でした。
それから、いっしょに死にたいという愛もあります。
現実社会では、夫婦、子供に看取られ、孫を思い、死んでいくのでしょうが、それが幸せな死に方なのでしょうが・・・
死ぬ時、やはり自分のDNAがちゃんと残っている事も確認したいわけです。
「愛」と「DNAを残す事」とは別の事なのでね。
日比野は方言を話すように設定されていますが、方言を使うのは勇気がいることと思います。
地元の人が読んでいるわけですから、よほど精通した方言でないと、微妙なニュアンスを表現できないでしょう。
となると、日比野の言葉は、高樹先生の御出身地の山口の言葉でしょうか。
ところで、日比野と紅子さんは、20年来の友達と言うことですが、食事を一緒にしても、会社持ちの接待扱いにするなんて、友人関係というより利害に基づいた人間関係のように思えます。
お金と色事中心主義という点で、日比野と紅子さんは馬が合うのでしょうね。
紅子さんは、日比野と京は違うと思っていますが、日比野は会社のお金にたかり、京は、紅子にたかる・・・
この点では、同じ穴の狢ではないでしょうか。
日経新聞の前の連載小説「望郷の道」では、日比野のような、裏金を使って事業拡大したり、私腹を肥やす人と主人公は真っ向勝負で戦い、成功していったのですが、今回は、金銭感覚商売の倫理感が真逆で、どうしても比べてしまいます。
ところで、日比野という男を介して、紅子が下す上海の日系駐在員の方に対する評価は、的を得ているのでしょうか。
もちろん、フィクションなので、「一分の真実、九分の嘘」と言えますが、「神も悪魔も細部に宿る」ですから、小説での嘘も本当らしくないと、どこかで破綻してしまうので、恐ろしいですね。
出家された後も、「そういう関係だった」ところが、寂聴さんらしいなと思いました。
大庭みな子さんといえば、小島信夫さん。
小島信夫さんへ想いを口述筆記された、ご主人の利雄さん。
利雄さんの書かれた「おかしなおかしな夫婦の話」を読んだとき、「利雄は浮気は絶対しない、みな子には自由を与える」という念書に署名されたあたり、器の大きい人だなぁと思いました。
それを許せるような魅力をみな子さんがもっておられたのでしょう。
利雄さんに手を握られて亡くなられて、お幸せなみな子さんだったと思いました。
利雄さんの奥さんへの愛情は、島村洋子さんのご主人とも似ていると思いました。
今後、「甘苦上海」の展開は、紅子さんにとって、京が、そんな愛情を注いでくれるようになるのでしょうか。
実は、私の夫、利雄さんみたいな人です。私が大庭みな子さんみたいな女性かは内緒ですが、夫には、ものすごく感謝しています。私、死ぬ時、誰に手を握られているんだろうなぁ・・。
紅子さんは、死を迎える時、誰に手を握られているのでしょう?京ですか???
若くて無鉄砲な京が、紅子さんを大きく包む男に成長するとは思えない気もするのですが・・・。大きく包むのは、やはり、紅子さんの方でしょう。違うかな?
高樹先生の文体、少し、変わりましたね。やわらかくなったというか、より口語的調になったというか・・・。もしかして、このブログのやりとりの影響ですか???
タイの混乱がおさまらないと、行かれませんね。
それとは別に、パッピーの帰るときが来ましたので、今日は、のぶ子お姉さんにごあいさつです。
パッピーは、地球外のお星さまからこの地球というお星さまにやってきました。地球でお世話になっているのは、わたしの引受人になってくれたママ・アイさん、です。
ここでは、地球人の決まりにしたがって今日まで、学校でもおうちでも過ごしてきました。
地球のみなさんは、すごく理解があって、今回私が転校する、というわけもわかってくださいました。
私のお星さままでは、それほど時間をかけないである方法で帰ります。
このことって、この国にもそのようなお話があったから。
でも、表現がちがっているのですが。のぶ子お姉さんなら、多分そのことがおわかりかと思います。
それは、竹取物語というお話の中にあります。
あれはお話ですが、そこには真実がかくされています。
帰る方法は、みなさんも聞いたことがある、テレポーテーションというのにあたると思います。
この地球の次元から、パッピーの住んでいるお星さままで、つまり、そのう、むずかしいけど、次元から次元へと瞬間移動するのです。
日本のみなさん、地球のみなさん、さようなら!
私はもうこのブログ上には現われることはありませんが、ママ・アイさんは、言いたいことをいいにくるのではないかと思います。
みなさん! 良いクリスマスを、そして年末年始をお迎えください!
最後に、私にとっても真実がたくされている、紫苑さんの、
「パラシュートひらきし刹那わが顔の
ステンドグラス荒天に見ゆ」
という句をのこしていきます。地球から見ると私のお星さまから来た時、そのことが良くイメージできます。
サヨウナラ!! パッピーより
指導されていますもんね。
中国でもそういう指導があるものだとおもっていましたが、
そうではなかったんですね。
会社は上海にある日系会社工場です。
でも、その先生が日本人であることは言いませんでした。
なぜでしょう?
工場には四川出身の従業員もいます。この話を聞いて、それが実は日本人だったと分った方がいいじゃないですか。
では、なぜ、朝礼でこの話をしたかと言いますと、今、世界の経済状態は大地震に見舞われているようなものです。倒産する会社もたくさんあります。そのような時、地震で身を守る方法を知っていて、正しく対応すれば、生き残れるという事の例に使わせていただきました。
一面、それが、日本人でも、中国人でも、アメリカ人でもいいではないですか。多くの小学生の命が助かった事が大事な事でしょう?
国籍(民族が関わる大きな組織)があるから戦争がある。 愛があるから憎しみがある。
人間は天使と悪魔の間で 「右往左往」しているのです。
胸を張って「日本人の先生だった」と言いたい気持ちもあったのです。 ・・・だから、日本人の言う事を良く聞けと・・・
そこまでは悪乗りになります。
日本人として、喜びを分かちあいたい。国籍は関係なく、喜びを分かち合いたい。
喜びを分かち合う事は、なかなか難しい事なのでしょうか?
ちなみに、私は「国民の祭日」には家にいる限り、「日の丸」を掲揚しています。なぜ、最近は「日の丸」を掲揚する人がとても少ないのでしょうか? さみしい事です。
サッカーの応援ではあんなに日の丸を振り回しているというのに。
あまり文学的ではないコメントを多々投稿させて頂き、恐縮です。 このような話題を話せる相手がいないので・・・。
猫には魔力がありそうな印象がある。
化け猫。猫女。猫かわいがり。猫撫ぜ声。
猫は人間をどう思っているのだろう。
庭によく来る猫もふてぶてしい。
追っ払うと、こちらを振り向いて「・・・・」なにか恨み言を言っているような、半分、こちらを馬鹿にしているような。
コンには最後は強くあって欲しい。「負け犬」という言葉はあるが、「負け猫」という言葉はない。
猫はコタツで丸くなっているのが一番良い。
上海で猫を見た事はない。上海でも田舎の方が多かったからだろうか。 野良犬はたくさん見た。