コメント
やんごとなき
(
い ち い
)
2010-01-18 11:27:15
キーワード:式子内親王、子が付く名前、紫式部、上賀茂神社、片岡神社、京都、禰宜、国宝、北山杉、信子、聖なる女子・・
本日のブログ。一杯詰まっていました!
昨今、女子では「子」離れが続いているんですね。
陽菜、 葵、 さくら、 美咲 などが人気とか。
一と了
(
Gc
)
2010-01-18 11:29:43
寒中お見舞い申し上げます。
私も子の付く名前が好きです。
子の成り立ちが一から了・・生まれてから死ぬまでと聞きました。
素敵な字だですよね。
新子ちゃんは、ご本名からですよね?w
国民読書年
(
夢の中へ
)
2010-01-18 14:18:00
上賀茂神社は寒いでしょうね。(もう一方は、下鴨神社です。)
暖かくなれば、賀茂川(鴨川ではなく)の川原を、地下鉄の北山まで少しウォーキングがお勧めですね。
今出川から、冷泉家・同志社大・御所、東に行けば、京都大学・銀閣寺・哲学の道・南禅寺(湯豆腐?)もいいですね。
和歌や文学も京(ケイではなく)という土地の自然・人々の暮らしの中で磨かれてきたように思われます。
文化を伝承してきたものは、紙ではなく「民衆」という媒体でしょうね。
最近、またスピーチライティングの仕事が多くなってきましたが、さわりの部分で「和歌」を話し言葉にしたりして楽しんでいます。(和歌ってるかなぁ?って、内輪で冗談言ってます)
さて、本年は、「国民読書年」ですね。
2000年の「子ども読書年」に引き続き、2008年の国会決議で採択されとのこと。
読書年早々、芥川賞の受賞者がなしとのこと。文藝春秋3月号の掲載もないのですねぇ。とても寂しく残念に思います。
いろいろ事情があっての結果と思いますが、作家の登竜門であるならば、複数(読書年ということで)でも選んであげたらいいのにと思います。
無名な作家を後押しするとともに、文学への関心を高めていただきたいと思います。
一時、当ブログでも(ちょっと厳しい)話題になっていましたが、不登校・引きこもり・非行(すぐキレル)などは、いろんな事情はあると思いますが、やはり「言語能力」に問題があり、的確な相互のコミュニケーション(送受信ともに)が図られず、意を伝えられないもどかしさが影響しているものと思われます。
表現力が高まるとスポーツの成績も確実に上がるようです。ある指導者は、毎日3分間でできるだけ多くの文字を書かせたところ、文字数の増加に伴って成績が伸び、日本一を輩出したようです。言語能力が「人間力」を高めるのでしょう。
一人ひとりの言語能力が高まり、文化に関心が高まるような作品やSIA活動等を通じてのご活躍を期待しています。
聖なる女子?
(
崖
)
2010-01-18 15:02:45
こんにちは。
快晴で昨夜は放射冷却で冷え込みました。
皆さまお元気でしょうか?
芥川賞については新人登竜門の候補作に、二人で執筆したものや、単なる覆面作家のものを、文藝春秋担当者達が選択したことには呆れました。
ところで式子内親王は内親王で恋も結婚もご法度、それゆえ凄いエネルギーですね。
聖なる女子と云うより、現代の穀潰し女子だったと思います。
もう一つ。
「恋ひ恋ひてよし見よ世にもあるべしといひしにあらず君も聞(きく)らん」
(あなたのことが好きで好きでたまらないの。
私の気持ちは前に申し上げたとおりでございま
す。
でも、わたしがあなたを好きだということを他の人に知られることを許されないのです。
この恋が成就しない運命であるならば、わたしはもはや生きながらえようとは思いません。
どうぞ見定めてください。私は恋に死にます。)
わっ!?元、聖なる女子?
都
(
しづ
)
2010-01-18 16:15:57
京都、懐かしいです。学生時代に住んでいました。
車で移動すると分かりづらいかもしれませんが、北山の方角に向かってなだらかに登っていきます。自転車だとよくわかりますね。
神社の中は特に体感温度も1、2度低く感じます。
私の名前には子はつきませんが、都がつきます。
京都に来た頃は、名前の通り都を志して来たんだわ!なんて言ってました。就職がうまくいかずUターン就職が決まった時は自嘲気味に都落ちだわ…なんて言ってました。
今になってみると、今住んでいる場所が私の居場所、住めば都でございます。お後がよろしいようで…。
肉食女子
(
サイヤ
)
2010-01-18 16:26:21
式子内親王の相手は歌の師匠の息子、藤原定家だったとかネットサーフィンしてるとありました。
彼は大体ひと回り下。まるで紅子さんと京みたいですね。
定家は百人一首を編んだひととか。
芥川賞の審査委員である先生を恋愛対象にした作品を応募するような若者をどう評価するかって図ですかね。
「玉の緒よ~」という歌は素敵だけど、その良さが分かる世相ではない気がします。世の中、男は草食系、女が肉食系ですもの。
思えば女性にとっては良い時代になったものかと。。でも葛藤のない世の文学は廃れそう。
Unknown
(
ROCK
)
2010-01-18 18:58:02
Heart Of Mine , Be Still (僕の心をさわがせないで)
って素晴らしくせつない Bob Dylan の名曲を思い出し、素敵な気分になりました。
皆さんありがとうございます。
禰宜(ねぎ)とは、神職の職称(職名)の一つである。今日では、一般神社では宮司の下位、権禰宜の上位に置かれ、宮司を補佐する者の職称となっている。
禰宜の語源は「和ませる」の意味の古語「ねぐ」であり、神の心を和ませてその加護を願うという意味である。古代には、神に祈請を行う者、祭祀に専従する者を指した。古制では神主の下位、祝(ほうり)の上位に置かれ、また、神職の総称とされたこともあった。賀茂神社、松尾社、日吉社、平野社では禰宜は第一の神職とされ、香取神宮、鹿島神宮ではその上に大禰宜が置かれた。明治時代以降は、伊勢神宮と官国幣社に禰宜が置かれた。第二次世界大戦後、全ての神社に禰宜を置く現在の制度になった。
国衙再発掘
(
浜田英季
)
2010-01-18 21:09:36
まだ2010年が始まったばかりですが、来年から「国衙公園」が再発掘されるそうです。マイマイ新子は素晴らしい年の取り方をされましたね。今の先生が一番素敵です。「老虎再来(ろこさいらい)」は意外と早くなると思います。3月のSIAが楽しみです。
選評
(
樹のぶ子
)
2010-01-18 22:04:07
このブログをやっていると、いろいろ知らないことを教えてもらえて、嬉しいです。
子の字は一と了で成り立っている・・
藤原定家は式子内親王より一回り若い・・
なるほどなるほど。そうでしたか。
ところで式子内親王の和歌と紫式部の和歌を比べると、この二首に関しては、紫式部の負けって感じがします。
恋情において、紫式部は客観的というか距離がある。
ため息の熱さが伝わってこない。
やはり紫式部は小説家なんですね。どこか冷徹。
芥川賞の選評を書いていますが、受賞作なしの選評は難しいです。
けれど今回は、普遍的な問題が見えてきた回だったようにも思います。
小説家・・・
(
miriam
)
2010-01-18 22:42:50
>恋情において、紫式部は客観的というか距離がある。
>ため息の熱さが伝わってこない。
>やはり紫式部は小説家なんですね。どこか冷徹。
高樹さんはどうなのでしょう~?
私には、
ため息の熱さも伝わってきていますし、
客観的でありながらある意味リアルでもあります。
高樹さんも小説家ですよね・・・
どこか冷徹なのでしょうか~?
私は源氏物語の旅をしたことがありますよ。
私は、つまらない占いで自分が「浮舟」とのことでしたので・・
妙に納得しながら、
いろいろ「浮舟」について知りたくなりました(苦笑)
ぜひ自分の事を知りたいと思って京都を訪ねてみたことがありますが・・
私は紫式部の世界を充分に楽しませてもらいましたよ♪
恋愛感情に・・・
きっと勝ち負けは無いと思います。
どんなに不器用でも・・・
恋愛は恋愛。
恋情に「ものさし」は無いのではないでしょうかね。。
「ため息」が・・・
おもわずこぼれてしまうのが、
「恋」なのかなぁ~~?
いまだに私、
「恋」と「愛」の区別がついておりません。。
法然
(
崖
)
2010-01-18 23:02:34
高樹さんが取り上げられた「玉の緒よ~」はついては残念ながら、13年下の定家に対しての歌ではなく、
当時15才年上の時の人だった、浄土宗興祖の法然だった可能性が、近年の式子内親王の出生年の発見で有力です。
法然は岡山・美作の出自。
資料に法然に対しての俗人の帰依者・庇護者としては、九条(藤原)兼実・宇都宮頼綱らが著名である。
この九条兼実に式子内親王が天皇から相続した御殿を、舐められて横取りされていたのを、
法然が裏で画策を謀り九条兼実らを、落としめて取り返して上げた可能性が有ります。
式子内親王は実権は失くしていた皇族達の一人、時の人に身の安全を求めたと考えます。
尚、下の句の
「忍ぶることのよわりもぞする」
(だってこんなに体が辛くて弱り、貴方を忍ぶ心さえも、失ってしまいそうだもの)
といったちょっと深刻な意味合いらしいです。
Unknown
(
げんき
)
2010-01-19 09:44:26
毎日寒いですね♪
体調は大丈夫でしょうか
がんばりましょう(^-^)
ご無沙汰しています
(
夾竹桃
)
2010-01-19 14:50:54
一度書きそびれてしまうと
なかなかコメントしづらくなりますね。
すっかりロムしてた頃に戻ってしまってました。
京都を和歌や源氏物語を巡って
旅をするなんて素敵ですね。
古都とはいえ京都は何度も
戦乱に巻き込まれたと聞いていますから
その度に再生を繰り返した来た町でもあるのでしょう。
京都の地名にはそうした生々しい
人々の情や念を宿したものも多いとか。。。
慕情や恋情ならいいですが
怨念とか宿した地名なら
少し怖いですよね。
今回芥川賞は該当作なしということでしたが
高樹さんをはじめそれぞれの作家の方の
選評が気になります。
薄幸なる女子
(
崖
)
2010-01-20 03:25:18
式子内親王は21才で病(ノイローゼらしい)のために帰俗しています。
内親王は見合った皇族との結婚は許されていましたが、
しかし内親王には見合ったご相手がいなかったそうです。
殆どの有力な皇族男子の后には、いろいろと力のある有力な藤原家から入ったそうです。
才媛だった式子内親王は26才の頃も体調を崩したりと、余程家庭を持ちたかったのでしょう。
40代後半には乳癌を患い52才で亡くなっています。
闘病末期の頃の法然から返した書状はこのような内容でした。
「ご体調がすぐれないとのことで、お招きの通り参上すればよいとも思いましたが、お会いすれば、臨終の善知識になるどころか、亡骸に執着する心の迷いがでてしまいかねません。ついては、この世での対面よりも、お念仏をお励みになって、浄土で待とうとお考えください」
法然と式子内親王は20代から面識が有ったようです。
女の子
(
satoko
)
2010-01-22 07:15:14
実は、私も子が付きませんので、
子に憧れます。
式子内親王の記事、興味深く読ませていただきました。
源氏物語にも、内親王の話は余り出てきませんね。そういえば。身分が高すぎて恋すらもご法度だったのかも知れないと思いました。
その代わり、男子親王は恋も賑やかですね。
紫式部が宮中で見た恋の数々、女性たちの恨みや妬み、おお、こわっと、思うことが多いですが、それが恋の醍醐味なんでしょうね。
恋の勝利者になってみたい。
朝から意味不明の文章で、すみません(
)
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本日のブログ。一杯詰まっていました!
昨今、女子では「子」離れが続いているんですね。
陽菜、 葵、 さくら、 美咲 などが人気とか。
私も子の付く名前が好きです。
子の成り立ちが一から了・・生まれてから死ぬまでと聞きました。
素敵な字だですよね。
新子ちゃんは、ご本名からですよね?w
暖かくなれば、賀茂川(鴨川ではなく)の川原を、地下鉄の北山まで少しウォーキングがお勧めですね。
今出川から、冷泉家・同志社大・御所、東に行けば、京都大学・銀閣寺・哲学の道・南禅寺(湯豆腐?)もいいですね。
和歌や文学も京(ケイではなく)という土地の自然・人々の暮らしの中で磨かれてきたように思われます。
文化を伝承してきたものは、紙ではなく「民衆」という媒体でしょうね。
最近、またスピーチライティングの仕事が多くなってきましたが、さわりの部分で「和歌」を話し言葉にしたりして楽しんでいます。(和歌ってるかなぁ?って、内輪で冗談言ってます)
さて、本年は、「国民読書年」ですね。
2000年の「子ども読書年」に引き続き、2008年の国会決議で採択されとのこと。
読書年早々、芥川賞の受賞者がなしとのこと。文藝春秋3月号の掲載もないのですねぇ。とても寂しく残念に思います。
いろいろ事情があっての結果と思いますが、作家の登竜門であるならば、複数(読書年ということで)でも選んであげたらいいのにと思います。
無名な作家を後押しするとともに、文学への関心を高めていただきたいと思います。
一時、当ブログでも(ちょっと厳しい)話題になっていましたが、不登校・引きこもり・非行(すぐキレル)などは、いろんな事情はあると思いますが、やはり「言語能力」に問題があり、的確な相互のコミュニケーション(送受信ともに)が図られず、意を伝えられないもどかしさが影響しているものと思われます。
表現力が高まるとスポーツの成績も確実に上がるようです。ある指導者は、毎日3分間でできるだけ多くの文字を書かせたところ、文字数の増加に伴って成績が伸び、日本一を輩出したようです。言語能力が「人間力」を高めるのでしょう。
一人ひとりの言語能力が高まり、文化に関心が高まるような作品やSIA活動等を通じてのご活躍を期待しています。
快晴で昨夜は放射冷却で冷え込みました。
皆さまお元気でしょうか?
芥川賞については新人登竜門の候補作に、二人で執筆したものや、単なる覆面作家のものを、文藝春秋担当者達が選択したことには呆れました。
ところで式子内親王は内親王で恋も結婚もご法度、それゆえ凄いエネルギーですね。
聖なる女子と云うより、現代の穀潰し女子だったと思います。
もう一つ。
「恋ひ恋ひてよし見よ世にもあるべしといひしにあらず君も聞(きく)らん」
(あなたのことが好きで好きでたまらないの。
私の気持ちは前に申し上げたとおりでございま
す。
でも、わたしがあなたを好きだということを他の人に知られることを許されないのです。
この恋が成就しない運命であるならば、わたしはもはや生きながらえようとは思いません。
どうぞ見定めてください。私は恋に死にます。)
わっ!?元、聖なる女子?
車で移動すると分かりづらいかもしれませんが、北山の方角に向かってなだらかに登っていきます。自転車だとよくわかりますね。
神社の中は特に体感温度も1、2度低く感じます。
私の名前には子はつきませんが、都がつきます。
京都に来た頃は、名前の通り都を志して来たんだわ!なんて言ってました。就職がうまくいかずUターン就職が決まった時は自嘲気味に都落ちだわ…なんて言ってました。
今になってみると、今住んでいる場所が私の居場所、住めば都でございます。お後がよろしいようで…。
彼は大体ひと回り下。まるで紅子さんと京みたいですね。
定家は百人一首を編んだひととか。
芥川賞の審査委員である先生を恋愛対象にした作品を応募するような若者をどう評価するかって図ですかね。
「玉の緒よ~」という歌は素敵だけど、その良さが分かる世相ではない気がします。世の中、男は草食系、女が肉食系ですもの。
思えば女性にとっては良い時代になったものかと。。でも葛藤のない世の文学は廃れそう。
って素晴らしくせつない Bob Dylan の名曲を思い出し、素敵な気分になりました。
皆さんありがとうございます。
禰宜(ねぎ)とは、神職の職称(職名)の一つである。今日では、一般神社では宮司の下位、権禰宜の上位に置かれ、宮司を補佐する者の職称となっている。
禰宜の語源は「和ませる」の意味の古語「ねぐ」であり、神の心を和ませてその加護を願うという意味である。古代には、神に祈請を行う者、祭祀に専従する者を指した。古制では神主の下位、祝(ほうり)の上位に置かれ、また、神職の総称とされたこともあった。賀茂神社、松尾社、日吉社、平野社では禰宜は第一の神職とされ、香取神宮、鹿島神宮ではその上に大禰宜が置かれた。明治時代以降は、伊勢神宮と官国幣社に禰宜が置かれた。第二次世界大戦後、全ての神社に禰宜を置く現在の制度になった。
子の字は一と了で成り立っている・・
藤原定家は式子内親王より一回り若い・・
なるほどなるほど。そうでしたか。
ところで式子内親王の和歌と紫式部の和歌を比べると、この二首に関しては、紫式部の負けって感じがします。
恋情において、紫式部は客観的というか距離がある。
ため息の熱さが伝わってこない。
やはり紫式部は小説家なんですね。どこか冷徹。
芥川賞の選評を書いていますが、受賞作なしの選評は難しいです。
けれど今回は、普遍的な問題が見えてきた回だったようにも思います。
>ため息の熱さが伝わってこない。
>やはり紫式部は小説家なんですね。どこか冷徹。
高樹さんはどうなのでしょう~?
私には、
ため息の熱さも伝わってきていますし、
客観的でありながらある意味リアルでもあります。
高樹さんも小説家ですよね・・・
どこか冷徹なのでしょうか~?
私は源氏物語の旅をしたことがありますよ。
私は、つまらない占いで自分が「浮舟」とのことでしたので・・
妙に納得しながら、
いろいろ「浮舟」について知りたくなりました(苦笑)
ぜひ自分の事を知りたいと思って京都を訪ねてみたことがありますが・・
私は紫式部の世界を充分に楽しませてもらいましたよ♪
恋愛感情に・・・
きっと勝ち負けは無いと思います。
どんなに不器用でも・・・
恋愛は恋愛。
恋情に「ものさし」は無いのではないでしょうかね。。
「ため息」が・・・
おもわずこぼれてしまうのが、
「恋」なのかなぁ~~?
いまだに私、
「恋」と「愛」の区別がついておりません。。
当時15才年上の時の人だった、浄土宗興祖の法然だった可能性が、近年の式子内親王の出生年の発見で有力です。
法然は岡山・美作の出自。
資料に法然に対しての俗人の帰依者・庇護者としては、九条(藤原)兼実・宇都宮頼綱らが著名である。
この九条兼実に式子内親王が天皇から相続した御殿を、舐められて横取りされていたのを、
法然が裏で画策を謀り九条兼実らを、落としめて取り返して上げた可能性が有ります。
式子内親王は実権は失くしていた皇族達の一人、時の人に身の安全を求めたと考えます。
尚、下の句の
「忍ぶることのよわりもぞする」
(だってこんなに体が辛くて弱り、貴方を忍ぶ心さえも、失ってしまいそうだもの)
といったちょっと深刻な意味合いらしいです。
体調は大丈夫でしょうか
がんばりましょう(^-^)
なかなかコメントしづらくなりますね。
すっかりロムしてた頃に戻ってしまってました。
京都を和歌や源氏物語を巡って
旅をするなんて素敵ですね。
古都とはいえ京都は何度も
戦乱に巻き込まれたと聞いていますから
その度に再生を繰り返した来た町でもあるのでしょう。
京都の地名にはそうした生々しい
人々の情や念を宿したものも多いとか。。。
慕情や恋情ならいいですが
怨念とか宿した地名なら
少し怖いですよね。
今回芥川賞は該当作なしということでしたが
高樹さんをはじめそれぞれの作家の方の
選評が気になります。
内親王は見合った皇族との結婚は許されていましたが、
しかし内親王には見合ったご相手がいなかったそうです。
殆どの有力な皇族男子の后には、いろいろと力のある有力な藤原家から入ったそうです。
才媛だった式子内親王は26才の頃も体調を崩したりと、余程家庭を持ちたかったのでしょう。
40代後半には乳癌を患い52才で亡くなっています。
闘病末期の頃の法然から返した書状はこのような内容でした。
「ご体調がすぐれないとのことで、お招きの通り参上すればよいとも思いましたが、お会いすれば、臨終の善知識になるどころか、亡骸に執着する心の迷いがでてしまいかねません。ついては、この世での対面よりも、お念仏をお励みになって、浄土で待とうとお考えください」
法然と式子内親王は20代から面識が有ったようです。
子に憧れます。
式子内親王の記事、興味深く読ませていただきました。
源氏物語にも、内親王の話は余り出てきませんね。そういえば。身分が高すぎて恋すらもご法度だったのかも知れないと思いました。
その代わり、男子親王は恋も賑やかですね。
紫式部が宮中で見た恋の数々、女性たちの恨みや妬み、おお、こわっと、思うことが多いですが、それが恋の醍醐味なんでしょうね。
恋の勝利者になってみたい。
朝から意味不明の文章で、すみません()