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花眼 ()
2007-12-05 18:26:41



私は恐らく20代迄は裸眼視力1.5以上でしたが、現在は運転免許に必要な視力ぎりぎりです。
女性や風景や花を見て昔より奇麗に見えてるかもしれません。(笑)

上海にお出ででしたら、確認して戴きたいのですが、[老眼]の文字を中国語では[花眼]と表記するそうです。

8年前にお坊さんから聞きました。
多分、余りハッキリ見えない方が美しく感じる様です。
[アバタもエクボ]に近い幻想現象でしょう。

お陰で昔より、花を眺めるのが好きになりました。
非常に地味なフジバカマが、未だ沢山咲いていますが奇麗です。
美人とか奇麗とか少し使い過ぎたたのも
反省しないと・・・(?)

           




 
 
 
齢を重ねる歓び (ビー玉)
2007-12-05 18:30:01
人はとかく、齢を重ねることを恐れがちですよね。齢をとるごとに、心身共に衰えていく恐怖を感じるからでしょうか。

毎日、明日はきっといいことがある!あさってこそは、きっと!と思って生きても、なかなか思うようにはならず・・・。私なんぞ、齢ふるごとに不幸せばかりが増えていくような気がしています。日々、幸せには鈍感になり・・・。今日もまた、人前で泣かざるをえないような哀しい出来事に遭遇してしまいました。齢ふるごとに不幸せばかりに敏感になるような気がしていたところへ、このトークブログ!

齢をとると五感が冴えるって?いい話ですね。

日野原先生の御講演は、仕事先で二回ほど拝聴したことがあります。こんなふうに齢を重ねられたらいいのになぁ~と思いました。

高樹先生も、齢を重ねる度にきれいになられるような気がするのですが・・・。

齢を重ねる歓びを知っている人の生き方にふれると、なぜだか元気になります。


 
 
 
お手本 (いちい)
2007-12-05 23:04:41
日野原氏は、クリスチャンドクターとして、お手本のような方なのかもしれません。ずっと以前、専門学校の講師をしていたとき、聖路加看護大病院へ生徒を連れて見学にいったことがあります。他の大学病院も授業の一環で回りましたが。

腹は空いているくらいがいい。高齢になると消化能力が落ちるので、消化の良い流動食みたいなもので、たとえば朝は牛乳と肌に潤いを与える菜種油のようなものを少々とか、工夫して生活していらっしゃるのですね。いくつになっても現役で診療。
階段も二つずつ上るとか。

そうですね、年とともに草木が美しく見えます。春の桜も、愛でてくれる人がいたほうが張り合いがあるでしょう。木の下で、きれいだね、といってもらえたほうが。
来年も桜が見られるといいですね。人生、思わぬことも起きるものですから。
美しい日本の四季。温暖化で四季がなくなることがないようにアッピールしましょう!
体力は衰えても(耳が遠くなるのも自然のこと)、せめて感性だけは滅びませんように!

     
 
 
 
転載致しました。。。 (T.S.)
2007-12-06 08:29:19
転載致しました。
休日に拝聴致します。。。
感想等があればその際に触れさせて頂きます。。。
By T.S. on 6th Dec., 2007
 
 
 
生理的五感以外の感覚はあるのか? (ピース・りヴァー)
2007-12-06 12:33:10
高樹さん、今日はすばらしいことを言われましたね。わが意を得たり、です。

生理的五感以外の感覚はあるのか。果たしてそれが感覚という言葉でいえるのかどうかは別として、僕はあると断言します。僕はそれを生命感覚と呼びたいですね。これは人間存在にとっては、根本的な感覚で、極端に言えば、五つの生理的感覚が全部閉ざされたとしても、この感覚さえ、しっかりしていれば、立派な人間といえるし、反対に、たとえ生理的五感がどんなに鋭くても、この生命感覚が、鈍い人は、人間としては、危ない存在だといえます。

ではこの生命感覚とは何か。一言で言えば、限りない知性(知識ではない)と限りない慈悲(愛といっても同じです)の融合です。

本来この感覚はすべての人間にそなわっているのですが、それが成長の過程で鈍くなったしまった、ということのようです(これの鍵を握るのは、僕の研究では、受胎から三歳ぐらいまでの母の愛です)。

それで一旦鈍くなってしまったこの感覚を鋭敏にするには、どうしたらいいか。
これは、我々凡人には並大抵ではできないことですが、思考を放棄する、ことのようです。これはどこかで、高樹さんもおっしゃっていましたね。でも完全に放棄することは不可能ですから、思考に重点を置かない、といえば実効可能なように思われます。

『クリシュナムルティの日記』(宮内勝典訳)という本の中に次のような一節があります。
「思考が思いめぐらすことを現実に変えることができたとしても、それは真実ではない。思考が表現するものは決して美ではありえない。一羽の鳥は思考によって造られたものではない。だから、美しいのだ。愛は思考では形成できない。もしそうだとすれば、愛はまったく異なるものになる。(中略)思考は、慈悲を製造することはできない。思考は現実や必要なものをつくりだせるが、慈悲ではない。」

思考を去るということは、頭(頭脳)を去る、ということですが、頭脳を去ってどこへ行くのか。下へおり下るのです。すると何があるか。まず心臓があります。そうです、ハートです。これによれば慈悲も知性も形成できそうです。そしてしかも男女平等です。男はここまでですが、女性はちがいます。更にその下があります。それは何か。子宮です。もし人間が、意識内部で、過去に無限に遡ることができるとすれば、男の場合は、母の子宮内にいる胎児としての自分です。しかし女性の場合は、子宮内の自分であると同時に、子宮そのものでもあるのです。これが、男性と女性の根本的違いである、と僕は思います。

そして、この子宮こそ、無限の慈悲と無限の知性との殿堂であると、僕は思っています。だから女性(人間)は母であるとき、もっとも偉大であるのです。

そう考えれば、男は、哀しい存在です。だから昔から、男は、自分に都合のよい宗教(キリスト教、イスラム教、仏教においてしかり)や社会を編み出して威張っているのです。その結果が、現在のトータルな危機です。

時間性は自我の根本的属性ですから、これは生命感覚にとっては、障害物にほかなりません、ですから、これが年齢とともに衰えるということは、生命感覚の発現にとってはプラスに作用するのです。生命感覚に、つまり慈悲と知性にとって第一義的に重要なのは、空間だと、クリシュナムルティもいっています。

以上勝手なことを述べましたが、信じるか、信じないかは、読む人の自由です。
 
 
 
[直観]で認識する感受性と発信 (崖揺岩)
2007-12-06 17:35:46



今回のトークブログは高樹さん独特の曖昧さがお有りになります。
昨日は加齢に因る対象物から少し離れた、視覚の変化について述べました。

人間は五感以外の感性が有るか?
の古代からの疑問ですが幾つかの分野で存在するようです。

私は仕事上、不特定多数の人が使用する建築に携わっていますから、人間の基本的能力についても学生時代にハッキリと断定しました。

それは卒業設計の前の[空間の視覚化について]の卒論を書くに当たり、計画を実行するには様々なテクノロジーや知識を統合する[直観力]が必要でした。

この[直観]は皆さんもご存知のフランスの哲学者ベルグソンの[イマージュ][イメージ]の和訳に使われた言葉です。
私にとって人の現状の把握のために、彼の[生命の哲学]等はある程度参考にしました。
しかし、創造のスタンスに置き換えてみますと[直観]だけは計画のアイデンティーを保つのに納得できました。

[イマージュ]と[建築機能]そして[創造的造形力]の私の計画における基本スタンスをスタートしたわけです。

実在は直観によってのみでとらえられる。

このスタンスがないと分散型の計画は破綻し、いわゆる便利なだけの求心型の選択になります。
その説明は又の機会に。

誤解のないように・・・何年か前に公明党が国会でベルグソンを例に出して発言してましたが、アレは単なるカラカイだと思います。(笑)

[直観]の定義と私の例を踏まえて、人間は高齢によって五感と同じく直観も衰えるか?
逆に冴えることが有るか?

超大型レンズ磨きの職人さんは超人的ですし、直観と五感の芸術の域とおもいます。

曖昧になる楽しさ、美しさ・・・これを手放すつもりは有りませんです。

絵画の歴史では印象派の世界がその様なことででしょう。
リアルからファジィーへ、でもリアルより美しく観る人も飛んでいける。
只、かつては・・・。

これに関しては個人差がかなり有ります。
出来るだけ、心的障害や脳障害を受けない処置や生き方を心がけましょう。

日野原さんの様に信念と愛情の豊かな人には、好いことが訪れそうです。



PS・ダイバー歴はいつ頃からですか?

僕はシュノーケルと足ひれの素潜りのみです。

中学の同期の女性が十余年前でしたか、白石島?(笠岡)で潜水中に行方不明のままです。
ダイバー暦は長かったそうですが・・。
若い頃から強烈な個性でかなりシュールな人でした。

         






 
 
 
肉体を超えた (Eno)
2007-12-06 23:14:59
年齢と五感・・・先日、某オーケストラの団員と話したことを思い出します。そのかたはこう言っていました。「最近は、どんな曲を弾いても、いいなと思うようになりました。トシをとるということは、いいこともあるんですね!」

 私もそうだと思います。トシをとるほど、運動能力は衰えます。それはそうですが、感受性のしわは増えてくるんですね。だから、よく言います、「オーケストラは、腕のたつ若い人だけでは駄目だ」と。

 肉体的な五感だけではなく、それを超えた感受性があると思いたいです! 否、それを大事にしたいです。
 
 
 
右脳と左脳 (ビー玉)
2007-12-07 01:11:07
ピース・リヴァーさんの御意見、奥が深いですねぇ~。感心しました。面白い!と思ったんだけど、すんなり飲み込めない。それで、何度か読み返して理解しました。なぜだかわかりますか?それは、多分、ピースさんが左脳を駆使して文章を書いておられるからだと思います。

一方で高樹先生のとなえられた「生理的五感以外の感覚」とは、右脳でとらえるものだと思います。

一般に、右脳は創造的な作業を、左脳は論理的な作業をつかさどるといわれていますが、左脳の発達は20歳くらいでとまってしまうのに、右脳は80歳を過ぎても刺激してやればいくらでも活性化するのだそうです。

私は認知症の予防に関わる仕事もしているので、おじいちゃんやおばあちゃん相手に歌を歌ったり、絵や陶芸を一緒に愉しんだりして右脳を刺激してあげています。もうひとつ言わせてもらうと、認知症を予防するために一番効果的なのは、ふたつのことを一度にすることなんだそうです。

人間は、右脳だけを使って生きているわけではなく、左脳だけを使って生きているわけでもありません。私たちは、知らず知らずのうちに、右脳と左脳をスイッチさせて生きているんだそうです。認知症の方は、この右脳と左脳のスイッチがうまくできなくなるんだとか。そのせいで、空間図形が描けなくなるんだそうです。
皆さんは、サイコロの絵を簡単に描くことができますよね?それは、左脳で六面体の面の数や、面の形が正方形であることを認識して論理的に考え、実際にサイコロの絵を描く時には右脳を使っている、つまり左脳と右脳を上手にスイッチさせているのです。
指揮者がぼけにくいのは、左脳で譜面を見て、右脳で創造的に音楽を創りだすからだそうです。つまり、常に右脳と左脳を同時に使っていることが認知症の予防につながってるというわけ。
一般の方の場合、料理をすることが一番良いといわれています。左脳で料理の段取りを考え、右脳でメニューを創造しますから。常に同時に二つ以上の作業をこなさないとスピーディーに出来上がりませんしね。

ENOさんは、運動能力について書いておられました。残念ながら、運動能力は齢と共に衰えるのだそうです。しかし、これも鍛えればその衰えを防ぐことができます。また、心臓の筋肉のように恒久的に動く筋肉(赤筋)は老化しにくく、瞬発力を伴う筋肉(白筋)は老化が早いといわれています。

肉体的な五感だけでなく、それを越えた感受性を磨くには、右脳を常に冴えさせていれば良いのではないかと思います。作家もふくめ芸術家は皆、右脳が人より、より発達しているのでしょう。

私は、基本的にいつも右脳で物事を判断して感じたり動いたりする人間ですが、仕事柄、時々、こうして左脳を使って、高樹先生の言われるところの「思考」に該当する文章を書いてしまうこともあります。

でも、もう、20歳の倍は生きているから左脳の能力って、衰えているんですよねぇ・・・。やっぱり、右脳を鍛えて、私も齢を重ねるほどに研ぎ澄まされる感性とやらを磨こうっと♪
 
 
 
年輪と人の進化 (崖転岩)
2007-12-08 09:10:05

           

時間は分量のコーナーで触れましたが、地球の自転が25時間→24時間に短くなった経過があります。
この事実は体内時計が25時間の人や生物に対して、何らかの作用を働かせていると考えます。

恐らく、それは[進化]の促進作用だとおもいます。
人は24時間に適合しようと、毎日、無意識に時間のズレのストレスを感じています。

ですから、我々は年輪を重ねることに因って、僅かながらも確実に[進化]しているとの仮説が成り立ちます。

我々の細胞分裂の速度が僅かながら遅いだけで、骨も2、3年で、皮膚や筋肉や臓器も細胞の生死を繰り返し、入れ替わっていますし常に変化してます。

と云う事で、[老化]は[進化]の少なくとも[泉]です。

林檎の[ふじ]も美味しい!                  

           






 
 
 
四次元性による厚み。。。 (T.S.)
2007-12-08 10:49:29
人間は「忘却する生命体」ですが、この「忘却」は単なる忘却ではなく、潜在意識の中に蓄積されていくものということになるのかもしれません。
例えば、「春」という感覚にしても、その年々の季節的条件等の影響を受ける、それぞれの「個別的な春(=三次元的な春)」が潜在意識の中で積み重なり、「春という感覚」が「時間軸を経由(=加齢)」して厚みを増していく(=四次元的な春への変化)ことになるのかなとも感じます。

私なども、ふとした拍子に「ヒースローからウィンザーに向けた車で走った際の4月20日頃のイギリスの緑」がイメージの中に出てくることがあります。
それは日頃周辺で目にする緑とは異なるもので、不思議なイメージです。
これなども、「緑」という私自身の感覚に「四次元性による厚みが加わった」といえなくもないのかなと感じます。

加齢により、終点がますます近くなることになりますが、それはそれとして、生命が維持される限り、人間的な厚みを加え続けていきたいものだと感じております。。。
By T.S. on 8th Dec., 2007
 
 
 
老いよきたれ! (ピース・りヴァー)
2007-12-08 19:15:10
以前に、二十四歳を超えると身体の時間性は衰えるいっぽうだが、空間性は、無限に高度になっていくと言いましたが、その空間性について、クリシュナムルティは彼の『日記』(宮内勝典訳)のなかで次のように述べています。二十四歳以上の人は、これを読んで元気を出しましょう。

「大聖堂や美しいモスクのなかで歌われる賛歌、聖典の朗唱は、音響となって人の心を開き、涙や美へ導く。空間がなければ、美もない。ただ壁と、測定されうるものがあるだけだ。空間なしにはどんな深みもない。ただ内部や外部の貧しさがあるだけだ。あなたは精神の中にどんな空間ももたない。精神は言葉でいっぱいになり、思い出や、知識、経験、問題などがぎゅうぎゅうづめになっている。もう、ほとんど空間は余っていない。ただ果てしなくつづく思考のお喋りだけだ。そう、あなたの内部の博物館はいっぱいで、棚という棚は本だらけだ。そして、あなたたちは娯楽の場所へ押しかける。宗教的な、あるいは他のなにか楽しい場所へ。または、自分のまわりに壁をめぐらす。その狭い空間のかはめちゃくちゃで苦しみだらけだ。内的、外的な空間がなければ、あなたは狂暴になり醜悪になる。
生き、戯れ、賛歌を唱えるためには空間が必要だ。空間なしでは、聖なるものさえ愛することができない。あなたが閉じているとき、悲しいとき、あなたが宇宙の中心になっているとき、空間はない。あなたが占めている空間は、思考があなたのまわりに建てたものだ。それは、みじめさと混乱以外のなにものでもない。思考で測れる空間は、あなたと私、我々と彼らという分離をひき起こす。この分離は、終わりのない苦しみだ。あの孤独な樹は広々とした緑の草原にぽつんと立っている。」

ぼくなんか、内部の博物館も、外部の自分の部屋も棚という棚は本がいっぱいで、耳の痛い話です。
クリシュナムルティが言いたいのは、理想の状態は、観察するものと観察されるものと差異が消滅して、一体となる状態ですが、それは空間の中でしか可能とならず、その際、知識や思考は邪魔者以外のなにものでもない、ということらしいです。それにしても、ものすごくラディカルです。
たとえば、親鸞さんは、クリシュナムルティの言う、理想の状態に近かった人かもしれません。
男は、七転八倒しなければ、理想の状態へは到達できませんが、女性はちがうんじゃないかと、僕は思っています。もっとやすやすと理想状態に到達できるのではないでしょうか。このことはクリシュナムルティも気がついていません。
 
 
 
未だに適応してない理由。 ()
2007-12-13 21:46:05


十億年?かけても人や生物が24時間に適応していない理由は、確か進化の過程でミトコンドリアなるものを、細胞に取り込んだ為と思います。



このミトコンドリアが25時間を何十億年も記憶していて、生物は24時間に更新できないでいるのです。



しかしミトコンドリアを細胞に移入してないと、哺乳類も発生してないのですから感謝しないと・・・ありがとう。(笑)



参考まで。









 
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