コメント
 
 
 
想像力の限界 ()
2008-03-18 08:21:43
この楽器のフォトのアップやコメントも別サイトで拝見しましたが、手を叩くとパンと音が出る筈で、どんな音楽になるかは聴いてみないと解りませんね。
楽器本体セットの姿も美しいものです。
昔々の演奏者はひょっとして楽器の前で踊りながら、手拍子を打ち演奏してたのかもしれませんよ?
手を叩くことを「撥」と現すのですね。
卓球のラケットのようなもので風を送り、演奏をする演奏者もいるようです。

また別サイトでのイベントでの巨大なこの楽器は、自然の風任せの巨大な竹製オルゴールみたいなものです。
10Mの竹の節をくり抜く技術も、いい方法が有るのでしょうね。
ベトナム戦争中の音楽家達も大変だったでしょうね。
確か網の目の様に地下道と地下ホールなどが結ばれた地下活動が、対米軍戦略にもっとも有効だったと思います。



 
 
 
Klong Put (のあいちい)
2008-03-18 08:21:59
ベトナムには珍しい民族楽器が沢山あることを知りました。ありがとうございます。音楽の話題は心が和みます。


★Klong Put(クロンプット)
 直径5~8センチ、長さ60センチ~2メートルもの節を抜いた竹を一列にならべた楽器。一切楽器に触れることなく、その穴の前で手を叩き、空気を筒に送り込むことにより音を出す、一風変わった演奏法が特徴。

http://www.i-love-takehara.jp/~takeyume/gakki.htm
http://www.vietnam-sketch.com/special/monthly/2004/11/index.html

 
 
 
ダンタイソン (hyde氏)
2008-03-18 23:25:45
ダンタイソンといえば96年オーップンして間もないアクロス福岡のシンフォニーホールで演奏していました。確か九州交響楽団との競演だったと思います。
戦争ばかりやっていたベトナムに、こんなすばらしい演奏家が育っていたのかと驚きました。そうですか防空壕の中で練習していたのですか。
そのころホーチミンでもあの公会堂で公演したそうですが、聴衆は飲み食いしながらお芝居鑑賞といった雰囲気だったそうです。ダンタイソンがかわいそうといってましたな。
 
 
 
不思議なこだまのような音色? (崖 Nightingale)
2008-03-18 23:40:35
「不思議な、こだまのような音色」、のコメントでベトナム人を三ヶ月ビザで雇用しているS氏のよく使う言葉「言霊」を連想しました。
S氏は未だ若く50才位です。
20代前半で財を成し株の仕手戦で、秋葉原の風雲児と呼ばれたこともある男です。
近年、ある企画の仕事で面識は有ります。
この人がよく森や樹の「言霊」(コトダマ)と云う言葉を使っていましたが、今まで意味を調べることもしませんでした。
そこで「言霊」をウィキペディアで確認すると項目が有り、その内容に興味が湧きました。
興味のある方は「言霊」以下参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%80%E9%9C%8A
古代では「言」と「事」は同意語だったそうですね。
クロンプットの音色は「竹の言霊」に近いのかもしれません。
尚先日、漢字の起源を点検したら、なんと占いの「卜」を表すために考えられたものでした。
「卜」は予想の事象をストーリーで表します。
占いで、何々がいつ頃起きる、云ったふうにです。
これにはユングのシンクロも絡んでます。
当時の占いは「命」「卜」「相」で構成されてます。
恐らく、漢字文化はストーリーを語るには、他の言語より優れていると思われました。
意外に言語とは他愛のない事から発生したものの様です。
だって近世まで大半の国々は言語を持つ必要性がなかったのでしたね。

毎晩、ワイフが箏曲「春の海」を弾き始めましたが、少々腕前に焦ってる様です。
腰に負担の懸からない、専用椅子とスタンドも購入して本格的練習になりそうです。


 
 
 
響く (ビー玉)
2008-03-19 01:36:37
hyde氏さん、お久しぶりです。私もダン・タイソンが防空壕で練習していたという話、心に響きました。

折りしも、昨晩と今晩の二夜連続で「東京空襲」を扱ったTVドラマを放映していて、また、戦争について考えさせられていたところでした。
SIAで取り上げられたベトナムの「血で絵を描く画家」や、「一夜妻」の話は非常に印象深かったです。今回の上海篇は「食」がテーマだそうですが、戦争が落とした影にもふれられるのでしょうか?

クロンプト、不思議な楽器ですね。どんな音色なのでしょう?
手を叩いて間接的に音を鳴らすという演奏の方法に、何かしらの比喩を感じました。

芸術の世界にも、クロンプトのように誰かの叩く拍手の音に影響されて、素敵な音を出すといういうことは、ままあるような気がします。
少し前まで、京都文化博物館で「川端康成と東山魁夷」という往復書簡展が開かれていました。東山魁夷は昭和29年1月から翌12月まで「新潮」の表紙を描いたことが縁で新潮編集部の菅原国隆に川端康成を紹介され、以来、二人の偉大な芸術家の交流が始まります。それこそ、クロンプトの音を響きあわせるかのように―。
川端康成が自殺した時、東山魁夷は天草にいたのだそうです。
以下、東山が新潮に投稿した「星わかれ行き」と題した川端の追悼文から抜粋。「空に低く、細い上限の月が懸かっていた。弓弦を水平に張って、安らかな、ひかえめな月の姿であった。その真上に、明るい、大きな星が一つゆらゆらと光り輝いている。その星は何か尋常でないものを感じさせた。澄んだ、涼しげな宵の明星であるが、その閃きは、今にも空に流れ出して、透明になり、消え去ってしまうのではないかとさえ思われた。生命の瞬間の輝きとも見えた・・・」東山が天草の星を見ていたちょうその時刻に川端は自死を遂げたのだそうです。「天草灘の夕べの空と海の色、西方に輝いた星の光を、私は生涯忘れることがないであろう。時が経つにつれて、それが先生の魂から発した光芒ではなかったと、ますます強く思うようになるのである」と東山は追悼文を閉じています。

長くなってすいません。直接、関係のない話かもしれませんが、残響で鳴るクロンプト、戦争、時代、生と死と連想しているうちに、最近、私が最も感動した二人の芸術家の響きあい(書簡のやりとり)を紹介した展覧会のことを思い出してしまいました。

高樹先生、(つづく)の次、期待してます!
「」
 
 
 
我楽多の音色から。 ()
2008-03-19 23:33:55
箏の音色はボリュームの大きさを感じますが、風で響くクロンプットや叩くトルンの生音のボリュームはどの位なんでしょうか。
癒しと云うより和みの感じの音色なんでしょうね?
アジアに於いて竹の文明は日用雑貨から、趣向品の茶筅から笛や尺八の楽器や釣竿まで多伎に渡り発達し、昔々は竹の「事霊」に囲まれて生活していたのですね。
育った家では床の間の土壁にも使われ、明かり取りに円い竹の格子が有りました。
昔、家族が引越しの時に納屋や納戸で埃をかぶった様々な竹細工の品々を、我楽多の様に捨てて来た思い出も有ります。
そう、昭和40年頃、竹製品は我楽多の代名詞だったです。
竹を何でもかんでも工業製品に替えていった歴史と言えますね。
我が家で残ってるのは耳かきや笊、茶筅や花瓶や凝った釣竿位でしょうか・・・。
意外と竹は耐用年数も優秀なのですが、一般住宅の建築や垣根への使用や技術も、消えて行く運命に有ります。
植物としての竹は種類が多いですね。
夫々、利用方法を考えて生活に取り入れる、人の知恵には驚きます。

ところでコミカンは逞しく冬越しできましたか?
ベランダの牡丹は如何です?
こちらは大きな株の牡丹に、蕾が何と一つしかなく、がっかり・・。
花芽を付けるらしい昨年の夏、長く不在だったので、管理が行き届かなく仕方ない。
これは猛暑のためかな・・・?
昨年の春先戴いた、プレアデスと云う名のシンビの仲間が、花芽を三つ伸ばし咲きそうです。
豊後梅の太い大枝をノコで切り、居間に活けたら素晴らしく、その逞しさは何とも好い感じです。


 
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