コメント
 
 
 
短編ひとつ分の謎 (ビー玉)
2007-11-23 21:52:08
やはり、余呉に行かれたのですね!
私が余呉を訪ねたのは20数年前のことですが、私にとっては、余呉の町そのものが謎めいていました。

私も関西や九州につぎ、古墳発掘率?の多い地方に生まれたので、多少の知識はあるつもりです。当該物は明らかに炭焼きではないように思われました。でも、古墳かというと、自信が持てず・・・。かといって模造品?といわれると、なんだか腑に落ちない気もします。

ちなみに、右肩が重い時には、身内の霊が近くにいるんだとかいないんだとか。誰に聞いたんだか忘れましたけど、当たっているような気がしています。

短編ひとつ分の謎・・・という言葉に妙に反応してしまいました。飛び石のように布石される物事を、どのようにまとめて作品にされるのか非常に興味があります。

人生には謎が必要なのかも?謎のない人生なぞ面白くないのかもしれません。
 
 
 
笑いの後、虚脱・・ (崖 揺岩)
2007-11-23 23:48:36


思わぬ収穫のタイトルをワクワクしましたが、失礼ながらご報告を読むにつれ、お腹から笑いが込み上げて来ました。



コメントを書き込むにあたって、先ずお風呂に入り僕は何を語ればよいのか考えました。



しかし、お風呂でも笑いが止まらず、想定外で考えようもなく書き始めます。。



岩やコンクリートは火で割れますから、窯は有り得ません。

(抗火石を除く)



何故、再現したのかも解りません。

巨石かコンクリートを使ってるから安全なのでしょう。



安全でないと危険だから壊す筈ですから。



近江の古墳を検索した時に、白い棒が何本も立ってましたが、あれは一本だけでしたので、別の郷土資料と考えてはいました。



昔々、自治体の予算が有り余る時代が有りましたから・・土木屋さんに無駄使いしたかも・・。

似たような工事は今も多少ですが現存してます。



考える力、いえ、気が抜けてしまい、この虚しさを何とかしないと・・・。(笑)



救いようがない事だから、方向を変えた方がいいのかも・・(苦)



土木の無駄使いではなかった!

事実、風情の有る写真が撮れました!(爆)







 
 
 
身も蓋もないけれど・・ (高樹のぶ子)
2007-11-24 00:59:14
けれどそれが現実・・そんな現実をどう面白がるか・・ですね・・

いえいえ、やはり山道に迷い、古墳モドキにつかまり、電話代つかって、身も蓋もない現実を知ったわけだけれど、神様は決して損はさせませんでした。

私が行こうとして行けなかった菅山寺というのは、菅原道真ゆかりの寺であり、道真がこの近くでお生まれになったそうな。
この菅山寺の西方眼下には、余呉湖があり、この湖辺の川並村というところに、陰陽丸(後の菅原道真)が誕生されたのだそうです。

日本三天神のひとつは我がふるさと防府にあります。大宰府に流される折、我がふるさとに舟をつけて、「魂魄ここにとどまれり」と仰ったとか。
ですから私の子供時代は、天神様と切り離せないんです。三天神は他に大宰府天満宮と大阪北野天満宮。

その道真さんの出生の地にて、私は迷っていたんですよね。
「お前はまだまだ迷いが足らん」
なんて、道真さんに言われていたのかな・・

いつかあらためてこのお寺に行ってみたくなりました。
余呉町の観光課の方がファクスして下さった資料によると、本殿がある山頂には坂口(ふもと)から徒歩50分だそうです。

山門の大木は「1000年近くの樹齢」だとか。しかも、菅原道真のお手植だとあります。お手植えだと「樹齢1000年近く」ではちょい計算があいませんが・・120年ぐらい樹齢をプラスしておいてもらわないと・・

ともあれ、余呉町観光課のAさん、ありがとうございました。



 
 
 
収穫有りで良かったです。 (崖 揺岩)
2007-11-24 09:49:24


2時近くにも更新しましたが・・・。

眠りこけて、目覚めるとネットに繋いだままの携帯に、何故か[身も蓋も無いけれど・・・]のコメントが表示されてました。

携帯ネットには未だ不思議な事が多々有ります。(笑)





少しは収穫が有ったそうで、取り敢えずホッとしました。(笑)



菅原道真は江州の生誕でしたか・・。

奈良・菅原村も・・?



高樹さんにとって防府天満宮はそのような所でしたか、子供の頃に染み着いものは大切ですね。

新ちゃんが拝んでたら、お父さんがひょっこり帰って来たのは天神?・・・。



何れ菅山寺に行かれ、杉を眺めるのも楽しみですね。



僕はお大師さんですね。

郷里で毎日のように登った裏山の途中に、巨岩の下に組み込んだ、小さいですが立派な造りの、弘法大師をお祭りした休憩所が有りましたから。



母方の曾祖父は飯塚の大地主で、神主を兼任してましたが・・。

今の福山の家の南に天神山が少し見え、時々登りますが明るく鄙びた所です。



道真のお話しは[迷い道と墳墓発見?等]を巧を奏した結果にしたと十分に思えます。(笑)



道真の子孫は岡山にも居るようです。

道真も仙崖も福岡に流され、その地で愛されてますね。





このたびは 幣もとりあへず 手向山 もみぢの錦 神のまにまに









 
 
 
菅原道真 (ピース・りヴァー)
2007-11-24 12:14:37
菅原道真について、少し調べてみました。
学者・文学者肌の人が、天皇に見込まれて政治の中枢部にまで登りつめたものの、「ちぇ一族の陰謀によって」(チャングムの誓い)宮中から追い出された、という感じです。道真の死後、宮中では、大変なたたりがあって、道真もあの世で、溜飲を下げたものと思われます。
道真の短歌をネット上で発見しましたので、そのアドレスをお知らせしましょう。崖さんが挙げておられる短歌は、百人一首のものですね。

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/mitizane.html
 
 
 
道真つながり (ビー玉)
2007-11-24 14:39:06
道真さんの生誕地は余呉だったんですか!知らなかった~。
京都の烏丸今出川と烏丸丸太町の間に、道真が幼少期を過ごした(いや、産湯につかっただったけな?)という神社があるので、てっきり、道真の生誕地は御所の横だと思っていました。

今、私がPCを操っている机には、北野天満宮と太宰府天満宮でいただいた二つのお守りが・・・。去年まで週の半分は京都にいたので、何かというと北野さんに参りました。今は、太宰府天満宮のすぐそばで仕事をしているため、毎日のように太宰府天満宮の近くをうろちょろしています。まるで、道真と同じような人生・・・。防府も道真ゆかりの地だったのですね!

現在の職場には全く未練がないけれど、太宰府の地には未練があります。夜、遅くまで仕事して帰った時に通る人ひとりいない真っ暗な参道の風情は一生、忘れられないでしょう。ヒールの音だけが、ツカツカと静かな道に冷たく響くのです。

昼間は、いつも修学旅行客で賑わっています。境内へ行く途中、朱塗りの太鼓橋があるのですが、地元の人の話によれば、その橋は縁切橋なんだとか。恋人と渡ってはならないそうです。境内には、有名な「飛び梅」が・・・。現代は、九州から京都まで新幹線で二時間で行ける時代。私なんか、気持ちだけでなく、体もしょっちゅう京都に飛んでますから。

次の職場も道真ゆかりの土地になりそうな気配が濃厚です。北野天神さんの梅の実でつくった梅干を毎日食べることになるのか、高樹先生のおそばの地で職場だけ変えて留まることになるのか微妙です。でもまぁ、いずれにしても、道真つながり?の不思議な縁を感じました。

先週は、身辺穏やかでなく、コメントを書き込む意欲もありませんでした。ゆっくり眠ってよく考え、このブログを開くと、なんだか元気が出てくるから不思議です。人生、なんでも面白がらねば!というのは言い得て妙ですね。



 
 
 
余計な事かもしれませんが・・・ (ビー玉)
2007-11-24 16:52:43
高樹先生書き込みのなかに書いてあった「日本三天神」のひとつに「大阪北野天満宮」という記述がありました。私は「大阪」という部分には全く反応せず、北野天神といえば、京都の天神さんに決まってるやん!とばかり、京都の北野天神を想定して書き込みをしてしまいました。

気になったので調べてみると、やはり日本三天神は、「太宰府天満宮」「防府天満宮」と京都の「北野天満宮」でした。
大阪の天満天神は、そこで催される天神祭りが、東京は神田の祭りと祇園祭りと並ぶ「日本三大祭り」なんだそうです。

大阪の天神祭といえば、船渡御で有名です。花火もあがりますしね。私も何度か見に行ったことがあります。ちなみに、大阪天満天神のすぐそばにあるAという料亭は、川端康成の生地跡だといわれています。若い頃、その地の取材をして記事にしたことがありました。今は、A料亭の前に「川端康成生誕の地」という記念碑が建っています。当地は、落語の繁盛亭があることでも知られていますよね。

ちなみに、天満天神のホームページによれば、道真の生誕地は、やはり「京都市上京区烏丸下立売の菅原天満宮」となっています。私が前述した御所の横にある神社です。どっちの説が本当なんでしょう???烏丸下立売の菅原天満宮は道真のお父上ゆかりの神社のようなので、余呉は、お母上のお里とか?今も昔も里帰りして、お産するのは変わらない出来事だったのかもしれませんから。

誰か真相を教えて下さい。いや、これも藪の中の方が謎めいていて面白いのやもしれませんが・・・。
 
 
 
生誕の地 (高樹のぶ子)
2007-11-24 21:16:36
ビー玉さん、ご苦労様、日本三天神のこと、ありがとうございます。そういえば、京都の天神様でした。

ところで、道真生誕の地は、わけがわからないですね(笑)
余呉の観光課から送っていただいたファクスにあるとうりに、引き写しますね。

「菅公生誕と幼少の勉学の地」
菅山寺は、もとは、龍頭山大箕寺と称し、764年(天平字8年)孝謙天皇の命により、高僧照檀上人によってこの地に建立された現在は真言宗の寺である。
この菅山寺の西方眼下には鏡の如く澄んだ余呉湖が、四季の彩りに映えている。この湖辺の川並村に、桐畠の大夫是清の子として陰陽丸(後の菅原道真)が誕生された。この童子、すくすく成長されるなか、きわめて非凡天才のため、850年(嘉祥3年)6歳のとき、菅山寺の信寂坊の阿奢利尊元和尚の弟子となって入門し、道真を賜った。
時に都には、菅原是善なる公家があり、文章学博士等官界に比類なき存在であったが、後継に頭を悩ました。ある夜霊告を受け、江州大箕寺に天才童子のいることを知り、急ぎ来山して養子となるよう懇願した。道真は菅原家に入って、菅原道真となった。京に上った道真は、いよいよ天性の才を発揮され、当時最高の管理任用試験に合格し、少壮管理として登用された。

・・・つまりですね、上記の説明では、菅原是善の養子として迎えられた、と言う話なんですね。でも、百科事典では、養子の話は出ていません。菅原是善の息子となっています。

この菅山寺は「近江八幡宮・菅山寺」というのが、正式なようです。

う~~~ん。
どっちが正しいのか・・古墳みたいにはっきりさせるのはむつかしそう・・

余呉が生誕の地だというからには、何か根拠があるのかもしれませんが・・

わがふるさとの神様なんで、生誕の地ぐらい、はっきりしたい気持もあるのですが・・なにせ、850年ぐらいのお生まれなんでね。戸籍謄本もなさそうだし・・神様になっちゃうと、天から舞い降りてこられても仕方ないのかも・・

そもそも、日本ではついこの前の明治の人でも乃木神社になってしまうんですから・・

でも、ちょっと覚えておいて損がないのは、源氏物語が出来上がって1000年、それより150年ばかり前に菅原道真が生まれられたってこと。
アバウトに記憶するしかないですね・・
 
 
 
点と線の推理 (ビー玉)
2007-11-24 22:31:51
高樹先生、レスありがとうございます。
余呉湖の澄んだすがた、今も目に焼きついていまして、紹介された文献を、とても懐かしい想いで拝見しました。

しっか~し、真相はいかに?私も、どうも気になってしょうがありません。来週、京都の菅原天満宮(烏丸通りに面している)の近くに行きますので、訪ねて聞いてみます。菅原天満宮のすぐそばには、和気清麻呂を祀った神社もありまして。和気清麻呂の神社は猪を祀った神社でもあるそうで、今年の初詣はその神社に参ってきました。あっ、先生、猪年でしたね(^^)

ところで、今、松本清張の「点と線」をドラマ化したTVを見ています。いきなり福岡の「西鉄香椎駅」が出てきてドキッ!
近くの電器屋の量販店に欲しかったPCのソフトがなくて、わざわざ香椎店まで取りに行ったことがあるので、香椎近辺の事は少しだけ知っていました。

松本清張は小倉の出身でしたよね。だから、博多を舞台にしているんでしょうね。清張氏のお父様の郷里は、私の実父の郷里と同じようです。その山あいの町村は、井上靖さんの御家族が疎開されていた場所でもあります。それで、井上氏の小説にも、よく登場しています。

あっ、今、ビートたけし扮する刑事の乗った列車が徳山に到着。多分、この後、列車は京都を目指すはずです。

菅原道真の生誕地・・・太宰府、京都とゆかりの地に縁のあった人間として、なんとか、点と線を結びつける推理をもってして、つきとめてみようと思います。
 
 
 
山門のケヤキ (崖 揺岩)
2007-11-24 22:38:44


菅山寺の山門の大木は杉ではなくケヤキの巨木ですね。

シルエットは迫力のある幹です。

まさか、この巨木を背負った夢でしょうか?(笑)



道真の生誕地になっていますが、不明らしく研究した本もかなり有るそうですね。(笑)



僕の推測では、道真公の生誕地の特定は無理だと考えます。



立候補地が多過ぎますから、何か理由が有りそうです。



菅山寺は養子説で便乗してます。(笑)



彼の家系の流れを眺めると、母は奈良時代に有名な大伴氏の分散した家系の伴氏、母は近江の出の可能性は有りますが不明だそうです。



伴氏は奈良末期に4、5ヶ所の地区に分散してますから、特定が難しいですね。



奈良・菅原町は歴史の流されとして不自然と考えました。



妻は美濃・尾張辺りの出のエリート一族の島田氏です。



彼の伴氏の母方も、活気の有る近江から尾張の出身と考えるのが自然ですが・・。



当時、母方の伴氏は活気の有る琵琶湖か海に面した地区の出身だと考えました。



母の名前が特定出来ないのは、昔々の天皇家と大伴氏の関係で、はっきりさせない方が都合が良かったのでしょうね。



殊に文章博士などは母方の品格の影響がないと秀才には・・・?



天皇家は文章博士と天文学(これは天皇家の身内のみ三人位で固めた)を掌握し、[政]をしました。



天文学はカレンダー作りです。



菅原一族も素姓のはっきりした、文章の代々エリート一族でしたから、養子説は余りに突飛で意外ですね?



でも、近江から尾張・美濃辺りは有望ですね。



道真の歌を分析すれば、少しは絞れるかと思います。







 
 
 
私、犬です (高樹のぶ子)
2007-11-25 00:44:59
イヌ年生まれです。イヌは嗅覚が凄いですね。私も鼻はいいほうです。クアラルンプールでは市場での最初の感想は「アジアの匂い」でした。

防府の天満宮は「牛」と「梅」です。
秋の大祭(裸ん坊祭り)は、牛車が引く、網代車(おアジロさま、と呼んでいました)が、白装束の裸ん坊たちに守られて、「お旅所」まで往復します。「お旅所」は、道真公が立ち寄った海岸にあります。

私の育った家は、この網代車が行列する道のすぐ近くでした。
白装束の男たちが、深夜、この道を浜に向かって下ります。
大変な重さの網代車は、天満宮の長い石段を、裸ん坊たちにより、引き降ろされ、台車に載せられます。そのとき、怪我人も出ます。白装束が血に染まっていることもありました。もちろん、酔っての喧嘩もあったようです。

天神様は、大宰府や京都では偉い人ですが、防府ではもう少し身近です。今年も裸ん坊祭りは、賑やかだったんでしょうか・・
 
 
 
犬? (崖 揺岩)
2007-11-25 01:50:59


何犬でしょうか?(笑)



梅と牛は取り合わせは農業社会を象徴してますね。

梅は中国原産でしたね・・。

道真の生誕地は、当時の伴氏の行方がポイントでしょうね。



お祭りの経験は少なく、小3の頃、近くにお不動さんが有り、誘われて子供神輿を担いだら、二百円も貰って家に帰って、母に得意になって見せたら、怒られ叱られ意気消沈した想い出が有ります。



生まれて初めて現金を稼いだのに・・・?(笑)



大きな八幡宮は小学校の近くで、遠くて行ったのは相撲大会だけでした。

有名な大花火大会は有りましたが・・。



宇野は港が大きく、泳ぐには競輪場の近くの日の出海岸でした。

六歳の時に競輪場のオープンのテープカットした日、観ていたら初めてのレースで、選手が団子状態で接触転倒、頭から真っ赤に出血し、二、三人は大怪我をしました。



僕も蒼くなりました。(苦笑)

ヤクザな町です・・。







 
 
 
失礼しました~ (ビー玉)
2007-11-25 11:58:16
ごめんなさい!また、間違えちゃいました~。高樹先生、戌年なんですね。「揺籃の樹」の「呟き」に書かれた言葉から勝手に猪年と勘違いしてました~~~(大汗)。

私の父も戌年です。祖父が猿年だったので(仲の良い親子だったのに)「犬猿の仲」などと嘘ぶいておりました。で、私は、余り言いたくないのですが、夫婦共に虎年!どちらの虎が強いかは内緒です。母は道真公と同じ牛年であります!

各地の天満宮に牛が祀ってあるのは、ひとつには道真さんが牛年生まれだからのようです。しかも、その牛の多くが座っている姿で鎮座している理由は、太宰府で亡くなった後、御遺骸を牛車で京都まで運ぶ際、牛がある場所で座って動かなくなり、その地の安楽寺であつく葬ったという言い伝えがあるからなのだとか(以上、北野天満宮のHPより。ちなみに、北野天満宮の入り口付近には御母堂の伴氏を祀る社もあります)。

梅の木と天神さんが、切っても切れない縁にあるのは、道真公がこよなく梅を愛したからのようですね。太宰府市の民家には、ほとんどの家に梅の木が植えてあるのには驚きました。

太宰府天満宮の参道のおみやげ店には、梅干しだけでなく、梅酒も売れています。(梅干しは、北野天満宮のものとは色あいやつけ方が違うようです)。

ところで、最近、近所でお相撲さんをよく見かけます。九州場所の影響かな?と思いきや、な、なんと、安治川部屋が太宰府天満宮のすぐそばにあるそうで・・・。今日の夕刻より、境内で千秋楽の打ちあげがあるそうな!相撲の開祖・野見宿称(のみのすくね)が道真の祖先にあたるんだそうです。
うーん、道真さんの由緒の奥は深い!もっと色んなことを知りたいから、もう1年、太宰府にとどまろうかなぁ~。

防府天満宮にも、他の天神さんにはない行事があるんですね。
 
 
 
巨石の造り方? (崖 揺岩)
2007-11-25 14:25:01


巨石の自然石で再現?

自治体の担当の方の弁でしょうか?



土木は儲かりませんね・・?

運搬や機械や組み合わせ技術と使用の安全性を考えますと・・。



キレイな亀型に組むのは大変です。

部分的には自然石を使っているのかな?





巨石に見せるセメント工法が有ります。

表面に石の粉砕した物をセメントに混ぜ合わせて、3センチ位練り着け、少し固まったところで水か砂を噴射して、セメントを除き微小な石を洗い出しにします。



これでも、立派な巨石の自然石に成りますよ。(笑)



少し土を載せるのですから見えないでしょう。

一昔前、友人の彫刻家が自治体の予算が無くなり、

担当から、セメントで造れば好いじゃないか!?

と言われ、ガックリしてから精神状態がおかしくなり、今はお会いするのが怖いです。

(それまではブロンズか自然石で制作)

セメント工法もビビッドで面白いのですが・・・プライドでしょうか・・。







今朝、妻と長女が晩秋のお茶会に出かけました。

末の次女は着付けのプロなので、薄暗いうちから奮闘、いそいそと出かけました。(笑)



長女の着物姿は見逃しましたが・・・大人になっては確か初めてでした。



長男が又、一ヶ月の長期出張中で我が家は又々、女の城に成りました。(苦)





山桜の[駿河台匂い]がほんのり赤くなり、

少し紅葉も色づき始めました



昨年はヒョウモン蝶が、この季節も乱舞してましたが、今年は見当たりません。



先月、鉢植えのヌスットハギの枝に、ヒョウモン蝶のサナギが居て、ウッカリ触って落としてしまったのです。



何とか孵化しないかと、観葉植物のパイナップルの葉に似た付け根にスッポリ置きましたら、二階の温室廊下で長女が叫ぶので見ると、無事に今月初め♀のヒョウモン蝶が孵化してました。



このサナギの姿も両側に宝石を散りばめた、黒くてかなり凄みの有る姿でした。

さしずめ、ダイヤモンドを着けた南洋の貴婦人。(笑)



未だ、日当たりの好い所で生き延びているのでしょうね。(成虫で年越しです)



今朝、雨無し日が続き水やりをしていたら、冬眠していたガマガエルを起こしてしまい、寝場所に戻し朽ちかけた枯れ葉を、山盛りに載せてやりました。

こいつもカワイイです・・・(笑)



今、妻達が帰って来たのでデジカメ・マンをしましたが・・。

貴婦人の気配はなかったと・・・。(恐)









 
 
 
アレ~、消防ポンプに・・・水原紫苑現れる・・・ (崖 揺岩)
2007-11-25 19:34:56


驚き入りました・・・

 
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