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自分の自分による自分のためのブログ。
だったけど、もはや自分の備忘録としての映画やドラマの感想しかないです。

人間の不思議 その1 ~なぜヒトは費用と便益の関係にとらわれないのか~

2006年11月28日 18時33分56秒 | Weblog
昨日のわけわかめな飲み会を終え、
今日はゼミの企画係で話し合うため10:30にPカフェへ。
ガラリとした空間。
以前までの人の多さは何だったのだろうか。
でもラウンジはバカみたいに人が多かった。
三田祭終わったのに。
就活か。
けっ。
とりあえずミクシィ見てるだけのやつと、
わざわざ自分の自前パソコン開いているやつに関しては
首を切り落としても誰も文句は言うまいと思った。
そんな学校へ向かう朝の時間に、俺は不思議に思うことがあった。

人はなぜ弱い者を助けるだろうか。
弱い者は助けてあげなければならないのだろうか。

老婆に席を譲る女性を見た。
素晴らしいことである。
しかしそんなことをしているのは人間だけだろう。
おそらく。
犬とか猫もそんなことするか?
するかもしれないけど、それが恒常的に行われることはないといえる。
弱い者を助けるということを考えるだけの脳がないからである。

話を元に戻そう。
席をゆずってその女性は何を得るのだろうか。
お金も得られないし、賞賛の嵐を受けるわけでもない。
自己満足のためなのだろうか。

そもそも席を譲ることで得られる便益は
その老婆に「ありがとう」と言われるぐらいである。
せっかく混んでいる電車の中でゲットできた席は
価値があると考えられる。
そしてその女性も立つことで消費する体力を温存できるので、
その席に座ることで得られる総便益はそれなりに高いといえる。
女性も中年ぐらいだったし、決して体力がある方には見えない。
明らかにその便益よりも席を譲ることで生じるコストの方が高い。
疲れるしね。
老婆も席を譲ってくださいなんて頼んでいないし、
むしろ「老婆=席を譲ってあげるべき弱い存在」
と決めつけている方が失礼なのではないだろうか。

しかしそのたった一言の「ありがとう」という言葉が、
その女性にとってプライスレスな価値を持つことかもしれない。
もちろん「ありがとう」のためにやったわけではないということも
考慮しなければならない。

つまり、理屈ではないのである。
人間特有の「感情」によってその女性は行動したといえる。
感情なんてものは主観的で他人が理解できるものではない。
しかし、人間である証の1つとして挙げられるであろう「感情」は、
その人の行動の原動力になることは事実であるといえる。
費用とか便益とか関係ない。
ただ心が命じたままに動くのである。

ただ、費用と便益という観点から見れば、
その女性は明らかに経済学的に不利な行動をしたといえる。
しかし、その女性は席を譲った。

経済的な行動って、時には自己中な行動ともいえそうだな。

今日、田町で久しぶりにミサキングこと竹井さんと会った。
前よりなんかキラキラしていた。

明日からゼミ合宿でサイパンに行く。
初海外だー。
やつらに日本人の真の恐ろしさを教えるときがきたようだ。
ふふふ。

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