天上の月影

勅命のほかに領解なし

軽釈尊失

2015年09月30日 | 水月法話

法然聖人の教えは多くの人々に歓迎されたが、一方で既成の仏教から烈しい非難を受けた。その最初は元久二年(一二○五)十月に朝廷へ訴え出た『興福寺奏状』である。当代一流の仏教学者であった解脱上人貞慶(一一五五~一二一二)が起草したといわれている。しかも「八宗同心」とあって、当時の仏教界全体の見解とされている。そこには法然聖人に九箇条の過失があるといって非難をしているが、その第三に「釈尊を軽んじる失」というのがある。法然は専修念仏といって、もっぱら「なまんだぶ、なまんだぶ」と念仏申すことを勧め、阿弥陀さまばかりを拝んでいるが、それが仏教であるならば、肝心のお釈迦さまはどうしたのか。お釈迦さまを軽んじているではないか。仏教徒としてあるまじきことであるというのである。なぜなら、仏教とは簡単にいえば仏陀の教えである。その仏陀とはお釈迦さまのことである。お釈迦さまという仏陀の教えであるから仏教なのである。あたかもキリストの教えであるからキリスト教というのと同じである。ただしキリスト教の信者はキリストには成らない。それに対して仏教は仏陀の教えであると同時に私たちが仏陀に成る教えでもある。そこでキリスト教は神の存在証明が必要になるが、仏教の場合は仏陀の存在証明など必要ない。私が仏陀に成ればいいだけであるからである。ともあれ、法然聖人の教えが仏教であるというかぎり、お釈迦さまを崇めないのはおかしいというわけである。その非難は法然聖人の弟子であった親鸞聖人にも通じ、さらには私たち浄土真宗に流れを汲むものにも通じることであろう。真宗寺院のどこを探しても、お釈迦さまの姿はない。御本尊は阿弥陀さまであり、向かって右に親鸞聖人、左に蓮如上人(ただし歴代の御門主の場合もある)、そして余間に聖徳太子、七高僧のお姿であるからである。まったくお釈迦さまを崇めていないようである。『興福寺奏状』の「釈尊を軽んじる失」という非難はそのまま私たち真宗門徒にも当てはまるであろう。

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三学無分

2015年09月29日 | 水月法話

法然聖人の出現によって日本中に念仏の声が響きわたるようになった。万人救済の扉が開かれたのである。それは従来の仏教から見れば、仏教の枠をはずれた異端でしかなかった。しかしもともと法然聖人の教えは従来の仏教と出発点が違っていた。法然聖人は言う。仏教というのは要するに戒・定・慧の三学に尽きる。戒律をまもって、精神を集中し、智慧を磨いていく。それが仏教だ。ところが私は三学の器ではない。このような私を救う仏教はないのか。そこから法然聖人の求道がはじまった。仏教を三学に尽きると見極めながら、その器でないものを救う仏教、それは仏教でない仏教を求めるに等しかった。比叡山、そして奈良にまで足を運んだが、誰も教えてくれる人はいなかったという。当然である。仏教でない仏教など、仏教でないからである。しかし法然聖人はあきらめなかった。どこかに私を救う仏教があるはずだと。そこで比叡山の黒谷の経蔵にこもって、すべての仏教書を読みあさり、ついに四十三歳のとき、中国の善導大師がいわれた「一心専念弥陀名号、行住座臥不問時節久近、念念不捨者是名正定之業、順彼仏願故」の文に目が開き、念仏こそ私を救う仏教である確信したのであった。それを回心(えしん)という。法然聖人は「智慧第一の法然房」といわれた超天才である。それが四十三歳まで迷いに迷ったというのは、三学無分という自覚に立って、仏教でない仏教を求めたからであった。従来の仏教の枠からはずれているのはむしろ当然である。それが法然聖人一人のことであったら何事もなく済んだかもしれないが、やがて多くの人が法然聖人を慕って集まり、念仏が弘まっていったことによって、既成の仏教から非難の集中砲火を浴びることになるのである。

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『西方指南抄』について①

2015年09月28日 | 法本房行空上人試考

(削除しました。『西方指南抄』については別にあります)

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専修念仏

2015年09月28日 | 水月法話

浄土真宗の御本尊は阿弥陀さまである。阿弥陀さまに救われていく教えであるからである。その阿弥陀さまのおいわれを詳しく説くのが『大無量寿経』である。それによれば阿弥陀さまとは四十八願を完成されたお方である。七高僧は四十八願の中心を第十八願と見られた。そこには念仏と信心が誓われている。その二つは不離一具、二つありながら一つである。たとえていえば、念仏は薬、信心はそれを飲むということである。薬は飲まれて薬である。飲まれなければただの粒や粉である。薬というなかには飲まれるということを含んでいる。また飲むというのは薬を飲むのである。酒やジュースを飲むのではない。飲むのは薬である。飲むというなかには薬を含んでいる。そこで薬と飲む、分ければ二つになるが、薬のなかに飲むを含み、飲むのなかに薬を含んでいるように、念仏と信心は一つである。その一つのなかから、念仏を前面に出して勧めたのが七高僧の第七祖、親鸞聖人の直接の師である法然聖人であった。念仏は阿弥陀さまが私たちを救うために選び定められた法である。その念仏という薬をいただいて専ら修せよ。専修念仏(せんじゅ・ねんぶつ)と勧められたのである。そこで日本中の数知れない人々が「なまんだぶ、なまんだぶ」と申すようになった。のちに曹洞宗の開祖、永平寺の道元禅師が「春の田のかへるの昼夜になくがごとし」と嘲ったが、念仏はそんな蛙の鳴き声のようなものではない。一声の「なまんだぶ」に阿弥陀さまの全体がこもっている。さらにいえば、阿弥陀さまが「なまんだぶ」となって私の口にあらわれたもう。阿弥陀さまそのものなのであるが、それについてはまた後にお話しすることにしよう。ともかく法然聖人の勧めによって、日本中に「なまんだぶ、なまんだぶ」という声が響きわたった。すべての人が救われる道が開かれたのである。それは日本の仏教史上、画期的なことであった。しかしまた、比叡山や奈良の興福寺などから猛烈な批判を浴びることにもなった。

なお親鸞聖人も法然聖人を継承して念仏を勧められたが、その念仏のなかに含まれている信心を開き出し、信心を前面に掲げられた。薬という念仏は飲まれるという信心によって薬となるからである。飲まれなければ薬とはならない。飲むという信心が肝要であるというので、『御文章』には「聖人一流の御勧化のおもむきは、信心をもつて本とせられ候ふ」といわれるのである。こうして、法然聖人は念仏、親鸞聖人は信心を表に出して勧められるので、両者は一見すると別の教えを説かれたように見える。しかし、念仏と信心はもともと一つのものであるから、法然聖人=親鸞聖人である。今日の浄土宗・浄土真宗という宗派、教団の違いに惑わされてはならない。

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本願力回向

2015年09月27日 | 水月法話

四十八願の中心は第十八願にある。それを本願とも呼ぶ。本願という語は、因本の願の意味で四十八願全体を指す場合もあるが、いまは根本の願の意味で第十八願を指す。浄土真宗の本体である。その詳しいことは後にお話しするが、念仏と信心が誓われている。阿弥陀さまは私たち一人一人に、念仏を与え、信心を恵み、救いたもう。まったく阿弥陀さまのひとりばたらきである。私たちの考えることではない。何も付け加えるものはない。そのままいただけばいいのである。そこに新しい世界が開かれてくる。その阿弥陀さまのひとりばたらきを親鸞聖人は「本願力回向」と呼ばれた。これが親鸞聖人の教えのキーワードである。すぐれた思想家や宗教家は、その思想・教義を一言であらわすキーワードを持っている。たとえば法然聖人の場合は「選択本願念仏」である。親鸞聖人の場合は「本願力回向」なのである。その親鸞聖人の教えをこれからかみくだいてお話しすることにしよう。

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七高僧

2015年09月26日 | 水月法話

阿弥陀さまとは四十八願を完成されたお方である。その四十八願のなかで中心はどこにあるか。普通に読めば第十九願である。しかし親鸞聖人(一一七三~一二六三)以前、第十八願を中心に見られたお方が七人いらっしゃった。『大無量寿経』を読まれた方は無数におられたはずであるが、第十八願が中心だと見抜かれたのは七人だけである。それを七高僧あるいは七祖と呼ぶ。インドの龍樹菩薩(一五○~二五○頃)、天親菩薩(四○○~四八○頃)、中国の曇鸞大師(四七六~五四二)、道綽禅師(五六二~六四五)、善導大師(六一三~六八一)、日本の源信僧都(九四二~一○一七)、法然聖人(一一三三~一二一二)である。

この七高僧の名前は「お正信偈」のなかに出てくる。「お正信偈」は大きく二段に分かれ、「帰命無量寿如来」から「難中之難無過斯」までを依経段といい、「印度西天之論家」から「唯可信斯高僧説」までを依釈段という。依経段とは『大無量寿経』に依って造られた一段ということであり、依釈段とはいま言う七高僧の教えに依って造られた一段ということである。そこで七高僧の名前が出てくるのである。まず「〈龍樹〉大士出於世」、次に「〈天親〉菩薩造論説」あるいは「〈天親〉菩薩論註解」、天親菩薩は二回出てくる。そして「本師〈曇鸞〉梁天子」、次に「〈道綽〉決聖道難証」、次に音が上がる「〈善導〉独明仏正意」、そして「〈源信〉広開一代教」、最後に「本師〈源空〉明仏教」である。ここでは「源空」といわれているが、法然聖人のことである。法然聖人はフルネームを法然房源空というのである。こうして「お正信偈」のなかに七高僧の名前が出てくるのである。

またお寺にお参りされれば、この七高僧のお姿を描いた一幅の掛け軸がかかっている。御住職の許可があれば、近づいて御覧になるといい。それぞれ違う形をしているのである。別の言い方もあるようだが、「龍蓮(りゅう・れん)」「天如意(てん・にょい)」「曇払子(どん・ほっす)」「手組み道綽(てくみ・どうしゃく)」「赤善導(あか・ぜんどう)」「源信曲禄(げんしん・きょくろく」「座法然(ざ・ほうねん)」という。龍樹菩薩は蓮の花を持っている。天親菩薩は如意棒を持っている。曇鸞大師は払子(ほっす)という仏具を持っている。道綽禅師は手を組んでいる。善導大師は赤い衣を着ている。源信僧都は曲禄(きょくろく)という椅子に座っている。法然聖人は畳の上に座っているということである。ただし「赤善導」は拙寺ではオレンジ色をしている。

こうしたインド・中国・日本の七人だけが四十八願の中心を第十八願と見抜かれ、それぞれの国、それぞれの時代において、阿弥陀さまの教えを顕彰されたのである。それを親鸞聖人も継承されたので、七高僧とも七祖とも仰がれたわけである。

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大経の概要

2015年09月25日 | 水月法話

『大無量寿経』には阿弥陀さまのおいわれが詳しく説かれている。それについては後に改めてお話しすることにして、いまはその概要だけにとどめておく。

『大無量寿経』によれば、阿弥陀さまが阿弥陀さまに成られる前、法蔵菩薩とお名のりであった。法蔵菩薩は私たち一人一人を分け隔てすることなく、すべて救いとりたいと、五劫という永い永いあいだ御思案なされた。それを五劫思惟という。その意味については後にお話しすることにしよう。とにかく五劫という測り知れない時間をかけて御思案になられ、四十八通りの願いをおこされた。それを四十八願という。『大無量寿経』のおつとめのなかで、「設我得仏、……不取正覚」と繰り返される一段があるであろう。その「設我得仏」の数をかぞえたら、四十八ある。それが四十八願である。「設我得仏、……不取正覚」とは、たとえ私が仏陀と成り得たとしても、これこれのことができなければ、私は決して仏陀とはならない、阿弥陀とはならないという誓いである。この誓い、この願いを完成させるために法蔵菩薩は、つぎに兆載永劫という、これまた測り知れない永い永いあいだ御修行になられた。その意味も後にお話しすることにして、この兆載永劫の御修行の結果、ついに法蔵菩薩は阿弥陀と成りたもうた。それが今から十劫のいにしえであると説かれている。そうすると、法蔵菩薩は四十八願が完成しなければ阿弥陀には成らないと誓われた。その法蔵菩薩がいま阿弥陀となりたもうているということは、四十八願が成就したのである。つまり阿弥陀さまとは、四十八願を完成されたお方であるということである。

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大無量寿経

2015年09月24日 | 水月法話

浄土真宗が所依の経典とするのは「浄土三部経」である。『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』、この三つをひっくるめて「浄土三部経」という。三部作になっているお経さまということである。たとえていえば、まず『仏説無量寿経』は薬、『仏説観無量寿経』は病人、『仏説阿弥陀経』は処方箋である。それで三部作になる。そのはじめの『仏説無量寿経』、これを親鸞聖人は『大無量寿経』と呼ばれた。あるいは省略して『大経』、まれに『大本』とも呼ばれる。上下二巻ある。

お寺の報恩講や永代経などの行事のときにお参り下さったら、真正面に御本尊の阿弥陀さまが御安置されている。ザックリ言うと、その前に香炉、ローソク、お花が並べてある。それを前卓(まえじょく)という。その手前に、置いていないお寺もあるが、置いている場合を想定して言えば、ちょっと高い台があって半畳ほどの畳がある。導師はその前に立ち、柄香炉と呼ばれる香炉を手にして三回、立ったり座ったりして、その畳に登り、おつとめをはじめる。おつとめが終われば、今度は一回、立ったり座ったりして、退出する。そうした導師が座るところを礼盤(らいばん)というが、その前の台に巻物が四本立てて並んでいるのを御存知であろうか。今度お寺にお参りになられたら御覧になるといい。その四本の巻物が「浄土三部経」である。そうすると、三部経なのに四本あるのはどうしてか?と不審に思われるが、『大無量寿経』が上下二巻あるから、四本になるのである。向かって右から『大無量寿経』上巻、『大無量寿経』下巻、「仏説」は省略して『観無量寿経』、『阿弥陀経』の順に並んでいる。その四本のなかで『阿弥陀経』だけが極端に細い。ということは一番分量が少ない、つまり短いということである。それで『小経』と呼ばれ、よくおつとめに用いられる。上下二巻ある『大無量寿経』を全部おつとめしようと思ったら、何時間かかるかわからない。御法事のときなどは、その『大無量寿経』のなかのエッセンスを取り出して、おつとめしているのである。ともあれ、この『大無量寿経』は先ほど言ったように「浄土三部経」のなかで薬にあたり、阿弥陀さまのおいわれがくわしく説かれているのである。

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浄土三部経

2015年09月23日 | 水月法話

阿弥陀さまのことを説くお経さまは、「諸教所讃、多在弥陀(諸教に讃する所、多く弥陀に在り)」といわれるようにたくさんある。それを法然聖人は、正明(しょうみょう)、阿弥陀さまを正(まさ)しくテーマとしているお経さまと、傍明(ぼうみょう)、他にテーマがあって傍らに阿弥陀さまを説くお経さまに分けられた。そして正明のお経さまとは『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』の三経であると見極め、「浄土三部経」と名づけられた。それを親鸞聖人はじめ法然門下は等しく受け継ぎ、今日に至っている。この「浄土三部経」こそ浄土真宗の所依(しょえ)の経典である。

所依の経典とは、浄土真宗という教えが成り立っている基礎、基盤、根拠、よりどころとなるお経さまということである。浄土真宗は「浄土三部経」とよりどころとして教えが成り立っている。「浄土三部経」なくして浄土真宗などありえない。そこで浄土真宗では数あるお経さまのなかから、この「浄土三部経」を最もお敬い申し上げるのである。

御法事の折り、何をおつとめするかは、地域やお寺によってさまざまであると思う。ただ拙寺では昔からこの「浄土三部経」をおつとめしている。前々住の時代までは僧侶がおつとめするだけであったが、前住の時代にそれではお参りの方々がペチャクチャとお喋りをするのでお経本を皆さまにお配りするようになった。それでも読経のスピードが速いというので、皆さまはただお経さまの文字を目で追うだけであった。それでも速すぎるので、先回りして待ちかまえていたら、あっという間に過ぎていったという声をよく耳にしていたので、私の代になって、皆さまが声に出せるようにゆっくりおつとめするようになった。はじめのうちはけっこう時間がかかったが、二十年近く経ったいまでは、皆さまもお慣れになって、私のおつとめより、うしろの皆さまのほうが速いことがある。こうして拙寺では御法事のときは皆が声をそろえて「浄土三部経」をおつとめするのである。それは浄土真宗の所依の経典である。

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三蔵法師

2015年09月22日 | 水月法話

先日、あるお寺にお取り次ぎの御縁があって行かせていただいた。私は浄土真宗の本体である第十八願のおこころをお話しさせていただこうと、まず、『大無量寿経』によれば阿弥陀さまが阿弥陀さまとなられる前、法蔵菩薩とお名のりであった。この法蔵菩薩という名前、どこかで聞いたり見たりしたことがあるだろう?と問いかけた。私が予想していたのは「お正信偈」の三行目「法蔵菩薩因位時」であった。ところが、ある人が「三蔵法師のことですね」と言われたのである。法蔵菩薩と三蔵法師、何の関係もないが、私の問いかけに反応してくれたのが嬉しくて、つい話が大きく脱線してしまった。

三蔵法師とは経・律・論という仏教聖典全体に精通した僧の尊称である。また翻訳僧の尊称でもある。お経さまというのは、定義が難しいが、いちおうお釈迦さまの説かれたお説法を記したものといえよう。そうすると、お釈迦さまはインドで活躍されたお方であるから、そのお説法はもともとインドの言葉で書かれていたはずである。それが中国に伝わったとき、中国の人はインドの言葉ではわからないので、すべて中国語に翻訳したのである。それを漢訳といっている。その漢訳をした人が三蔵法師である。有名な孫悟空が出てくる『西遊記』というのを御存知であろうか。そこでは固有名詞として用いられている。むかしテレビで夏目雅子が演じた人物である。孫悟空たちは「三蔵法師さま」と呼んでいたが、それは架空の物語である。実際に「三蔵法師」という名前の人がいたわけではない。そのモデルとなったのは玄奘(六○二~六六四)という人である。そうした翻訳僧を三蔵法師というのであるから、普通名詞である。他にも三蔵法師と呼ばれた人は幾人もいるのである。彼らの手によってインドの言葉で書かれたお経さまが中国の言葉に翻訳された。つまり漢訳された。それがそのまま日本に伝わって、今日も用いられているのである。そこで人はよく言う。「漢字ばかりで何が書いてあるのか全然わからへん」もっともなことである。その声を受けて本願寺では現代語訳したものを出版している。興味があれば読まれるといいであろう。ただし、漢訳を現代語訳すると、確かにわかりやすいかもしれないが、意味が薄っぺらいものになってしまう。一長一短である。その点、注意しておくべきであろう。

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正明と傍明

2015年09月21日 | 水月法話

阿弥陀さまやそのお浄土について説かれた経論は数多い。中国天台宗の荊渓湛然(七一一~七八二)という人が「諸教所讃、多在弥陀(諸教に讃ずる所、多く弥陀に在り)」と言われた言葉はあまりにも有名である。

しかし法然聖人(一一三三~一二一二)はそれを「正明往生浄土の教」と「傍明往生浄土の教」という二つに分けられた。確かに阿弥陀さまやそのお浄土を説く経論は多いのだが、正(まさ)しくそれをテーマとして説かれたものと、他にテーマがあって傍らにそれを説くものがあると見極められたのである。傍らにというのは、他にあるテーマへ導くために、ついでに説かれたというほどのものである。例として『華厳経』『法華経』『随求陀羅尼経』『尊勝陀羅尼経』等、『大乗起信論』『宝性論』『十住毘婆沙論』『摂大乗論』等といわれている。このうち『十住毘婆沙論』については少々問題があって、親鸞聖人(一一七三~一二六三)は「傍明(傍らに明かす)」というより「正明(正しく明かす)」の論と見られるのだが、いまはそれについて触れないでおく。

そうした「傍明(傍らに明かす)」に対して「正明(正しく明かす)」というのは「三経一論これなり」といわれている。そのなかの「一論」とは天親菩薩(四○○~四八○)の『浄土論』のことであるが、これもいまは横に置いておく。問題は「三経」である。『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』をいう。法然聖人はこれを「浄土三部経」と名づけられた。「浄土三部経」という名称は法然聖人によるのである。また「浄土三部経」というお経があるのではなく、『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』の三つをひっくるめてそのように呼ぶのである。そしてその三つのお経こそ正しく阿弥陀さまやそのお浄土をテーマとして説かれたものと見抜かれたのであった。

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行空上人研究の序言

2015年09月20日 | 法本房行空上人試考

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諸教所讃、多在弥陀

2015年09月19日 | 水月法話

阿弥陀さまについては多くのお経やその心を明かした論といわれる書のなかに説かれている。いまは浄土真宗という仏法の話であるのに、天台宗の話になってしまうが、親鸞聖人も九歳から二十九歳までの二十年間、比叡山で学問と修行に励まれたのであるから、少しばかりそれに触れよう。

中国天台宗の祖・智者大師智(五三八~五九七)が講義したものを門人の章安大師灌頂(五六○~六三二)が筆録した『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』を天台三大部という。そのなかで『摩訶止観』には天台宗の実践、修行法が説かれている。まず第一章・大意には「発大心、修大行、感大果、裂大網、帰大処」と示されている。簡単にいえば、菩提心を発し、修行して、さとりを得ていくということである。そこに「修大行」とある。実は親鸞聖人が「大行とはすなはち無礙光如来の名を称するなり」といい、お念仏を「大行」と呼ばれるのはこれを意識したものと考えられる。しかし『摩訶止観』における「修大行」は、常坐三昧・常行三昧・半行半坐三昧・非行非坐三昧という四種三昧である。そのうち常行三昧というのは、九十日間、お堂の真ん中に阿弥陀さまを御安置し、その周りを合掌したまま「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と唱えながら歩き続けるという行である。いっさい休むことは許されない。また横になってもいけない。ただお風呂とおトイレの時だけは別である。それ以外はお堂から出ることはできない。歩き続けるのである。眠るときはお堂の柱と柱のあいだに横棒があって、それにもたれて寝るのである。そうすると当然のことで、血液が下にさがり、意識が朦朧としてくる。そのなかで澄み切った夜空に星を見るように、あらゆる世界の仏さまが目の前に立ちたまうのを見ることができるという。そこでこの行を「仏立三昧」とも呼ぶのである。おそらく親鸞聖人もこの行をなされたのではないか。むしろされなかったはずはないと思う。そして現在でも比叡山上でなされている。その体験談を道元徹心氏編『龍谷大学仏教学叢書3 天台─比叡に響く仏の声』(自照社出版、二○一二年)のなかに高川慈照氏という人が書かれているから、御覧になるといい。

ともあれ、その常行三昧は「歩歩、声声、念念、ただ阿弥陀仏にあるのみ」とある。ひたすら阿弥陀さまに身も口も心も集中していくのである。そうした常行三昧を明かす『摩訶止観』の註釈書として最も重用されるのは中国天台宗第六祖の荊渓湛然(七一一~七八二)が著した『止観輔行伝弘決』である。そこに「諸教所讃、多在弥陀(諸教に讃ずる所、多く弥陀に在り)」といわている。なぜ常行三昧は阿弥陀さま一仏なのかといえば、もろもろの教えのなかに多く阿弥陀さまが説かれているからだということであろう。具体的には江戸時代の宗学者・継成(?~一七七四)が『阿弥陀仏説林』(『真宗全書』第七巻)に一切経のなかから二百五十余部を抄出している。また現代においては藤田宏達氏が『原始浄土思想の研究』(岩波書店、一九七○年)において二百九十部を数えられている。まさに「諸教所讃、多在弥陀」である。

なお注意しておかねばならないのは、常行三昧のお念仏と浄土真宗のお念仏は違うということである。九十日という期間を設けたり、歩き続けるという形をとったり、身も口も心も集中するということはないのである。ただ、いつでも、どこでも、おおらかにお念仏申すのである。

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お取り次ぎ

2015年09月18日 | 水月法話

法話とは文字通り法の話である。その法とは仏法である。仏法の話をするから法話である。世間の話をするのは世間話、笑う話をするのは落語や漫才、事件や事故などを報道するのはニュース、商売の話をするのは商談という。それらに対して仏法の話をするから法話といわれる。ただし、その仏法にもいろいろある。天台宗という仏法、真言宗という仏法、華厳宗という仏法などである。いまは浄土真宗という仏法の話である。

その浄土真宗の御本尊、本尊というのは根本の主尊ということで、お寺あるいは各御家庭のお仏壇の真ん中に御安置申し上げる仏・菩薩のことであり、それに尊敬語、丁寧語の「御」の字をつけて御本尊という。浄土真宗の場合は阿弥陀さまである。何事にも例外というのはつきものであるが、浄土真宗の御本尊に限っては一切例外はない。必ず阿弥陀さまである。なぜなら、浄土真宗はその阿弥陀さまに救われていく教えであるからである。

そこで浄土真宗という仏法の話は、とりもなおさず阿弥陀さまの話をすることである。もっといえば、阿弥陀さまのみ言葉をお取り次ぎすることである。したがって法話はまた「お取り次ぎ」とも呼ばれるのである。

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行空上人研究の経緯②

2015年09月18日 | 法本房行空上人試考

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