天上の月影

勅命のほかに領解なし

『天台四教儀』を読む(15)

2018年08月15日 | 勉強日誌
 ところが「若し機に約し教に約すれば、未だ権を兼(かぬ)ることを免(まぬが)れず」といいます。「若し機に約し教に約すれば」とは、もし教えを聞く機根の立場で語ったり、経典の内容から語ったならば、ということです。「権」は権仮で方便の教えです。まだ方便の権教を兼ね備えた教えであることを免れないといっているのです。なぜならというので、まず『華厳経』梵行品(『大正新脩大蔵経』九・四四九頁下)の文が引かれます。「謂く初発心時便成正覚等の文は」といっているものです。「初発心時便成正覚」は「初発心時に便ち正覚を成ず」と訓み、発心即成仏を意味しているので、内容的には円教の意味になります。ただ「初発心時」はあえて位次に配当すれば円教の初住の位となります。この位から、一分の無明を断じて、一分の中道を証し、一分仏と等しき位に至って、仏と同じく八相成道の化用を起こします。これを「円機の為に円教を説くなり」というのです。円教の機根のために説かれた教えであるということです。しかし「処処に行布次第を説くは、則ち権機の為に別教を説くなり」といいます。「行布次第」の「行布」は行列配布で種々の法門を並べることです。「次第」はそれらの法門を次第順序をおって、十住・十行・十回向・十地など長時にわたって修行することをいいます。界外の菩薩に対して別教を説かれたもので、菩薩が歴劫修行によって順に階位を経て、ついに仏果に至ることをいいます。「権機の為に別教を説くなり」は先ほどの「円機の為に円教を説くなり」に対し、諸処に方便の教えしか理解できない機根のために別教の教えが散説されているということです。「故に部に約して頓と為し、教に約して兼と名づく」というのです。釈尊一代教を大きく部門分けした時は、華厳部は大機のために頓教を説いたということになるけれども、教説の内容からすれば円教に別教を兼ね備えているといっているのです。
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