天上の月影

勅命のほかに領解なし

本願力回向の宗義(3)

2019年01月07日 | 勉強日誌
 ともあれ、法蔵菩薩は五劫があいだ思惟して第十八願を中心とする四十八願を建立されました。その「思惟」とは考えるということです。どれだけ考えたかというと、「五劫」であるというのです。「劫」とは時間の単位ですが、とても計れる時間ではないので、つねに譬喩で示されます。ただしその譬喩にも盤石劫、芥子劫があり、それを説明するにも諸説あります。一例を挙げれば、蓮如上人の『正信偈大意』に、

まづ一劫といふは、たかさ四十里ひろさ四十里の石を、天人の羽衣をもつて、そのおもさ、銭一つの四つの字を一つのけて三つの字のおもさなるをきて、三年に一度くだりてこの石をなで尽せるを一劫といふなり。(『註釈版』一○二三頁)

とあります。その五倍が五劫です。要するに、とてつもなく長い時間だということをいいたいのです。ただそのようにいうと、地球が誕生して四十六億年、どうなっているのか?といった人がありました。けれどもいまは事実をいっているのではありません。意味をいっているのです。『蓮如上人御一代記聞書』二四二条に、

思案の頂上と申すべきは、弥陀如来の五劫思惟の本願にすぎたることはなし。(『註釈版』一三一一頁)

といわれています。これ以上の思案はないということです。とすれば、私たちが考える余地はない、ということになります。考えたければ、五劫以上に考えろ、ということです。そのようなことはできるはずはありません。ではどうするか、そのままいただけ、ということなのです。浄土真宗は私たちの側から考えていく教えではありません。阿弥陀仏の第十八願、本願のみ言葉をそのままいただいていく教えであるわけです。それはともかく、法蔵菩薩は五劫のあいだ思惟して四十八願を建立された、それで終わったわけではありません。つぎに四十八願を完成するため兆載永劫の修行をされました。そのなかに「少欲知足」「和顔愛語」といった言葉が出てきます。そしてついに阿弥陀仏と成られたのです。そこのところを『大経』には、

仏、阿難に告げたまはく、法蔵菩薩、いますでに成仏して、現に西方にまします。ここを去ること十万億刹なり。その仏の世界をば名づけて安楽といふと。……仏のたまはく、成仏よりこのかた、おほよそ十劫を歴たまへり。(『註釈版』二八頁)

と説かれています。そこで『浄土和讃』「讃弥陀偈讃」に、

弥陀成仏のこのかたは いまに十劫をへたまへり(『註釈版』五五七頁)

と詠われているのです。そうすると法蔵菩薩が阿弥陀仏に成られたのですから、四十八願は成就したということになります。願は願のままに終わらずに、願を実現する力が完成したということです。第十八願でいえば、「設我得仏、十方衆生、至心信楽、欲生我国、乃至十念、若不生者、不取正覚、唯除五逆、誹謗正法」、「たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ。ただ五逆と誹謗正法とをば除く」とありました。たとえ私が仏陀と成り得たとしても、あらゆる生きとし生けるものが、本当に間違いなく我が国に生まれると思うて、たとえわずか十返でも念仏せしめよう。もしもその者を生まれさせることができなければ、私は決して仏陀とはなりません。ただし五逆の罪を造る者や正法を誹謗する者は除く、というのものでした。そのなか「唯除五逆、誹謗正法」「ただ五逆と誹謗正法とをば除く」は抑止門(おくしもん)といって別に問題になりますので、後々お話をします。いまはその前です。「至心信楽、欲生我国(至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて)」は心のあり方のことで信になります。「乃至十念(乃至十念せん)」は念仏申すという行いですから行になります。信ぜしめ、行ぜしめたいということです。それが願の状態です。その願が成就したのですから、信ぜしめ、行ぜしめる、ということになります。そしてその者を「若不生者、不取正覚(もし生ぜずは、正覚を取らじ)」と誓われていました。もしも生まれさせることができなければ決して正覚をとりません、というのです。「正覚」とは仏陀に成ることです。それを賭けて誓われたのです。その願が成就し阿弥陀仏と成られたのですから、必ず生まれさせる、ということになります。つまり「十方衆生」、あらゆる生きとし生けるものですが、具体的には私たちです。私たちを信ぜしめ、行ぜしめ、必ず浄土に生まれさせるという力が完成したのです。それが「本願力回向」の「力」です。「力」は力用(りきゆう)、はたらきです。くどいようですが、願は願のままに終わらずに力用(りきゆう)をもったのです。信ぜしめ、行ぜしめ、浄土に生まれさせたいという願を実現し、信ぜしめ、行ぜしめ、浄土に生まれさせるというはたらきをもったのです。「させたい」という願が「させる」という力となったわけです。それが「本願力」です。
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