天上の月影

勅命のほかに領解なし

本願力回向の宗義(4)

2019年01月08日 | 勉強日誌
 そして「回向」とは回転(えてん)趣向という意味で方向転換することです。みずから修行して積み上げた善根功徳をふり向けることです。どこにふり向けるかによって、菩提回向、衆生回向、実際回向の三種があるといわれます。さとりの完成にふり向けることを菩提回向といいます。他の人々を救済するためにふり向けることを衆生回向といいます。空無為といわれる真理にかなっていこうとするのを実際回向といいます。そのなかでいまの「回向」は衆生回向にあたります。なぜなら、法蔵菩薩が五劫のあいだ思惟して四十八願を建立し、それを成就するために兆載永劫の修行をされて阿弥陀仏と成り、十方衆生である私たちを信ぜしめ、行ぜしめ、浄土に生まれさせるという本願力は、私たちの上にはたらいているからです。本願力が向かう先は私たちなのです。私たちのところへ向かい、はたらいているのです。阿弥陀仏→私たち、ということになります。それを「回向」といったのです。その意味では本願力を具体的にいったものといえましょう。そこで『蓮如上人御一代記聞書』第三八条には「回向といふは、弥陀如来の、衆生を御たすけをいふなりと仰せられ候ふなり」(『註釈版』一二四五頁)といわれるのです。ここで注意しておきたいのは、「弥陀如来の」といわれている点です。回向の主体が示されています。誰が回向するのかといえば、阿弥陀仏であるというのです。実は親鸞聖人が「本願力回向」といわれたのは、天親菩薩の『浄土論』、曇鸞大師の『往生論註』に依られているのですが、そこに説かれる回向の主体は行者です。行者が回向していくのです。けれども親鸞聖人がいわれる場合の回向の主体はあくまで阿弥陀仏なのです。先ほど記したように、阿弥陀仏→私たち、であることを決して間違えてはなりません。
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