天上の月影

勅命のほかに領解なし

承元(建永)の法難の結末(6)

2017年08月16日 | 小論文

 なお覚如の『拾遺古徳伝』によれば親鸞の流罪について次のように伝えている。
 

住蓮・安楽等の四人は物忩の沙汰にて左右なく誅せられをはりぬ。そのほかなほ死罪あるべしなどきこえけるなかに、善信聖人(=親鸞)も死罪たるべきよし風聞す。それかの聖人はいまだ宿老におよばずといへども、師の提携にもたへ、宗の奥義をもつたへて世誉等倫にこえ、智徳諸方にあまねかりければにや、かねて天聴にそはなり、さいだちて雲上にきこゆ。まめやかに徳用やはたしけん。君臣ともに猶豫のうへ、六角のさきの中納言親経の卿、年来一門の好(よし)みを通ぜられけるが、おりふし八座にて議定のみぎりにつらなりて、まうしなだめられけるによりて、遠流にさだまりてけり。すなはち配所越後の国〔国府〕におもむきまします(1)。

親鸞ははじめ死罪であったが、死一等減ぜられて遠流になったというのである。これについて梯實圓氏は、「事実かどうか、今のところ『拾遺古徳伝』以外に確かめる文献はありません。しかしそういう伝承があったにちがいありません(2)」といわれている。

(1)覚如『拾遺古徳伝』巻七第三段(『真宗聖教全書』三・七四一頁。
(2)梯實圓氏『親鸞聖人の生涯』(法蔵館、二○一六年)一一五頁。

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