天上の月影

勅命のほかに領解なし

再説・遊蓮房円照のこと(2)

2018年11月02日 | 勉強日誌
 ところが平治元年(一二五九)十二月九日夜、対立する藤原信頼(一一三三~一一五九)・源義朝(一一二三~一一六○)は信西と与していた平清盛(一一一八~一一八一)が熊野参詣中をねらって挙兵し、信西は逃亡したが自害して果てた。平治の乱のはじまりである(1)。これによって子息たちは縁座して流罪となった。是憲(遊房房)は佐渡国が配所であったといわれているのである。その後、出家して京都・西山の広谷に棲み、善導(六一三~六八一)の教えを規範として、ひたすら念仏の生活を送り、霊証を得た。一族からは仏の如く尊ばれ、君の如く敬われたという(2)。法然が回心後、広谷に移住したのはこの遊蓮房に会うためであった(3)。そしてまもなく、死期の近いことをさとった遊蓮房は善峰別所に移り、法然が臨終の善知識をつとめた。『明義進行集』には「臨終に九念していま一念と、法然上人にすゝめられ、申して、高声に一念して、やかていきたへぬ(4)」とある。『四十八巻伝』はこれに依って同じ内容を記し、つづいて、

上人つねには、浄土の法門と、遊蓮房とにあへるこそ、人界の生をうけたる、思出にては侍れとぞおほせられける(5)。

と伝えている。そこで田中圭一氏は行空が遊蓮房のことを知らないはずはなく、「彼(=行空)は佐渡配流を、一面で円照(=遊蓮房)の佐渡における諸体験の再体験者であるという自覚をもっていたに違いない」といわれるのである(6)。


(1)ちなみに平清盛は熊野路で知らせを受け、急いで都へ帰り、十二月二十五・二十六日、信頼・義朝を討ち、平家全盛の時代を迎えることになる。
(2)『明義進行集』巻第二(『法然上人伝全集』九九九~一○○○頁)
(3)伊藤唯真氏『浄土宗の成立と展開』(吉川弘文館、一九八一年)五六頁。
(4)『明義進行集』巻第二(『法然上人伝全集』九九九頁)
(5)『法然上人行状絵図(四十八巻伝)』第四十五巻(『法然上人伝全集』二八四頁)
(6)註(1)の『佐渡流人史』二二頁、『定本佐渡流人史』一一三頁。および花田玄道氏『鎮西教学成立の歴史的背景』八一頁。
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