天上の月影

勅命のほかに領解なし

晃照寺旧跡説(2)

2018年08月25日 | 勉強日誌
 御住職はまず橘正隆氏が用いられる「晃照寺古境内図」という言葉を問題にされる。先の写真では読みづらいが、これは明治三十三年(一九○○)十二月に金沢済美館が製版した銅版画で、「新潟県佐渡国佐渡郡河崎村 曹洞宗龍寿山晃照寺之景」と題されている。明治三十年前後、各地の名所旧跡を紹介するために盛んに制作されたものの一つと考えられる。しかし橘氏はそれを明らかにせず、「古境内図」という言葉を使うことによって、何もわからない読者には江戸時代以前に作られた古い絵図のように誤解させると批判され、「旧境内図」と呼ばれる。
 そして御住職が最も力を入れられるのは、橘氏がいわれる「石の記念塔が建っている」ということである。「旧境内図」を見ると、山門、鐘楼、玄関、本堂、庫裏、真更川などが描かれ、その上に、それが何であるかを示す文字を四角で囲っている。つまり四角で囲まれた文字は事物の名称をあらわしているのである。ところが「法本房旧跡」という囲み文字の下には何の事物も描かれていない。かろうじて樹の幹があるようにも見えるが、少なくとも「石の記念塔」ではない。おそらく橘氏はその「法本房旧跡」の囲み文字を「石の記念塔」と見なしたのであろう。それは早合点といわざるをえない。
 ただ「石の記念塔」はないにせよ、「旧境内図」には「法本房旧跡」の囲み文字があって、晃照寺境内が行空の結庵の跡であることを示している。しかしそれがまた問題である。御住職は一七五七年九月の『龍壽山晃照禅刹寺像因由記』によって、晃照寺境内が行空の旧跡であったという寺伝はないといわれる。そのうえ「旧境内図」を見ても、右上、左下の余白に晃照寺の由来が書かれているが、そこにもまったく行空に触れるところはない。
 さらに御住職は、宝暦年代(一七五一~一七六三)のものとされる『佐州巡村記』を取り上げられる。それは「佐渡奉行が新たに着任し、島内各町村を巡視するに際し、あらかじめ管内の実状を知るために、奉行所で編集したもの」で、「各町村における当時の家数、人数、(中略)寺院、神社、名勝、旧跡を記した」、佐渡の「巡村記のなかでは最古のものであろう」といわれるものである(5)。その「川崎村」の項を見ると、寺社を挙げるなかに「〔禅宗〕晃照寺」(=括弧内の宗名は小字、以下同じ))とあるだけである(6)。御住職はもし晃照寺境内が行空の旧跡と伝えられていたら、当然取り上げられるはずであるのに、それがないということは、そういう伝えはなかった証左であるといわれるのである。


(5)『佐渡叢書』一○・「解題」九~一○頁。
(6)『佐州巡村記』(『佐渡叢書』一○・五一頁)
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