天上の月影

勅命のほかに領解なし

平生業成の教え(3)

2018年10月14日 | 水月法話
29、こうして一念義は平生業成説をとり、多念義は臨終業成説をとる。その臨終業成説は天台浄土教の臨終行儀の影響下があると思われる。『往生要集』大文第六「臨終行儀」に引用される善導大師の『観念法門』を現代語訳して引用してみよう。
30、行者が病気になって、あるいは病気でなくとも、臨終が近いと思えば、すでに説いた念仏三昧の教えに順い、身も心も正しくととのえて、顔を西に向け、心を集中して阿弥陀仏を観想し、心と言葉とが合致した状態で途絶えることなく仏名を称え、惑うことなく自身が往生してゆくすがたを想念し、蓮華台と共に仏・菩薩が極楽からやって来て迎え取ってくださるという情景を想念せよ。その情景を見ることができたならば、病人は看病人に向かってその様子を告げよ。告げられたらその通りに記録せよ。もし告げることができないようなら、看病人は何度も何度も、〈どんな情景が見えるのか〉と問え。もし罪のために苦しんでいるようなら、共に仏を念じ、みなで助けて懺悔して、必ず罪をほろぼすようにせよ。罪を滅ぼしたならば、その念に応じて蓮華台と共に仏・菩薩が出現するであろう。その様子を聞いて記録せよ。もし病人の家族が見舞いに来ても、酒肉・五辛を口にした者は決して中に入れてはならない。病人の近くに寄せてはならない。臨終正念が保たれず、心が乱れ、混乱の中で息絶えて、悪道に堕ちることになろう。行者たちよ、どうか身を慎み、仏の教えをよく守って、共に仏を拝見できるよう努めていただきたい。(梯信暁氏訳)
31、また「臨終行儀」には次のような文もある。同じく現代語訳で示そう。
今まさに命終わろうとする時に、次のように言え。「仏弟子よ、わかるか。これが最後の一念だ。臨終一念の力は、一生百年分の行為の力にも勝るという。この一念が過ぎれば、次に生まれる場所が決定する。今こそその時なのだ。ひたすら仏を念じて、必ず西方極楽浄土の、八功徳の池に浮かぶ、七宝の蓮台の上に往生するのだと思い定めよ」と。(同訳)
32、こうした臨終重視の傾向が臨終業成説の背景にあると思われる。そこで多念義的傾向の強い弁長上人は『念仏名義集』に次のように言われている。

世の中の人の往生したるぞ、悪道に堕ちたるぞと申す事は、此の臨終にて知るなり。臨終の吉(よ)き人は往生したると知る。臨終の悪しきをば悪道に落ちたりと知るなり。臨終善(よ)きと申すは日来(ひご)ろやむ病ひをもとり直し苦しまずして心善(よ)く成りて手を合掌し居眠るやうにして命終る時、終りの言(こと)ばには南無阿弥陀仏と申して死するなり。或いは紫雲なんども聳(そび)え光明を拝み、化仏を見奉る。是れは上品の臨終なり。是の様に居てこそ死すべけれども寝ながら寝入たる様に念仏申して、申し死に、死するは往生するなり。是は皆、臨終の吉(よ)きなり。
又、臨終の悪しき様と申すは臥しまろび血を吐いて狂い死すなり。或いは口に物も云はずして死ぬものもあり。或いは西と云はんとて東と云ひ、或いは白しと云はんとて赤しと云ふ。加様に心迷ひ物を云ひたがゆる人もあり。是は皆、三悪道に堕つる人なり。
但し此の此様の念仏の一脈の中に臨終は何ともあれ往生するぞと云ふ一脈の流れ有りと聞く。是れは僻(ひが)める念仏の一脈なり。血を吐き死する人物のくるはしくして狂ひ死に、死なん人をば何んの往生したると云はん。此の事、荒量なり。決定無き余り過ぎたる事なり。(『浄土宗全書』一○・三八○頁)
33、それに対して親鸞聖人は『親鸞聖人御消息』第十六通に次のように言われている。

  まづ善信(=親鸞)が身には、臨終の善悪をば申さず(『註釈版聖典』七七一頁)

前の弁長上人と真反対である。
34、その弁長上人の系統である鎮西派の臨終業成説に対して、親鸞聖人の「信心の定まるとき往生また定まるなり」「臨終の善悪をば申さず」を継承し、平生業成説を立てたのが覚如上人であった。
35、覚如上人は『口伝鈔』第二十一条に第十八願成就文、流通分の文、『往生礼讃』の文を引用して次のように言われる。

これらの文証みな無常の根機を本とするゆゑに、一念をもつて往生治定の時剋と定めて、いのちのぶれば、自然と多念におよぶ道理を明かせり。されば平生のとき、一念往生治定のうへの仏恩報謝の多念の称名とならふところ、文証・道理顕然なり。
もし多念をもつて本願としたまはば、多念のきはまり、いづれのときと定むべきぞや。いのちをはるときなるべくんば、凡夫に死の縁まちまちなり。火に焼けても死し、水にながれても死し、乃至、刀剣にあたりても死し、ねぶりのうちにも死せん。これみな先業の所感、さらにのがるべからず。(『註釈版聖典』九一一~九一二頁)

私たちにとって死の縁はまちまちである。どのような死に方をするかわからない。無常迅速である。臨終の善悪など、そのときになってみなければわかったものではない。こうした厳しい人間観に裏づけられているのが平生業成説である。今、阿弥陀仏に抱かれていると知らされれば、安心して大らかに念仏申し、すでに浄土への往生が決定しているから、安心して命終わることができる。逆に臨終業成説であれば、臨終のありさまが善きよう、必死に念仏申さねばならない。そこに安心はない。不安の叫びである。往生が決定するかどうかは臨終の善悪であるから、甘い人間観といえよう。そこで覚如上人・蓮如上人は、一念義の思想に近いが、親鸞聖人を継承して平生業成を真宗の特徴と立てたのであった。
36、なお親鸞聖人は平生業成の語を用いず、たとえば『親鸞聖人御消息』第一通に「真実信心の行人は、摂取不捨のゆゑに正定聚の位に住す」(『註釈版聖典』七三五頁)とあるように、正定聚の位に入ると言われるが、それについては別の機会に譲る。
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平生業成の教え(2)

2018年10月13日 | 水月法話
18、インターネットで親鸞聖人の教えとは?と聞かれて、平生業成と答えれば百点満点であるという記事を見たことがある。しかし、それは浄土教学を勉強していない者の言うことである。みずからの不勉強を恥じねばならないであろう。
19、私が高校生のころ、学校の教科書には法然聖人が浄土宗を開き、その弟子の親鸞聖人は浄土真宗を開いたと書かれていたが、それは正確ではない。
20、なぜなら親鸞聖人には法然聖人の浄土宗の他に一宗を開くという意思はなかったからである。のちの覚如上人や蓮如上人が親鸞聖人を浄土真宗の開祖と仰いだのである。そして法然聖人は元祖と敬っている。確かに法然聖人と親鸞聖人とは教義体系の立て方が異なっているが、教えは一貫し連続しているのである。
21、法然聖人の弟子は親鸞聖人だけではない。多くの弟子がいた。覚如上人は「三百八十余人」(『御伝鈔』など)といわれている。それが正しいかどうかわからないが、いちおう、それにしたがっておく。
22、そのなかで上足の弟子といわれる人たちがいた。たとえば、弁長上人、證空上人、幸西大徳などである。親鸞聖人は古い文献に名があらわれないが、入れることができよう。そしてそれぞれの系統が伝えられていった。図示すれば次のようである。
  
(図示を略す)

他に隆寛律師の長楽寺流、長西上人の九品寺流なども重要であるが、いまは略する。
23、そのうち現在まで伝わるのは、弁長上人の鎮西派と證空上人の西山派と親鸞聖人の浄土真宗の三流のみである。他は絶えてしまった。ただ注目したいのは幸西大徳の一念義である。幸西大徳自身はみずからの教えを一念義といわれないが、他から一念義と呼ばれた。
24、その一念義は多念義に対する。法然聖人の在世中から滅後にかけて、一念義と多念義が論争を繰り返し、弁長上人の『浄土宗名目問答』によれば水火のごとく争ったという(『浄土宗全書』一○・四一三頁)。一念多念の諍論と呼ばれている。『古今著聞集』によると、後鳥羽上皇の耳にも入り、関心を持たれたようである(『岩波古典文学大系』八四・一○二頁)。
25、その一念義・多念義にはそれぞれ種々の義があるが、概していうと、一念義とは一声の称名もしくは本願を信ずる一念で往生が決定するというものであり、多念義とは多念の称名を相続して臨終に往生が決定するというものである。したがって、必然的に一念義は平生業成説になり、多念義は臨終業成説になる。
26、そこで平生業成は親鸞聖人だけが言われるのではなく、一念義系の人はみな言うのである。たとえば先ほどの幸西大徳は『浄土法門源流章』引用の『略料簡』に「仏心と相応する時に業成す、時節の早晩を問ふこと無し」(『浄土宗全書』一五・五九三頁)と平生業成を示されている。真宗だけの特徴というわけではないのである。
27、なお親鸞聖人は一念義的傾向が強かったが、決して一念義ではなかった。一念・多念を超えていたのである。『親鸞聖人御消息』第十八通には一念多念の諍論を不毛の論争と誡められ(『註釈版聖典』七七五頁)、『一念多念文意』には「一念多念のあらそひをなすひとをば、異学・異見のひとと申すなり」(『同』六八八頁)と批判され、全体を「一念をひがごととおもふまじき事」「多念をひがごととおもふまじき事」の二段に分けて要文を註釈して、一念も実義、多念も実義とし、最後に「これにて、一念多念のあらそひあるまじきことは、おしはからせたまふべし。浄土真宗のならひには、念仏往生と申すなり、まつたく一念往生・多念往生と申すことなし」(『同』六九四頁)と言われている。それは法然聖人の常教である「信をば一念にむまるととりて、行をば一形はげむべし」(『真宗聖教全書』四・六三三頁)を継承するものであった。
28、そのなかの一念に偏執したのが一念義であり、多念に偏執したのが多念義である。それはあくまで偏執であるから、一念義の人は多念の称名を否定し、多念義の人は一念では事足りないと主張した。そこで論争が起こったのである。しかし幸西大徳は一念義とは呼ばれるけれども、決して多念の称名を否定していない。偏執の一念義ではないのである。一念ということを徹底して追求されたと言っておこう。

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平生業成の教え(1)

2018年10月12日 | 水月法話
1,浄土真宗の教えの三本柱は信心正因・称名報恩・平生業成である。
2,平生業成を「平生往生」と聞き違えている人がいるが、正しくは平生業成である。
3,平生業成は臨終業成に対する。
4,業成は業事成弁、あるいは業因成就の意味で、往生が決定することをいう。
5、そこで平生業成とは平生の今に往生が決定することをいい、臨終業成とは臨終に往生が決定することである。そのうち真宗は平生業成と説く。
6,ただし平生業成の語は親鸞聖人に用例がない。それでも随所にその意味はある。一例を挙げれば、『親鸞聖人御消息』第一通に「信心の定まるとき往生また定まるなり」(『註釈版聖典』七三五頁)とある。
7、はじめに平生業成の語を用いられたのは本願寺第三代・覚如上人であり、盛んに用いられたのは第八代・蓮如上人であった。
8,その例として覚如上人の『改邪鈔』には「平生業成の他力の心行」(『註釈版聖典』九一八頁)とある。蓮如上人の『御文章』は枚挙にいとまがないが、一帖目第四通に「そもそも、親鸞聖人の一流においては、平生業成の義にして」(『同』一○八七頁)とある。
9,ちなみに『御文章』五帖目第十通(聖人一流章)に「一心に弥陀に帰命すれば、不可思議の願力として、仏のかたより往生は治定せしめたまふ」も平生業成をいっている。
10、親鸞聖人の「信心の定まるとき往生また定まるなり」を、蓮如上人は「親鸞聖人の一流においては、平生業成の義にして」と領解されている。ここに真宗の教えの三本柱の一つ・平生業成が成立した。

11、前に業成とは往生が決定することであるといったが、では平生とは何か。親鸞聖人の言葉でいえば、「信心の定まるとき」である。
12、信心とは阿弥陀仏がみずからの善根功徳のありだけを南無阿弥陀仏の六字にこめて、どうかこれを称えておくれよ、どうかこれを受け取っておくれよ、と恵み与え施したまう南無阿弥陀仏の名号を、ありがとうございますと素直にいただいていることをである。
13、私がつねに言う言葉でいえば、阿弥陀仏が「どうかお願いだから、お念仏申す身になっておくれよ。その念仏申すあなたを必ず浄土に生まれさせる」をいう本願の み言葉を受け入れ、聞き入れている状態である。
14、昔のお説教師の言葉でいえば、阿弥陀仏が必ず救う、われにまかせよ、という本願の仰せにしたがい、おまかせ申し上げていることである。
15、それをどうだろうか、こうだろうかと考えて二の足踏み、けっこうでございますと拒絶していることを疑いという。
16、その疑い晴れて、南無阿弥陀仏をありがとうございますといただき、本願を聞き入れ、阿弥陀仏におまかせ申し上げたときを「信心の定まるとき」という。
17、それは「今」である。臨終の状態にあっても「今」である。そのとき往生が決定し、阿弥陀仏は摂取不捨と抱きしめて、もうこれから先、私たちがどのような身の上になったとしても、お見捨てにはならない。たとえ私が忘れても、阿弥陀仏は決して私を忘れてはくださらないのである。
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身替りの阿弥陀如来

2018年10月03日 | 水月法話
 常陸国河原田(現在の茨城県水戸市河原田)に報仏寺というお寺がある。『歎異抄』の著者・唯円房ゆかりのお寺である。了貞師の『二十四輩順拝図会』(享和三年〈一八○三〉刊行)には、次のような伝説が述べられている(『真宗史料集成』八・八九○頁)。

唯円房の御事世に伝ふる所を聞に、彼平太郎が舎弟平治郎といふ者あり、性質勇猛剛腹にして神仏を信ぜず只己が思ふほどにぞ事を行ひける、妻女何某なる者はこれに引かへ、明暮後世の事にのみ打歎きて頃しも聖人当国(=常陸国)を御化益ましましけれは、人しれす時々法筵に詣でふかく御教化を信じ参らせ誠に二心なき信女なりしかば、聖人奇特に思しめされ御真筆の名号を授与し給ひしに、平治郎の見ん事を憚り常に櫛筺に入置朝暮に是を念じ奉りしが、平治郎かくとはしらで妻女のふるまひ心行ず、我に忍びて夜中何の所用かあらん、是必ず外に通へる密夫有にこそと一途に思ひつめ、所詮討すて思ひをはらさんものとわざと宵より出かわして、村はづれの木隠れに妻女のかへるを待わびけるこそ恐しけれ、妻女は又今宵しも平治郎他行なれば、私に聖人の御坊へ参詣し御勧化を聴聞し何心なく帰けるを、平治郎夫と見るより詞もかけず抜打に切付しが、肩先より乳の下まで切さげられ、憐れむべし妻女は一刀の下に息たえたり、平治郎はしすましたりと独歓び其儘宿所へかへりけるが、いかなる事にか妻は恙なくて、其上うらみたる色目もなく立出て平治郎の面をつくづくまもり、今宵は何とかせさせ給ふ御顔のたゞならず見へさせ候ふはといふに、平治郎は大に仰天し何さま怪異の事也とおもひ、即ありし事どもをつぶさに物語れば、妻もともに打驚き奇異の思ひをなしけるが、さるにても日来念じ奉る御ほとけの我を救はせ給ふにもやと、彼櫛筺の名号を取出し見てあれば、不思議なるかな名号の横さまにきれたるにぞ、妻も信心弥増にそゞろ涙をながし、あさましき我らごときの身にかわり給ふ事の勿体なやと称名もろともにふしおがめば、さしもの平治郎も、かくまのあたり奇特を見て霊験肝に銘じつゝ忽ち改悔の心を生じ、妻女とともに聖人の御坊に至り終に御弟子と成りけるとなん、右身替の名号と称し奉り、(後略)

要約すれば、平次郎(平治郎)はもともと信仰心のない邪見な男であった。それに引きかえ妻はたいへん信心深く、親鸞聖人の御教化にあずかっていた。ある時、聖人より御真筆の名号を授けられたが、平次郎の目を憚り、櫛筺に隠して、ひそかに拝んでいた。しかし、平次郎は邪推して、妻が密通していると思いこんだ。そこで平次郎は、聴聞に出かけた妻を村はずれで待ち伏せし、袈裟切りにした。ところが家に帰ってみると、何事もなかったかのように妻が立っている。驚いて事の次第を話すと、妻は思いついて櫛筺を開けてみた。すると、不思議にも聖人より与えられた名号が真っ二つに切れていた。それを目の当たりにした平次郎は改心し、聖人の許に至って、ついに弟子となった。それが唯円房であるというのである。ただし唯円房には親鸞聖人の身内の人であったという別の伝承もある。いま注目するのは「身替の名号」である。

 小菅徹也氏『佐渡西蓮寺史─一真宗寺院のあゆみ─』(西蓮寺、一九七四年)七五頁によれば、その西蓮寺の寺宝の一つに阿弥陀如来木像があり、次の縁起があるという。

昔(徳治三年頃)藤津村(金井町)の天所というところに、殺生を好む悪逆無道な伝右エ門という者が住んでいた。ところが妻は、慈悲の心を持った信心深い女性であった。
ある日、伝右エ門が、不猟のため荒々しい気持ちで家に帰って見ると、又もや妻が、仏間にこもって称名念仏の最中であった。それを見ると、伝右エ門はカッとなって、とうとう山刀で妻を殺してしまった。
やがて、さすがの伝右エ門も罪無き妻を手に掛けてしまった自分の非道に、後悔の涙を流していると、さきほどの仏間から殺したはずの妻が「今日は、早かったのですね」とやさしく迎えに出て来たので、伝右エ門が驚いて、さきほどからのことを物語ると妻も又驚き、もしやと仏間の御内仏をよくみると、御木像が血に染って立っておられた。 

これを「女人往生身替り阿弥陀如来」といい、その写真が掲載されている。

 この二つの伝承はほとんど同じストーリーである。報仏寺のほうはすでに知っていたが、佐渡にも同様な伝説があるのかとたいへん驚いた。これらが歴史的事実であるはずがない。しかし言おうとする事柄があると思われる。いろいろな解釈が可能であろうが、私はお念仏申す者はいつでもどこでも阿弥陀さまのお慈悲のなかに包まれているということをあらわす伝説であると味わっている
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百点満点(3)

2018年06月07日 | 水月法話

 このあいだ何気なしに、<ひろさちや>という人の本を開いておりましたら、おもしろいことが書いてありました。<ひろさちや>という人は、仏教の教えを平易に説かれる人で、たくさんの本を書かれています。本屋に行けば、一冊や二冊は<ひろさちや>氏の本があるはずです。結構おもしろいです。

 この<ひろさちや>氏、子供さんがおられまして、その子供さんがまだ小学校、中学校のころ、「お父さんが小学校、中学校、高校のころ、学校の成績はどうだった? よかった?」<ひろさちや>氏は東京大学の出身ですから、もちろんよかったのだけれど、もし「よかった」といえば、子供たちが、では自分もよくなければならないと思うのではないか、変に負担に感じるかもしれないと考えて、「忘れた」と答えたそうです。すると子供たちは、
「どうして忘れたのか」
「お父さんは自分で自分の成績が百点だと信じていた。だから忘れたんだよ」
「百点なら成績はよかったんじゃないか」
「いや、そうじゃない。お父さんは自分で自分の成績を百点とつけた。で、学校から試験の答案が返ってくる。それが仮に六○点だったとすると、これは先生が問題の出し間違いをしたんだ。お父さんが百点を取れないような問題を出した先生がおかしいんだ。先生はお父さんが百点を取れるような問題を出すべきだ。そういう問題を出さなかったのだから、先生が間違いだと思っていた。学校の試験問題なんか全然気にしなかったんだ」
「へぇー!」
そこで<ひろさちや>氏は子供たちにいうんです。
「あなたたちの成績はお父さんやお母さんがつけているんだよ。だから学校の成績なんて心配しないでいいんだよ。お父さんから見たらあなた方は百点満点の子供だ。お父さんはあなた方を百点だと思っている。お母さんもあなた方を百点だと思っている。そりゃ、お父さんもお母さんも、時には学校の成績を参考にはするけれど、学校の成績は他人がつけた成績だ。お父さんはそんなものであなた方を見ていない。あなた方を見ているのはお父さんだ。お父さんはあなた方を百点満点だと思っている。だから安心しなさい」
 それから後に子供さんたちはいわれるそうです。「あのとき、お父さんがああいってくれたんで助かったよ。変にしゃにむに勉強しなくてよかったので、ゆったりできてよかった」

 確かに世間では、学校に行けば学校の成績がある。社会にあっても社会の成績がある。世間は相対の世界ですから、そうした成績評価というものは必ずついてまわります。それは仕方のないことでしょう。けれども、家庭にあっては、親が子供を見るときには、百点満点と見てあげるべきでしょう。また夫が妻を見るときも、妻が夫を見るときも百点満点、最高の点数であるからこそ、家庭が安息の場所となるのです。世間ではたとえ六十点の評価でも、疲れて家に帰れば百点満点であるからこそ、安らいでいけるのです。

 いま、如来様もまた、わたくしたち一人一人を百点満点と見てくださる。かけがえのない大切な大切な如来の子よ、と見てくださる。世間の成績評価はさまざまで、それによって悩んだり苦しんだりしても、如来様はいつも百点満点をつけてくださるのだから、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏とお念仏申すとき、また、お仏壇の如来様の前でぬかづくとき、あたかも家庭で安らぐように、安心をさせていただくばかりであります。

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百点満点(2)

2018年06月06日 | 水月法話

 そこで「十方衆生」といわれるのは、如来様の相手です。「十方」というのは、東西南北上下四維、あるゆる方角を指します。「衆生」というのは、よく用いられる仏教用語で、あるゆる生きとし生けるもの。あらゆる方角の、あらゆる生きとし生きけるもの、つまり、あらゆる人たち、すべての人たち、ということです。


 如来様が相手にされるのは、この「十方衆生」あらゆる人たちです。あらゆる人たちですから、わたくしたちもその中に入っているのです。第十八願に「十方衆生」といわれているのは、他の人のことではない、わたくしたち一人一人のことなのです。前に座っている人も、後ろに座っている人も、右に座っている人も、左に座っている人も、そして何より自分が「十方衆生」の中に入っているのです。

 わたくしたち一人一人を如来様は相手にされる。そして、わたくしたち一人一人に大いなる慈悲のこころ、大悲心をかけておって下される。それはあたかも、親が子に対するが如くであります。

 わたくしは子供が一人なのでわかりませんが(註、平成6年のとき)、聞くところによると、二人の子供がいれば、上の子供に五十パーセントの愛情、下の子供にも五十パーセントの愛情をかけるというのではないそうですね。上の子供にも百パーセントの愛情、下の子供にも百パーセントの愛情をかけていくものだそうですね。

 同じように如来様は、前に座っている人にも百パーセントの大悲心、後ろに座っている人にも百パーセントの大悲心、横に座っている人にも百パーセントの大悲心、そして自分にも百パーセントの大悲心をかけておって下されるのであります。

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百点満点(1)

2018年06月05日 | 水月法話

 浄土真宗とはどのような教えであるか。さまざまな言い方ができます。ある人は、如来様のお浄土に生まれていく教えであるという。ある人は、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏とお念仏を申す教えであるという。ある人は、迷信にこだわらない教えであるという。
 確かにその通りです。浄土真宗では、お浄土こそこの人生の行方、いのちの行方と聞き開いていく教えであり、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏とお念仏を申しながら人生を乗り越えていく教えであります。また、迷信にまどわされることなく、お浄土に向かってのお念仏の道を歩んでいく教えであります。
 ただ、浄土真宗の本質、根本は何であるか。親鸞聖人の御指南をいただきますと、『末灯鈔』第一通には「選択本願は浄土真宗なり」とあります。第十八願が浄土真宗の根幹なんだよ、浄土真宗とは第十八願の教えなんだよ、第十八願によって浄土真宗という教えが成り立っているんだよ、といわれております。
 ここに第十八願という。これは、『大無量寿経』の中で、「設我得仏」「設我得仏」と繰り返す一段があります。だいたいお経様というのは、繰り返しが多いんですね。例えば『阿弥陀経』の中では、「舎利弗」「舎利弗」「舎利弗」と繰り返す。また終わりの方では、「恒河沙数諸仏、各於其国、出広長舌相、遍覆三千大千世界」等と繰り返します。お経様は繰り返しが多いのです。そうした中で『大無量寿経』の中でも、「設我得仏」「設我得仏」と繰り返しています。それをわたくしどもは四十八願と呼んでいますが、その前から第十八番目、十八番目にあるから第十八願というのです。そのほか、選択本願と呼んだり、本願、それに丁寧語・尊敬語の御をつけて御本願と呼んだり、また念仏往生の願と呼んだり、至心信楽の願と呼んだりいたしますが、いまは簡単に第十八願といっておきます。この第十八願が浄土真宗の要、本質なんだといわれるのです。
 ちなみに、カラオケなどで、一番得意の歌を十八番といいますが、もしかしたらこの数字は、いまの第十八願からきたものかもしれません。違うかもしれませんが、とにかく浄土真宗の本質は第十八願にあります。
 この第十八願、「設我得仏、十方衆生、至心信楽、欲生我国、乃至十念、若不生者、不取正覚、唯除五逆、誹謗正法」わずか三十二文字ですが、これが浄土真宗の本質というのですから、その意味は深く広く、そのすべてをお話することはとてもできませんので、いまはただ「十方衆生」といわれている、そのおこころを味わってみたいと思います。

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選択本願は浄土真宗なり

2018年06月04日 | 水月法話

 親鸞聖人はたいへん筆マメなお方で、たくさんのお書物をお書きになり、たくさんなお手紙をお弟子の方々に送られています。現在、四十三通のお手紙が伝わっておりますが、そのなかの一通に「選択(せんじやく)本願は浄土真宗なり」といわれております。「選択(せんじやく)本願」とは、たいへん難しい専門用語でありますが、一般には「御本願」とも「第十八願」などとも呼ばれます。どういうことかというと、阿弥陀さまが私たち一人一人を「かけがえのない大切な大切な如来の子よ」と慈しみあわれみたまうて、「どうかお願いだから、たとえ十遍でもいい、お念仏申す身になっておくれよ。そのあなたを必ずわが浄土に生まれさせる」と仰せくださっている、そのみ言葉、その仰せを「選択本願」とも「御本願」とも「第十八願」ともいい、それが浄土真宗の本体であるといわれるのです。そこで私たちはそのみ言葉を、どうだろうか、こうだろうか、と考えることなく、けっこうですと拒むことなく、その通り聞き入れさせていただくのです。それを浄土真宗では「信心」と呼びます。皆さまよくご存知の御文章、聖人一流章には「聖人一流の御勧化けのおもむきは、信心をもって本とせられ候」とあります。信心が肝要なんだよ、信心が根本なんだよ、というお示しでありますが、その根本である、肝要であるところの信心とは、何も私たちが信じよう信じようと心を思い固めていくことではなく、阿弥陀さまの仰せをその通りいただいている状態のことをいいます。そうしますと、その信心のすがたというのは、阿弥陀さまが「お念仏申す身になっておくれよ」との仰せでありますから、私たちがその通りいただいたら、口に南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏とお念仏申している、また阿弥陀さまが「その念仏申すものを必ずわが浄土に生まれさせる」との仰せでありますから、私たちがその通りいただいたら、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、この念仏申す私はやがて娑婆の縁つきて命終わったならば間違いなくお浄土に生まれさせていただきますと、人生の行方、命の行方を聞き定めていること、それが信心のすがたとなります。そこで、もしも人から「お前、信心があるんだったら出してみよ」といわれたら、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏とお念仏申せばいいんです。またこの命終わったならばお浄土でございますと言い切ればいい、それが信心のすがたでありますから。こうして浄土真宗とは、お浄土を目指しながら、お念仏の人生を歩んでいくこと教えであるということが知られます。そこに、生きるということはお念仏申すことだ、死ぬということはお浄土に生まれさせていただくことだと、生きることの意味と、死ぬことの意味が知らされます。意味があれば、生と死を同じ価値をもって受け入れていくことができます。それを生と死を超えるというのです。あるいは「生死(しようじ)出づべき道」といいます。親鸞聖人が求めたのはその道でした。ところが私たちは生に迷い、死に怯えながら、日々を過ごしています。ゆえにこそ本当に聞かねばならないのは阿弥陀さまの選択本願、御本願のみ言葉といえるでしょう。

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響く仏説

2018年06月03日 | 水月法話

 御法事のおり、当然ですが、お経さまをおつとめいたします。ただ何をおつとめするかは宗派、宗派、あるいは同じ宗派でもお寺、お寺によって異なります。それはそれぞれの宗派、御住職のお考えによります。
 浄土真宗では一般に「浄土三部経」(『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』)をおつとめすることが多いように思います。ただし都会のほうでは「お正信偈」と何か、というような場合もあります。けれどもこ私どもの地方では、やはり「浄土三部経」が多いです。

 ところで、いま、お経さまと簡単にいっておりますが、お経さまとは何かと問われると、難しい問題があります。けれども普通にいわれるのは、経とは仏説である、ということです。それゆえ経題に「仏説」の二文字がついているのです。このときの「仏」はお釈迦さまのことです。お釈迦さまが説きたもうた、というので「仏説」といい、それを「経」と呼ぶのです。ですから、「経」といった場合、「仏説」に決まっておりますので、しばしば「仏説」の二文字は省略して呼ばれます。たとえば『阿弥陀経』というようにです。

 そうすると、読経とはお釈迦さまのお説法を再現するという意味を持ちます。そのなかで「浄土三部経」は阿弥陀さまのおいわれを説かれたものですから、阿弥陀さまがましますぞ、という、お釈迦さまの み言葉が響いていることになるのです。

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栄枯盛衰のなかでも

2018年06月02日 | 水月法話

親鸞聖人がお生まれになられたのは承安三年(一一七三)という年でした。このころは平家全盛の時代で、「平家にあらずんば人にあらず」とまでいわれました。けれども平家はやがて壇ノ浦で滅び、代わって源頼朝が鎌倉に幕府を開くのですが、頼朝のあと頼家・実朝の三代で源氏が滅び、今度は頼朝の奥さんであった北条政子の一族、北条氏が権力を握っていきます。その北条政子の異母弟に時房という人がいて、彼の子の朝直の系統を大仏(おさらぎ)北条氏といいます。そしてその子の宣時(のぶとき)のとき、佐渡国の守護となりました。ただ幕府の要職にありましたから、実際は佐渡国におもむくことなく、本間能忠(よしただ)の一族が守護代として代々、佐渡国を支配することになりました。佐渡本間氏といいます。いくつもの分流ができて繁栄しましたが、やがて戦国時代、有名な上杉謙信の養子・上杉景勝によって滅ばされてしまいました。けれども生きのびた本間氏もあります。それが酒田本間氏です。山形県酒田市に移ったのです。そして江戸時代には大名をしのぐほどの豪商となりました。こんな歌が残っています。「本間さまにはおよびもせぬが、せめてなりたや殿さまに」というのです。その栄華のほどが知られます。日本一の大地主といわれましたが、第二次世界大戦後、農地改革によって解体されて、今に至っています。ここにいくつもの栄枯盛衰があります。世の常です。それは「世」だけではありません。「私」という存在のなかでも、栄枯盛衰があるはずです。子供のころからだんだんと年老いていきます。けれども、どれほど世の中が移り変わろうとも、どれほど「私」が変化していこうとも、阿弥陀さまはいつもいつも、私たち一人一人をかけがえのない大切な大切な如来の子よといつくしみあわれみたもうて、「どうかお願いだから、お念仏申しておくれよ、その念仏申すあなたを必ず浄土に生まれさせる」と仰せくださるのでした。

 

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摂取不捨印

2018年06月01日 | 水月法話

 いまあなたはどこにいらっしゃいますか。

時間があるようでしたら、ちょっとお仏壇の前に座ってみてください。そして御本尊である阿弥陀さまのお姿をご覧になってください。

おわかりになるでしょうか。いくつか特徴があるのですが、そのなかで手の形、指の形に注目してみてください。右の御手を上げたまい、左の御手を下げたまい、親指と人差し指を捻(ねん)じるというのですが、輪っかを作っていらっしゃいますよね。これを印相といいます。その仏さまが私たちに何をいおうとしているのか、どういうおこころでいらっしゃるのかを、手の形、指の形であらわすものです。

 いま阿弥陀さまの印相は摂取不捨印といわれています。それは『仏説観無量寿経』のなかに「念仏衆生、摂取不捨」と説かれているのが出どころです。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏とお念仏申す私たちに向かって、「摂取不捨であるぞ、摂(おさ)め取って捨てないぞ」と仰せくださっているのです。

 親鸞聖人はこの摂取不捨というお言葉をたいへん深くお味わいになられ、「ひとたびとりて永く捨てぬなり」「ものの逃ぐるを追はへとるなり」といわれています。そのうち昔からとくに注目されてきたのは後者のお味わいです。私たちはいま、何気なくお念仏申していますが、実は始めなき遠い過去世から阿弥陀さまに背を向け、逃げどおしに逃げてきたのではないでしょうか。それがいま、阿弥陀さまに追わえ取られてお念仏申す身に育てられたのです。明治時代に活躍された利井鮮妙和上は、「逃ぐるをば 逃がしたまはぬ お慈悲なり 逃げなば逃げよ 逃がすものかは」と詠われましたが、そこに私たちを決して見捨てたまわぬ阿弥陀さまのお慈悲があったのでした。

 そして前者のお味わいである「ひとたびとりて永く捨てぬなり」は、摂取不捨をそのまま訓じたもののようですが、親鸞聖人は一つ言葉を加えていらっしゃいます。それは「永く」です。この一言がなければ、いくら捨てないといわれても、何かあったらもう止めたと捨てられる可能性をもちます。そこで「永く」を加え、決して捨てないというおこころをあらわしてくださっているのです。いいかえれば、私たちはこれから先、何が起こるかしれません。何が起こっても不思議でないのが私たちの人生です。そのなかで、たとえ私たちが阿弥陀さまを忘れることがあったとしても、阿弥陀さまは私たちを決して忘れてはくださらないのです。だからこそ安心して生きていくことができます。そしてやがて娑婆の縁つきて命終わるときには、阿弥陀さまに摂取不捨されたまま、そのおさとりの領域であるお浄土に生まれさせていただくのです。それを往生といいます。死ぬという暗闇に消え去ってしまうのではありません。往き生まれさせていただくのです。そこに未来が光り輝き、安心して命終わっていける道が開けます。

 こうして私たちはどこかにいるのではありません。いつでもどこでも阿弥陀さまの摂取不捨というお慈悲のなかに包まれてあったのです。阿弥陀さまに抱かれているからこそ、安心して生き、安心して命終わることができるのでした。

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赤ちゃんのはたらき

2017年10月27日 | 水月法話

 これまでずっと考えてきたが、いい譬喩が思い浮かばなかった。これも適切とはいえないかもしれないが、ここ数週間、毎火曜日の夜にお参りをさせていただいている若いお父さんのことである。おつとめを終えて御布施を出してくださる手に入れ墨が見えるから、昔はヤンチャをしていたのであろうと思う。ところが数週間前、わずか五ヶ月の赤ちゃんが突然亡くなった。あまり詳しいことは聞けていないが、うつぶせで寝ていて、窒息死したそうである。奥さんはただただ泣き崩れるばかりであった。祖父も祖母も、また親戚の方々も同じである。「かける言葉がない」と言葉を詰まらせていた。その先に小さな棺のなかで寝ている赤ちゃんがいた。若いお父さんは涙をこらえながら気丈に、「五ヶ月の子だからといって簡単に済ませるのではなく、成人と同じように通夜・葬儀をしてあげてほしい」と私にいった。むろん私もそう思った。そして悲しい通夜・葬儀・初七日法要を終えた。すると、お父さんは「満中陰までの七日、七日のお参りもしてほしい」といった。それで毎火曜日の夜にお参りをさせていただいているのである。

 拙寺ではそうしたおり、『阿弥陀経』のおつとめをしている。しかも皆さんと一緒にである。それがいつしか習慣になって、私がお参りに行かせていただくと、皆さんはお経本をそれぞれ手にするようになっている。「では、『阿弥陀経』のおつとめをさせていただきます。その本の○○ページからです」と声をかけ、カネを鳴らして、「仏説阿弥陀経、如是我聞、一時仏在……」と音木を打っていると、そのお父さんもたどたどしく、ついてくる。おそらくはじめてお経をおつとめするから、なかなかうまく読めない。そこで私は、音木をゆっくり、お父さんの声に合わせて打っている。普段よりはそうとう長い時間がかかっていると思う。そしておつとめを終え、ちらっとお父さんを見ると、顔の前で両手を合わせている。正しい合掌の作法ではないが、私は何もいわず、お父さんの気がすむまで合掌を終えるのを待っている。また先日は、お父さんのお父さんがお参りに来ていて、おつとめのあと、お経本を手にして「これは床に置いたらアカンねんな」というので、私が「そうです。こうした念珠やお経本は足で踏むところに置かないというのが最低限の作法ですね」というと、みな一様に床にあったお経本を膝の上に置いた。それを見ていて思った。お父さんたちは赤ちゃんのためにと思って、おつとめし、合掌し、お経本を膝に置いたのかもしれない。しかし、そうした行為は自分でしていることに間違いないが、実は赤ちゃんがそうさせている。今までお経本など手にしたこともなかったであろう、お父さんたちを、赤ちゃんが、おつとめせしめ、合掌せしめ、膝の上に置かしめているのではなかろうか。そこから、お念仏というものは、確かに自分の行でありながら、実は阿弥陀さまが私の上にはたらいて、お念仏申させている、如来の行であったと味あわせていただいた。「しかるにこの行は大悲の願より出でたり」 阿弥陀さまが諸仏さまに讃嘆させ、お名号が私に届けられていた。それをいただいてお念仏申しているが、お念仏の根源は阿弥陀さまにあったのである。

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悪人正機の教え

2017年09月20日 | 水月法話

 浄土真宗の究極の教えとして、悪人正機(あくにん・しょうき)ということがいわれます。阿弥陀さまは、善人よりも悪人をまさしき目当てとしてお救いくださるということです。これを究極というのは、阿弥陀さまの大悲の焦点を言葉であらわすのにギリギリの表現を用いているからです。人間の常識からいえば、悪人よりも善人が救われると思うでしょう。それが当然です。けれども、阿弥陀さまは違うのです。善人よりも悪人に大悲の焦点を当てておられるのです。悪人は救いようがないからです。その救いようのないものを救おうとするのが阿弥陀さまの大悲というものなのです。
 けれども、誤解しないでください。その悪人というのは、いわゆる犯罪者のことをいっているのではありません。日々、悪を作らずに生きていけないわたくしたちのことをいっているのです。それに対して善人とは仏道修行にひたすら励み、仏陀に近づこうとしている人たちのことです。そうした人たちを傍(かたわ)らにして、日常生活のなかに埋没しているわたくしたちに焦点を当てて、救おうとしてくださっているのが悪人正機ということです。
 わたくしたちは阿弥陀さまの正客(しょうきゃく)なのです。お相伴(しょうばん)ではありません。それをありがたいことと阿弥陀さまにおまかせ申し上げていくのが浄土真宗でいう信心ということです。

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ビールかけ

2017年09月19日 | 水月法話

 プロ野球で広島カープがリーグ優勝しました。おめでとうございます。広島へは何度も行っておりますので、嬉しく思います。けれども、申し訳ありませんが、心の底から喜べません。私の応援しているチームではないからです。人間って勝手なものですね。
 ところで、優勝すると、ビールかけがあります。選手たちが喜びを弾けさせています。でもあれは全員が参加しているのでしょうか。というのは、拙寺の御門徒のなかには驚くほどアルコールに強い方がいます。とくにある方は、朝・昼・晩、ずっとお酒を呑むので、一升瓶の蓋をしないそうです。ところがある人は反対に、弁当のなかに奈良漬けが入っていると、蓋を開けた途端に、その匂いで酔ってしまうそうです。そうしたアルコールに弱い方もおられるので、優勝のビールかけはどうなんだろうと思ってしまいます。しょうもないことですが……。
 蓋といいますと、浄土真宗では阿弥陀さまのご本願のみ言葉をそのまま聞き入れている状態をいいます。そこに蓋をすることは許されません。蓋をすれば阿弥陀さまのみ言葉が入ってこないからです。奈良漬けの場合はその方の体質ですから、どうしようもありませんが、阿弥陀さまのみ言葉を前にしたときは、一升瓶の蓋をしないというように、開けっぱなしにしておくことです。どんどん入ってきます。それが信心です。そしてお念仏が口に出て下さいます。お酒と一緒にするのは適当でないかもしれませんが、広島優勝から思いあわされます。

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幸せはどこに

2017年09月18日 | 水月法話

 浄土真宗というのは、一言でいえば、口に南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏とお念仏を申させていただき、やがていのちが終わったならば間違いなく阿弥陀さまのお浄土に生まれさせていただき、即座に仏陀としてのおさとりを得させていただく教えです。逆にいえば、おさとりのお浄土を目指し、お念仏申させていただく教えです。それが真実まことの道であると説くのです。
 そうしますと、ある人がいいます、「それで幸せになれますか」と。この問いは、一見、筋が通っているように見えますが、実は、問い自体が間違っているではないでしょうか。というのは、幸せというものがどこか遠くにあって、それを得られるか得られないか、と思っているようですが、そのように考えていれば、一生涯幸せは得られないでしょう。不平と不満と愚痴の生活しかありません。世の中には、幸せという名の幻を餌(えさ)にして勧誘する宗教がわんさとありますが、決してだまされてはいけません。幸せというのは、自分自身が感じていくものです。感じられないのは心が貧しいからです。目が見える、手が動く、心臓が動いている、当たり前だというけれど、その当たり前を不思議なことであるといただき、お念仏のなかで心豊かに幸せを味わっていくのです。

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