天上の月影

勅命のほかに領解なし

『天台四教儀』を読む(18)

2018年08月18日 | 勉強日誌
 長者窮子の喩え「傍追」

 【本文】
法華の信解品に云く、即ち傍人を遣はして急(にわか)に追ふて将(ひき)いて還らしむ、窮子驚愕して怨(あだ)なりと称して大(おおい)に喚(よば)ふ等と。此れは何(いか)なる義をか領せる。答(こと)ふ、諸の声聞、座に在(あ)れども聾の如く唖の如し等、是れなり。

 【講述】
 次に『法華経』第四「信解品」の長者窮子の譬喩(『大正新脩大蔵経』九・一六頁下~一七頁中)を引きます。「信解品」は迦葉・目連・迦旃延・須菩提の四大弟子が『法華経』の説法を聞いて自らの領解を述べる一品です。それに際して長者窮子の譬喩が説かれるのです。「窮子」は貧窮の子の意味で乞食です。長者とその窮子の譬喩です。概略をいうと次のようです。一人の長者がいました。その長者に一人の子供がいましたが、幼いときに長者とはぐれてしまい、以来、諸国を転々とした乞食(窮子)の生活を送っていました。しかし父の長者は少しも我が子のことを忘れることができず、あらゆる手を尽くして捜しましたが、その存在は知れませんでした。ある日、窮子は乞食をしながら長者の門前にやってきました。当然ながら父の家とは知りません。しかし父は一目見てそれが我が子であることを見抜きました。そこで側近の者を遣って追わせ、窮子を連れて家へ帰らせようとするのですが、窮子にとってみれば、なぜ捕らえられるのか意味が分かりません。大いに抵抗しましたが、無理矢理捕らえられようとしたので、ついには気絶して地に倒れてしまいました。長者はそれを見て、窮子の心が卑劣になっていることを思い、強いて連れもどすことを諦めました。そして一計を案じます。窮子と同じようなみすぼらしい男を窮子の元へ行かせて、長者の家で便所掃除をするアルバイトを求めていることを話させました。窮子は自分に相応しい仕事だと思って早速その仕事に就きました。その後、年月を重ねるにしたがって、その子の心もようやく打ち解けてきて、長者の部屋に出入りすることに怖れを感じなくなりました。また長者の叱りを受けることがあっても怒りの思いは起こらず、自分を反省して慚愧の心すら生じていました。ただ窮子は依然として乞食部屋に住んでいました。そこで長者は次の段階として、窮子を番頭に抜擢して蔵にも自由に出入りできるようにして、家の会計をすべて任せました。しかし窮子はあくまで長者の財産を取り扱う使用人としての思いでいたのは当然です。この蔵の全てが自分の財産だとは思いもよりません。ところが長者は窮子に財産を相続させる思いがありました。それでさらに年月を経て、窮子に真実を明かしても疑うっことがないことを知って、長者は臨終において初めて全てを話して真実の親子であることを打ち明けました。そして窮子に家業を譲り全ての財産を譲渡したというのです。
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『天台四教儀』を読む(17)

2018年08月17日 | 勉強日誌
 第一乳味

 【本文】
涅槃に云く、譬へば牛(ご)従り乳(にゅう)を出(いだ)すが如しと。此れは仏従(よ)り十二部経を出(いだ)すなり〈一に乳味〉。

 【講述】
 「涅槃に云く」は前に述べた『涅槃経』聖行品の五味譬です。五味は①乳味・②酪味・③生酥味・④熟酥味・⑤醍醐味でした。①乳味にあたるのが『華厳経』です。それを「譬へば牛(ご)従り乳(にゅう)を出(いだ)すが如しと」というのです。牛がまず最初に乳を出すようであるということです。「牛」は仏にあたります。そこで「此れは仏従(よ)り十二部経を出(いだ)すなり〈一に乳味〉」といいます。「十二部経」は仏の所説の教法を内容・形式によって十二に分類したものです。後に出る「九部経」を小乗経とするのに対して大乗経をあらわします。その「十二部経」とは、①長行で散文です。②重頌は長行で説いた内容を重ねて詩文で説くことをいいます。③授記は仏が将来において弟子が成仏すると証明することです。④孤起は重頌以外の独立した讃文をいいます。⑤無問自説は弟子の問いを待たずに仏がみずから説法することです。以上は文章や説法の形式上の区別になります。⑥因縁は事柄の来由を説くことです。⑦譬喩は喩えを説くことです。⑧本事は他者の過去世における事実を説くものです。⑨本生は仏の過去世における事実を説くものです。⑩方広は広く道理や真理を説くことです。⑪未曾有は神通などの奇跡を説くことです。⑫論議は問答往復して理論の究明をすることです。これら⑥因縁以下は説法の内容に関する区別になります。そしてこのなかから、⑩方広と⑤無問自説と③授記を除いたのが「九部経」です。これは大乗の側から小乗を非難した内容といえます。すなわち小乗は中道真如を語らないので⑩方広がなく、また小乗は仏の本懐でないから⑤無問自説がありません。そして小乗には一切衆生に仏性があることを説かないので③授記がないということです。いまは十二部経の大乗経であることを示し、五味でいえば乳味にあたるといって、『華厳経』が頓教であると明かすのです。
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『天台四教儀』を読む(16)

2018年08月16日 | 勉強日誌
 第一時

 【本文】
此の経の中に云く、譬へば日出でて先づ高山(こうぜん)を照すが如しと〈第一時〉。

 【講述】
 「此の経の中に云く」の「此の経」は『華厳経』です。いまは晋訳の「宝王如来性起品」を指します。そのなかに「譬えば、①日出でて先づ一切の諸の大山王を照し、②次に一切の大山を照し、③次に金剛宝山を照し、④然る後、普ねく一切の大地を照す」(『大正新脩大蔵経』九・六一六頁中)と説かれています。これを「華厳四照の譬喩」といいます。このうち、①の大山王は普賢菩薩のような大機に配し、②大山は声聞、③金剛宝山は縁覚、④大地は必ずこの世界において成仏すべき一切の衆生(決定善根の衆生)と配しています。これを天台では後述する『法華経』「信解品」の「長者窮子の譬喩」(『大正新脩大蔵経』九・一六頁下~一七頁中)の文に引きあてて三照とするのです。すなわち大山王を高山、大山と金剛宝山を合わせて幽谷、大地を平地とします。しかもその上で『涅槃経』五味喩に合うように、平地を食時・寓中・正中の三に分けます。そうすると、高山・幽谷・食時・寓中・正中の五時を数えることができます。これをもって「譬へば日出でて先づ高山(こうぜん)を照すが如しと〈第一時〉」というのです。すなわち『華厳経』は普賢菩薩のような大機が受ける教えとして、たとえば太陽が出ればまず初めに高山を照らすようなもので、最初の第一時の説法であるといっているのです。
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『天台四教儀』を読む(15)

2018年08月15日 | 勉強日誌
 ところが「若し機に約し教に約すれば、未だ権を兼(かぬ)ることを免(まぬが)れず」といいます。「若し機に約し教に約すれば」とは、もし教えを聞く機根の立場で語ったり、経典の内容から語ったならば、ということです。「権」は権仮で方便の教えです。まだ方便の権教を兼ね備えた教えであることを免れないといっているのです。なぜならというので、まず『華厳経』梵行品(『大正新脩大蔵経』九・四四九頁下)の文が引かれます。「謂く初発心時便成正覚等の文は」といっているものです。「初発心時便成正覚」は「初発心時に便ち正覚を成ず」と訓み、発心即成仏を意味しているので、内容的には円教の意味になります。ただ「初発心時」はあえて位次に配当すれば円教の初住の位となります。この位から、一分の無明を断じて、一分の中道を証し、一分仏と等しき位に至って、仏と同じく八相成道の化用を起こします。これを「円機の為に円教を説くなり」というのです。円教の機根のために説かれた教えであるということです。しかし「処処に行布次第を説くは、則ち権機の為に別教を説くなり」といいます。「行布次第」の「行布」は行列配布で種々の法門を並べることです。「次第」はそれらの法門を次第順序をおって、十住・十行・十回向・十地など長時にわたって修行することをいいます。界外の菩薩に対して別教を説かれたもので、菩薩が歴劫修行によって順に階位を経て、ついに仏果に至ることをいいます。「権機の為に別教を説くなり」は先ほどの「円機の為に円教を説くなり」に対し、諸処に方便の教えしか理解できない機根のために別教の教えが散説されているということです。「故に部に約して頓と為し、教に約して兼と名づく」というのです。釈尊一代教を大きく部門分けした時は、華厳部は大機のために頓教を説いたということになるけれども、教説の内容からすれば円教に別教を兼ね備えているといっているのです。
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『天台四教儀』を読む(14)

2018年08月14日 | 勉強日誌
 「所謂る如来」という「如来」はここでは釈迦如来のことです。「初めて正覚を成じ寂滅道場に在(いま)す」といいます。「正覚」は完全なる悟りのことです。小乗仏教では主として釈尊の菩提樹下で成就したところの四諦・八正道・縁起などを指しますが、大乗仏教では諸仏が等しく成就する無上の悟りをいいます。「寂滅道場」は釈尊が悟りを開いた菩提樹下を指していいます。煩悩の生死を離れて心の静かになったのが「寂」で、生死の苦果を亡じて累のなくなったのが「滅」です。そしてこの悟りを開いた場所、すなわち仏成道の境地を「寂滅道場」といいます。釈迦如来が菩提樹下で初めて悟りを完成して、迷いを離れ、悟りの境地に住しておられたということです。
 次にその時の状況を述べます。「四十一位の法身の大士」の「四十一位」は菩薩の階位に五十一位あるなかで、十信位を除いた十住・十行・十回向・十地・等覚をいいます。これを円教でいえば、菩薩が初住位から順次一品の無明を破して一分の中道を悟り、法性身を得ます。それで「法身の大士」というのです。「大士」は菩薩のことです。真如法性を開覚した菩薩のことをいっています。つづいて「及び宿(すく)世(せ)に根熟せる天龍八部」といいます。「宿世」は過去・前生の世のことで、前世での生死です。「根熟」は過去世において華厳の教えを聞くだけの機根が熟して、この世で解脱の時節が到来したことを意味します。「天龍八部」は天・龍以下の八部衆ということです。八部衆とは古代インドの邪神でしたが、釈尊に教化されて仏法を守護するようになった八天部をいいます。天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦樓羅・緊那羅・摩喉羅迦の八衆です。「一時に囲繞して雲の月を籠(かご)めるが如し」は、円教位における初住位以上の菩薩たちや、過去世に『華厳経』を聞くことのできる機根が熟した天・龍などの八部衆が、一同に会して釈尊を取り囲み、あたかも雲が月を取り囲んでいるような状況であったというのです。
 そして「爾の時、如来、盧(ろ)舎(しゃ)那(な)の身を現じて円満修多羅を説きたまふ」といいます。「盧(ろ)舎(しゃ)那(な)の身」とは毘盧遮那仏のことです。仏駄跋陀羅訳の『六十華厳』では「盧舎那」と音写し,実叉難陀訳の『八十華厳』では「毘盧遮那」と音写します。漢訳すれば、浄満、また光明遍照となります。輝きわたるものという意味で、『華厳経』および『大日経』『金剛頂経』などの教主としての仏の名前です。「現じて」は仏菩薩が衆生救済のために身を変えてこの世に現われることをいいます。「円満修多羅」は『華厳経』のことです。円満なる修多羅、円満の経ということで、円教を説いたものであることを意味します。別教を傍意として円教の上から『華厳経』を「円満修多羅」というのですが、『法華経』の純円ではありません。別教を兼ねています。そこで『華厳経』と『法華経』の教主が異なります。智顗は『法華文句』に「法身如来を毘盧遮那と名づく。此には遍一切処と翻ず。報身如来を盧遮那と名づく。此には浄満と翻ず。応身如来を釈迦文と名づく。此には度沃焦と翻ず」(『大正新脩大蔵経』三四・一二八頁上)として、法身・報身・応身の三身を語っています。それに配当すると釈尊菩提樹下の成道は丈六の応身にあたります。『華厳経』はその劣応身の上に盧遮那身を現じて説かれたものです。そこにいわれる「現じて」は「現起」のことです。「現起」とは仏が衆生の機根に対して劣応身の上に、十蓮華蔵世界を微塵に砕いたほどの相好を具足した広大無辺の報身となって現われることです。いま『華厳経』を説かれた仏身はこの現起の盧遮那仏なのです。その「現起」のことを「須現」ともいいます。衆生の智慧の眼がまだ開けていないために、仏の方から尊特の勝応身(他受用報身仏)の体を現じたのです。そして「現起」に対して「示現」があります。「示現」とは仏の方からあえて尊特の報身を示されるのではなく、衆生の智慧の眼がすでに明了であるから、劣応身そのままを直ちに仏の報身、尊特の相と見ることができます。それが「示現」です。また「不須現」ともいいます。円教の境地で、『法華経』の教主の仏身とされます。ともあれ『華厳経』は現起の報身が説かれるところであるから、「故に頓教と言ふ」といわれるのです。
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『天台四教儀』を読む(13)

2018年08月13日 | 勉強日誌
第一章 五時五味及び化儀四教
 第一節 前四時・化儀四教
  第一項 頓教
    第一 華厳時(第一時)

 【本文】
第一に頓教とは即ち華厳経なり。部・時・味等に従って名づけて頓と為(す)ることを得。所謂る如来、初めて正覚を成じ寂滅道場に在(いま)す。四十一位の法身の大士及び宿(すく)世(せ)に根熟せる天龍八部、一時に囲繞して雲の月を籠(かご)めるが如し。爾の時、如来、盧(ろ)舎(しゃ)那(な)の身を現じて円満修多羅を説きたまふ。故に頓教と言ふ。若し機に約し教に約すれば、未だ権を兼(かぬ)ることを免(まぬが)れず。謂く初発心時便成正覚等の文は円機の為に円教を説くなり。処処に行布次第を説くは、則ち権機の為に別教を説くなり。故に部に約して頓と為し、教に約して兼と名づく。

 【講述】
 これより化儀四教を明かします。最初に頓教について述べる一段です。「第一に頓教とは即ち華厳経なり」といわれています。「頓教」の「頓」には頓初と円頓の二義があります。ここでは二義を含めて「頓教」と名づけています。本文に引かれる『華厳経』の「初発心時便成正覚」等の説は頓初の義であり、「円満修多羅を説きたまふ」の文は円頓の義です。その「頓教」は「即ち華厳経なり」と押さえられています。『華厳経』の漢訳については前に述べました。『大方広仏華厳経』といいます。「妙華をもって玉台を荘厳するが如し」という譬喩によって『華厳経』と名づけられたのです。釈尊成道三七日の間、菩提樹下の金剛宝座の上で大機のために説かれた大乗の教を指して『華厳経』とします。
 「部・時・味等に従って名づけて頓と為(す)ることを得」は「頓」とする理由です。「部」とは部帙の意で、釈尊最初の三七日の説法を華厳一部の経とします。「時」とは後述する「先に高山を照らす」という『華厳経』三照の譬喩の第一時です。「味」とは『涅槃経』五味の譬喩の第一味です。いずれも初めから直に大乗を説くことを表現しているので、「頓」とする理由となります。一代教の部門(諸経典)の上からも、五時の上からも、五味の上からも、それぞれ「頓教」と位置づけることができるといっているのです。
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『天台四教儀』を読む(12)

2018年08月12日 | 勉強日誌
 【本文】
是の如き等の義、広文に散在せり。今、大本に依て略して綱要を録す。
初に五時五味及び化儀の四教を弁じ、然(しこう)して後に蔵・通・別・円を出(いだ)さん。

 【講述】
 最後に総説を結んでいきます。「是の如き等の義」は五時八教の教義です。「広文に散在せり」の「広文」は、天台宗で用いる三大部(『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』)および五小部(『観音玄義』『観音義疏』『観無量寿経疏』『金光明玄義』『金光明文句』)などすべての書を指します。それらに説き明かされているというのです。「今、大本に依て略して綱要を録す」という「大本」は、一般には『大本四教儀』を指す場合が多いのですが、ここでは三大部のなかの『法華玄義』を指しているようです。本書の最後に「謹んで台教の広本を案じて、五時八教を抄録し、略して知らしむること此の如し。若し委(くわ)しく之を明らめんと要(ほっ)せば、請ふ(こ)法華玄義十巻を看(み)よ。委しく十方三世の諸仏の説法の儀式を判ずること、猶明鏡の如し。及び浄名玄義の中の四巻、全く教相を判ぜり。此れ従り下、諸家判教の儀式を明すことを略するのみ」といっていることによります。その『法華玄義』を中心として肝要なところを抄録するといいます。
 そして次に五時八教を明かす順序を述べます。「初に五時五味及び化儀の四教を弁じ、然(しこう)して後に蔵・通・別・円を出(いだ)さん」というのがそれです。最初に五時と五味、および化儀の四教を解説し、その後に蔵教・通教・別教・円教という化法の四教を説明しようというのです。ここまでが総序です。
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『天台四教儀』を読む(11)

2018年08月11日 | 勉強日誌
 「化法の四教」の「化法」は化導の教法すなわち説法の内容です。それを四種に分けたのが蔵教・通教・別教・円教です。本文に「蔵・通・別・円(てん)なり」とあるのがそれです。「蔵教」は小乗教のことで、ただ三界を脱出するのが仏法であると教える法をいいます。「通教」は大乗の初門で、進んで仏果菩提を得ることを教えるのですが、その法は小乗の三界を脱出する法と全く別ではないと、小乗と大乗との橋渡しとなる教えであるから通教というのです。「別教」は大乗の法は全く小乗の法とかけ離れたものであると大乗教の特有な点を力説する教です。「円教」は大乗教の真髄を打ち出して説いたものをいいます。別教では小乗を寄せつけない大乗ですから、大乗と対立する小乗を見ているのですが、円教に明かす大乗は小乗を取り込んで別に対立する小乗を見ない絶待唯一の大乗教です。この「化儀の四教」と「化法の四教」を合わせて「是れを八教と名づく」といいます。「頓等の四教は是れ化儀なり」は頓教・漸教・秘密教・不定教の四教は化儀であるとおさえます。「世の薬方の如し」という「薬方」は処方箋です。「蔵等の四教を化法と名づく」は蔵教・通教・別教・円教の四教が化法であるとおさえます。「薬味を弁ずるが如し」の「薬味」は薬剤そのものです。処方箋がなければ薬の調合具合がわかりませんし、薬剤がなければ病気は治りません。その「薬方」と「薬味」の譬喩によって化儀と化法の関係を明かしているのです。すなわち化儀は対機の病気の性質軽重によっていかなる教法を用いるべきかを決めるから化儀を「薬方」の処方箋に喩え、その用いる教法そのものが化法であるから「薬味」の薬剤に喩えたのです。これによって化儀と化法の相互関係が知られましょう。
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『天台四教儀』を読む(10)

2018年08月10日 | 勉強日誌
 【本文】
八教と言ふは頓・漸・秘密・不定・蔵・通・別・円(てん)なり。是れを八教と名づく。頓等の四教は是れ化儀なり。世の薬方の如し。蔵等の四教を化法と名づく。薬味を弁ずるが如し。

 【講述】
 ここは「八教」の名目を示します。「八教」とは化儀の四教と化法の四教のことです。「化儀の四教」の「化儀」は化物の儀式のことで、衆生を教化する方法をいいます。釈尊一代の衆生教化の説法形式を四種に分けた頓教・漸教・秘密教・不定教のことです。本文に「頓・漸・秘密・不定」とあるのがそれです。「頓」は頓教です。「頓」の字は「ただちに」という意味で頓速・頓初のことです。頓教は直に仏の自内証の通りをただちに説かれた教をいいます。華厳の三七日の説法です。「漸」は漸教です。「漸」の字は「ようやく」と読み、漸教は小乗の人を浅より深へ、小より大へと次第順序を調整して導く説法方法です。仏は華厳時において自内証の法門をそのまま説かれたので、劣機の者には少しも理解できませんでした。そこで仏はそのような機根の衆生に対して調整をとりながら、漸漸(だんだん・次第次第に)に衆生を導き、低い所から高い所へと誘引するように説法されました。このような説法の方法を漸教というのです。鹿苑時・方等時・般若時がこれにあたります。「秘密・不定」は秘密教と不定教です。これは前の二教における大機には頓説し、小機には漸説するというのは通常の手段ですが、それに反して小機に大教を説き、大機に小教を説くというような非常手段を用いることをいいます。そのなかで同じ法座においても、同一の説法を聴きながらも聴衆同士が異なって聞いたり(同聴異聞)、その説法から受ける利益に不同があったり(得益不同)する場合があります。これを聴者同士が互いに相い知らない時を秘密不定教(秘密教)といい、互いに相い知っている場合を顕露不定教(不定教)といいます。
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『天台四教儀』を読む(9)

2018年08月09日 | 勉強日誌
 そして本文は「是れを五時と為し、亦は五味と名づく」とあります。「五時」は釈尊一代の教化を五期に分けたものでしたが、「五味」はその教化をうける声聞・縁覚の二乗の利益の深まりから見たものです。『涅槃経』聖行品の中に出る譬喩です。乳味・酪味・生酥味・熟酥味・第五味の五味で、牛を仏に喩え、十二部経の華厳を乳味に喩え、九部の修多羅の阿含を酪味とし、方等の諸経を生酥味とし、般若を熟酥味とし、涅槃を醍醐味に喩えるのです。この五味を五時に配すれば、次のようになります。
    五時             五味
  (第一時)華厳時…………(第一味)乳味
  (第二時)鹿苑時…………(第二味)酪味
  (第三時)方等時…………(第三味)生酥味
  (第四時)般若時…………(第四味)熟酥味
  (第五時)法華・涅槃時…(第五味)醍醐味
 このように配するのは二つの理由があります。一は「相生の次第」、二は「濃淡の次第」です。「相生の次第」とは、教えが華厳、鹿苑、方等、般若、法華涅槃と順序にしたがって次々の教を相い生ずることを、①乳より②酪、酪より③生酥、生酥より④熟酥、熟酥より⑤醍醐を生ずる味に喩えるものです。「濃淡の次第」とは、教えの上からいうのではなく、機根の熟する過程を濃淡で論じるのです。たとえば華厳の時では如聾如唖であった衆生が、鹿苑時に至って凡を転じて聖となるようなものです。これは機根が漸く熟したからであって、華厳の時よりは味が濃くなったと見るのです。同じく方等、般若、法華涅槃と次第して、皆この濃淡の次第が読み取れます。このように五時では漠然としていた内容を五味をもって説明しようとするのが、約教相生、約機濃淡をもった五味であるということができます。そこで「亦は五味と名づく」というのです。
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『天台四教儀』を読む(8)

2018年08月08日 | 勉強日誌
 第五時の「法華涅槃時」は、『法華経』と『涅槃経』が説かれた時です。それらは別の経典ですが、その意味は同一であるというので、同時の経と見ます。『法華経』は六訳三存で、今日存するのは、西晋の竺法護訳『正法華経』十巻、鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』八巻、隋の闍那崛多・達磨笈多共訳『添品法華経』七巻です。そのなかで天台宗では鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』を用います。『涅槃経』は釈尊が涅槃に入られる直前に説かれた最後の一日一夜の説法で、北凉の曇無懺訳「大般涅槃経』四十巻(『北本』)、それを修治した『南本』三十六巻の二種類があります。機根の熟した二乗に対し、法華の会座で方便を開して真実を顕わすという開権顕実が示され、妙法が説かれました。これによって多くの衆生は救われましたが、その機を逸した者や、未熟の根性に対して、最後に『涅槃経』が説かれたのです。ここで再度、小乗より漸々の一代の教を説いて、ついに法華の極理までを示されました。これによって一切衆生が全て救済されると見るのです。これによって『涅槃経』と『法華経』の所説は同一であると見るのです。
 こうした釈尊一代に説かれた経典を五時に配するのは、今日の経典成立史とは合致しませんが、天台教判として見事な五分であると思います。この五時の説時を記憶する頌として『天台四教儀備釈』(『卍続蔵経』二・七一一頁)に、「阿含十二方等八、二十二年般若談、法華涅槃共八年、華厳最初三七日」と出ています。ただ記憶するには便利ですが、このような年限を論ずるのが五時判ではないという問題があります。それでも多くの註釈書に記されているので、覚えておくといいでしょう。
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『天台四教儀』を読む(7)

2018年08月07日 | 勉強日誌
 第二時の「鹿苑の時」は『阿含経』が説かれた時です。そこで「阿含時」とも呼ばれます。『華厳経』を説いた三七日以後、釈尊は波羅捺国の鹿野苑へ出かけ、かつて修行を共にした五人の比丘のために小乗教を説かれました。それ以降およそ十二年間、諸処で小乗教の説法をされました。『華厳経』があまりに高度に過ぎ、声聞・縁覚の二乗には理解できなかったので、程度を落とし、二乗に応じて小乗教を説かれたのです。それを結集したのが『阿含経』です。それは『増一阿含』『中阿含』『雑阿含』『長阿含』の四種ですから、「四阿含」と呼んでいます。そこで「鹿苑の時〈四阿含を説く〉」といわれているのです。
 第三時の「方等時」は、「方」とは方広、「等」とは均等で、どのような機根に対しても、広く種々の法を説き、あらゆる人に等しく法益を施すという意味です。大乗の優れた点を褒め称え、小乗の浅理な点を弾斥して、恥小慕大の思いを発させ、小乗に執着する思いを恥じ、小乗の人を大乗の法へと引き入れ、信じさせて、大乗も小乗も均等に利益を与える時といいます。この時の最も代表的な経典が『維摩経』ですが、他に『思益経』『楞伽経』『楞厳三昧経』『金光明経』『勝鬘経』等がありますので、「方等の時〈維摩・思益・楞伽・楞厳三昧・金光明・勝鬘等の経を説く〉」といっているのです。なお、『無量寿経』『阿弥陀経』の浄土経典もこの方等時に収まります。
 第四時の「般若時」は、方等時の後、約二十二年間の『般若経』を説法された時期をいいます。般若とは智慧のことです。この智慧によって先の方等時において大乗・小乗の区別があると見るのは迷見であると一歩進めることができました。これを「般若の法開会」といいます。「法開会」とは、理論の上で、大乗・小乗にかかわらず、一切法は融通無碍であると説くもので、大乗・小乗の区別が無くなることが開会です。ただし般若時では「人開会」を説きません。法の上での平等を説いても、衆生の心には二乗の意識が残り、大乗の分にあらずと卑下して、自身に修すべき法ではないと思っているからです。この時に収まる経典に『大般若経』六百巻があります。この十六会ありますが、そのなか『大品般若』は第二会にあたり、『小品般若』は第四会にあたり、『文殊問般若』は第七会にあたり、『金剛般若』は第九会にあたり、『天王般若』は第十六会にあたります。また『仁王般若』は『大般若』の結経にあたります。その他、般若時の経典は甚だ多くあります。そこで「般若の時〈摩訶般若・光讃般若・金剛般若・大品般若等の諸般若経を説く〉」といっているのです。
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『天台四教儀』を読む(6)

2018年08月06日 | 勉強日誌
 【本文】
五時と言ふは、一に華厳の時、二に鹿苑の時〈四阿含を説く〉、三に方等の時〈維摩・思益・楞伽・楞厳三昧・金光明・勝鬘等の経を説く〉、四に般若の時〈摩訶般若・光讃般若・金剛般若・大品般若等の諸般若経を説く〉、五に法華涅槃の時なり。是れを五時と為し、亦は五味と名づく。

 【講述】
 先に「五時八教」といった、まず「五時」が連ねられます。第一時は「華厳の時」、第二時は「鹿苑の時」、第三時は「方等の時」、第四時は「般若の時」、第五時は「法華涅槃の時」です。釈尊一代五十年の説法を、しばらく年月をおって縦に五分し、釈尊がこの世に出て教化の直接の対象である声聞・縁覚の二乗である鈍根者をして、次第に調熟して、ついに仏道を成ぜしめるに至る始終の教化の意で、この五分が「五時」です。
 第一時の「華厳の時」は『華厳経』が説かれた時です。釈尊が菩提樹下で成道後、最初三七日すなわち二十一日の間に大乗法を説かれた経典とされます。この経に説かれたことは仏教の極理であり、大乗中の極点であるので、根本法輪ともいいます。この経には法尒(ほうに)恒説(ごうせつ)の華厳と、結集(けつじゆう)流伝の華厳ということがあります。法尒恒説の華厳とは、この宇宙をもって一大華厳経と見なすものであって、結集流伝の華厳とは、仏滅後に仏弟子等がその遺法を編集して今日に伝わる、いわゆる経典です。この結集流伝の華厳経は、中国に漢訳されたものが多く、その重要なものに三部あります。①東晋の仏陀跋陀羅訳の六十巻本で、旧訳・晋訳・六十華厳と呼ばれます。②唐の実叉難陀訳の八十巻本で、新訳・唐訳・八十華厳と呼ばれます。③唐の般若三蔵訳の四十巻本で、後訳・四十華厳と呼ばれます。説処についていえば、旧訳は七処八会、新訳は七処九会となっています。七会とは人間界において三ヶ所、天上界において四ヶ所で、説法の会を重ねること八会ないし九会であったということです。そして後訳は「入法界品」だけの訳です。
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『天台四教儀』を読む(5)

2018年08月05日 | 勉強日誌
 「五時八教」とは表題のときに述べた天台宗の教判です。以下に詳しく説かれていきますので、いまはそれに譲りましょう。ただここで原文に「以五時八教」とあるのは、「五時八教を〔以(もちい)て〕」と訓むことに注意しなければなりません。「以(もつ)て」ではないのです。五時八教の判釈は智顗の創作ではなく、『法華経』の経意を用いて成すところであるという意をあらわすものです。「東流」はインドで興った仏教が東の方の中国へと流伝してきましたので、仏教伝播を東流、もしくは東漸といいます。「一代」は釈尊が成道されてから、入涅槃されるまでの五十年間です。天台では三十歳成道を説きますので、説法遊行された期間を五十年と見るのです。「聖教」はその五十年の間に説かれた釈尊の教えです。それを「判釈」したのが「五時八教」です。「判釈」は剖判解釈で、分類して解釈することです。その分類することが「判」で、釈尊一代教を五時なり化儀の四教に大きく分類することです。そしてその一々をさらに細かく化法の四教によって、どういう教が含まれているか解釈することを「釈」といいます。「罄(つ)きて」は「ことごとく」と訓んでもいいといわれています。「尽きざること無し」は全てが収め尽くされているということです。したがってここは、天台大師智顗は「五時八教」の教判を用いて、インドから東に流伝した釈尊一代五十年の教説を分類し解釈したが、これに収め尽くされない教えは一つとしてないといっているのです。
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『天台四教儀』を読む(4)

2018年08月04日 | 勉強日誌
第一編 教門
  総序

 【本文】
天台智者大師、五時八教を以(もちい)て東流一代の聖教を判釈したもうに罄(つ)きて尽きざること無し。

 【講述】
 はじめに「総序」が置かれています。「天台智者大師」は天台大師智顗のことで、天台教義を樹立した天台宗の開祖です。智顗は前に述べたように「天台大師」と呼ばれます。天台山(今の浙江省天台県)に寺を建てて長く居住されたからです。「智者大師」は隋の煬帝から贈られた大師号です。それについては後に述べますが、両者を合わせて「天台智者大師」といっているのです。あるいは「天台山の智者大師」でもありましょう。
 智顗は五三八年に荊州華容県(今の湖北省江陵府)の誕生しました。梁の高官・陳起祖の子で字は徳安といいます。一八歳で湘州(湖南省長沙)果願寺で出家し、二十三歳で光州大蘇山(河南省にあり)の慧思禅師の下で法華三昧を修して開悟しました。これを「大蘇の開悟」といいます。その後、金陵(南京)に出て、瓦官寺で法華経題を開講し、陳始興王や高官らに帰依されました。以上が前期時代です。そしてその後、三十八歳にて天台山に籠もり、華頂峰にて二度目の宗教体験を得ました。これを「華頂峰の頭陀」といいます。この体験を基にして後期時代の天台教学が体系づけられました。五八三年、金陵霊曜寺や光宅寺へ出向いて講義し、隋代に入って煬帝(晋王)の帰依を受け、菩薩戒を授けました。その功績により、先に述べた「智者大師」の号が贈られたのです。五九三年に『法華玄義』、翌年に『摩訶止観』を講じましたが、その後、揚州に入り、晋王に『維摩経疏』を献じて、再び天台山に入りました。五九七年、晋王の再三の招きを受け、揚州に赴く途中、石城寺にて入滅しました。一説に五九八年ともいわれています。講述書に『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』のいわゆる「天台三大部」が有名です。それに『維摩経』・『金光明経』・『漢音経』などの『玄義』と『文句(疏)』や、『次第禅門』『六妙法門』『天台小止観』等の観法書などがあります。
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