目をえぐられるサムソン 1636年
今日の日本では基督教のほかに、社会主義思想が日本侵略の教本になっている。支那が欧米などに侵略されている。その時代に、まず清朝に送りこれてきたのが、キリスト教徒の牧師だった。彼らは面白可笑しい物語を聞かせて、娯楽の少ない民衆のこころを捉えたのだろう。「師士記」 とは旧約聖書の一部で、この師士と言う言葉は日本人に馴染みがない。
この翻訳言葉が最初に使われたのが、支那なのだという。
師士とは英語では、”Judge”と呼ばれる。
これだとスポーツでの審判のような響きがある。しかし聖書・師士記の中で語られる者達は、古代の荒武者のこと。それを裁判所判事の呼称である、”Judge”を当てたのは、この者たちが、「尊敬されるべき」 支配者として描かれねばならぬ。このように古代の聖書語りが思ったからなのだろうか。
サムソン (ヘブライ語: שמשון、ギリシャ語: Σαμψών) とは怪力の持ち主で、日本で言えば坂田の金時のような怪人のこと。
士師記による (13章〜16章に登場) サムソンの物語は以下のとおりである。
イスラエルの民人たちが ペリシテ人 に抑圧されていた。このとき マノア という ダン族の男に不妊の妻がいた。その妻にユダヤの神の使いが現れて言った。ところで、ナジルびと という特別な人がいる。これはある地域の人々と言った、部族名とかではなく、ある誓いをたてた、神に己の身体と人生を捧げた者たちのこと。サムソンは生まれる前から、ナジルびと (ナジル人) として父と母に期待されていた。
ナジル人であるためには、葡萄酒とかの強い酒を飲まぬこと、そして清らかでない食物は、いっさい口にせぬこと。また生まれる子には、絶対に剃刀を頭に当てぬように。神の使いは マノア とその妻の前に再度あらわれて、同じ内容を繰り返し告げた。この顛末があって、生まれた子がサムソンだった。
サムソンは長じた後、ペリシテ人のとある女性を妻に望み、彼女をもらい受けるべく、ティムナに向かった。その途中でライオンが現れたが、彼には主の霊が降り立っていたので、まるで子ヤギを裂くように、ライオンを引き裂いてしまった。
ティムナの女を娶るための宴席で、サムソンは衣を賭けて、ペリシテ人と謎かけをした。
ペリシテ人は女から答えを聞いていた。何のことはない易々と謎解きをされてしまったので、サムソンは負けた。
ぶち切れたサムソン (これをユダヤにては、霊が降りたと言うらしい。) はならばと、ペリシテ人 30名をアシュケロンで殺害して、奪った衣をいかさま賭け事を なしたペリシテ人にわたした。
ティムナの女の父はこの一件の後、娘をほかの男性に与えてしまった。
サムソンはこれを聞いて、300匹のジャッカルの尾を結んで、それぞれに一つずつ松明をむすびつけ、畑などペリシテ人の土地を焼き払った。ペリシテ人はその原因がティムナの父娘にあると考えて二人を殺したが、サムソンはこれにも報復してペリシテ人を打ちのめした。ペリシテ人は陣をしいてサムソンの引渡しを求め、ユダヤ人はこれに応じた。ペリシテ人はサムソンを縛り上げて連行したが、途中で主の霊が降ると縄が切れて縄目が落ち、サムソンはろばのあご骨をふるってペリシテ人 1,000人を打ち殺した。
カバネル
Samson and Delilah ( デリラ ) 1878年
Size: 92.7 x 64.8 cm
サムソンは二十年間、士師としてイスラエルを裁いた。その後、サムソンはソレクの谷に住む デリラ (Delilah)という女性を愛するようになったため、ペリシテ人はデリラを利用してサムソンの力の秘密を探ろうとした。サムソンはなかなか秘密を教えなかったが、とうとう頭にかみそりをあててはいけないという秘密を話してしまう。デリラの密告によってサムソンは頭をそられて力を失い、ペリシテ人の手に落ちた。彼は目をえぐり出されてガザの牢で粉をひかされるようになった。
ペリシテ人は集まって神ダゴンに感謝し、サムソンを引き出して見世物にしていたんだと。しかしサムソンは神に祈って力を取り戻し、つながれていた 二本の柱を倒して建物を倒壊させ、多くのペリシテ人を道連れにして死んだ。このとき道連れにしたペリシテ人はそれまでサムソンが殺した人数よりも多かったという。この物語を見ればどうしても韓国のサムソン電子のイメージがダブってしまう。韓国人はこのユダヤ金融などに縛られた会社で、まるでめしいたサムソンのようにコキ使われている。さいごには湯田屋の神殿を壊すために大暴れをするのだろうか。