思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

まさに“青春”の場所だった、ダイエー志木店の閉店

2013-07-31 23:00:45 | 普段の生活(日常)

今日の夕方、これまで約39年間も営業してきた埼玉県志木市のダイエー志木店が閉店した。
僕も地元で保育園児の頃から30年以上もお世話になってきただけあって、かなりの思い入れのある店舗なので、身内との今生の別れと同等くらいの寂しさである。

ダイエー本社のニュースリリースの志木店閉店に関する記述を改めて読んだが、僕が産まれる1年ちょい前の1974年の開店当時の写真を観ると外観は当たり前だが最近とあまり変わっていないのね。
ホントに、幼少時からここでなんでも買っていたなあ。食品、文具、衣類、雑誌・書籍、自転車の部品、乾電池・カセットテープなどの家電小物、ファミコン(もちろん任天堂の「ファミリーコンピュータ」ね)のソフト、成人式用のスーツ、などいろいろ。僕がこれまでに地元周辺で最も多くのお金を注いできた店舗であることは間違いない。
また、現在はダイソーをはじめいくつものチェーン店が競合して活況の「100円ショップ」は、以前は小売店舗の特設売場でたまに(2、3か月に1回くらいの頻度だったか?)開かれる100円均一セールみたいな催事が発端だと記憶しているが、その概念を小学生時代に初めて知ったのもこのダイエーだった。

そういうこともあって僕がダイエーに特によく通っていた小学生頃、だから1980年代は、東武東上線・志木駅周辺のいわゆる「大規模小売店舗」は北口(現東口)にあるこのダイエーと、南口のニチイ(→サティを経て現イオン)と、西友(現エコス・たいらや)の三つ巴状態だったが(現在は東口に丸井もあり、4軒の競合)、当時は品揃えではダイエーがダントツで、そのために通っていたこともある。夏場の冷房と冬場の暖房の効き具合も3軒のなかでダイエーが最も良かった印象もある。
近年は西友の撤退やイオングループの隆盛によってここ十数年で3軒の力関係が崩れ、やはり近年は全国的に知名度もブランド力もあるイオンのひとり勝ち状態に移り変わり、今回のダイエーの閉店はその影響が最も大きい、と僕は視る。たしかにいち消費者の僕も、最近はWAONポイントのおかげでイオンで買い物する機会が圧倒的に多いし。

でもたまに、ダイエー地下1階の食品売場では買い物していたけど、それでも地元民の消費行動は(近隣では、あえて悪く言うと旧態依然? で古株のダイエーをいつまでも応援したいという地元愛はありながらも、実際の買い物ではポイント獲得や日々のセールで得する部分の多い革新的な?)イオンに僕と同様に移行してきた、と思う。単に時代の流れのせいだけでは済まされない、同業者同士の経営方針の差異によって客の流れが変化したことは否めない、か。
しかし、ここ30年では大学時代頃までは特にダイエーをよく利用していたので、思い出深いこの店が閉店すると今春に聞くと、それは聞き捨てならん! と並々ならぬ想いはあった。

今日の最終営業日も、仕事やアルバイトは絶対に外して空けておいて、この閉店の瞬間を見届けに行くことを前々から予定していたから。
で、以下は今日18時の閉店直前の店内の様子を地下1階から地上4階まですべて巡って撮ったものの一部。普段であれば写真撮影は禁止だろうが、今日で終わりなのだからまあ無礼講でよいでしょう。



地下1階。食品売場、野菜・肉・魚のような生ものはそりゃあ値下げしてでも売りきるよなあ。半額品も多かった。


1階。普段は値下げしない化粧品等も3割引や半額であった。


2階。撤収途中の機材の目隠しに紅白の幕を利用するのはよくあるが、黄色と黒色の縦縞の幕もあるのはダイエーならではなのか。神戸に本店があるだけに。


3階。撤収がほぼ終わったところを観ると店内は結構広いのね、と30年以上この店を利用してきてこれは初めて観た景色で新鮮であった。


4階。僕は昔も今も特に4階に思い入れが深く、後述の玩具売場ネタのほかにここ2、3年はこの書店での雑誌立ち読みでよくお世話になっていた。来客が少なくて読みやすいから……。ここもなくなるのもとても残念……。


最終営業日でも、しっかりトイレ清掃は入っていたのは感心。ここのトイレにもこの30年で、たぶん少なくとも1000回以上はお世話になったかなあ。


18時の閉店直後、18時30分からの店長の挨拶待ちのあいだに、惜別の利用客はどんどん増えた。僕は挨拶は動画を録っていた。ちなみに、店長はダイエー勤続30年の方で志木店の勤務も長いそうで、そのためか挨拶のなかに“ダイエー志木店魂”という言葉もあったのは嬉しかった。グッときた。泣いた。


挨拶の終了後に落ち着きを取り戻した店の前の広場。ちなみに2階部分の外壁がやや白いのは、以前は写真右に現在はマンションが建っているところに「志木ファイブ」という7階建ての小売店舗があったのだが(のちに「ららぽーと志木店」に変わり、十数年前に閉店)、白い箇所にそこと結ぶ連絡通路があって往来できたのだが、ららぽーとの閉店によって建物が解体されて通路の入口も閉じられた、という歴史もある。志木ファイブとららぽーとも、書店やCDショップやマクドナルドや映画館や食堂街もあったので、ダイエーと併せてよく利用していた。そこまで知っている僕も含む地元民は結構な古株で、ダイエー閉店への惜別の念もひとしおだと思う。ちなみに、このマンションの裏(東側)に県内有数の進学校の慶應志木高校がある。そこの卒業生も正面の校門から横断歩道を渡って徒歩2分もかからないダイエーをよく利用していたはず。


この看板も見納め。この写真は死ぬまで大切に取っておこう(というくらい、思い入れの深い店舗なのです)。


閉店から1時間後の余韻。閉店することは知っていたが仕事などで18時までの営業時間内には間に合わなかった、でも別れを惜しみたい人もちらほらいた。地元のみんなが寂しい一等地の店舗の閉店……。


そういえば、ダイエー通いというと僕個人的な全盛期の小学生時代の話でもうひとつ思い出深いのが、4階の玩具売場に当時大人気だった(今月15日で発売から30周年を迎えた)ファミコンを2台置いてあり、そこでよく遊んでいたことか。休日は混むので、一時期は平日の放課後に週4日は通うくらい熱中していたこともあったなあ。

他地域の店舗の玩具売場も似たような雰囲気だったのかは知らないが、小売店舗やビックカメラ・ヨドバシカメラのような家電量販店の店頭にはソフトのデモ用にテレビ画面とファミコン本体とソフトのセットを据え置くことはよくあったし最近も秋葉原の店頭も含めて各地で見られるが、ウチのダイエーではテレビと本体はそのままでソフトは自由に抜き差しできて(ファミコンのソフト=カセットは「抜き差し」の表現で合っているはず。ディスクシステムは除く)、だから近所の子どもたちが自分のソフトを持ち込んで交代で遊ぶ、というのが流行っていた。
しかし、ひとりが1台にかじりつきすぎるといかんのでプレー時間は(空いているときでも)長くても1回あたり1時間弱で、コントローラーを持つ子も子どもながらに周りの目を気にしながら節制していたが、当時は高橋名人のあの名ゼリフ? の「ファミコンは1日1時間」の縛りを遵守しているしつけの厳しい? 家庭ではホントに1時間しか遊べなくてそれだけでは物足りない子がここへソフトを持参してさらに遊んだ、ということも頻繁にあったのではないかと今になって思う。

ちなみに、僕の家庭の場合はファミコンの時間制限は特にないゆるい家庭だったので(でも裕福な家庭ではないので所有ソフトの本数は比較的少なかった、1本のソフトを大切にとことん遊び尽くす感じだった)、そこへわざわざ何をしに行ったかというと自分の持っていないほかの子のソフトがどんな感じなのかを値踏みするため、遊んだことのあるソフトでもほかの子のプレーぶりを見学して自分のレベルアップに努めるため、アクションゲームやスポーツゲームの2P対戦をするため、の3つの理由が多かった。
僕は特に(当時)ナムコの「ファミスタ」シリーズが得意で(これが最も流行ったのは中学生頃か)、今でも初対面の相手と対戦して勝つ自信はある。見ず知らずの子といきなり対戦するのも面白かったなあ。近所にもあったゲームセンターは有料だが、ここでファミコンであればソフトがあればもちろん無料で楽しめたから。

でも僕がそこで遊んだゲームで特に印象深いのが大ヒット作の「ドラクエII(ドラゴンクエストII)」で、レベル上げほかRPG(ロールプレイングゲーム)の進行は時間がかかるのでもちろん家で進めるが、終盤のボス(最近では「ラスボス」と呼ぶのか)を倒して完結するくだりをわざわざそこで実演する、ほかの子たちに見せつける、という小遊びが結構面白かった。
そのなかで1回、まったく知り合いではない見ず知らずの子で僕と同じ発想の子(男子)が僕の隣の本体に現れて、じゃあ同じ位置から始めてどちらが先にボスを倒すか、と「RPGで対戦」するというくだらない? こともやっていた。そのときのパーティーのレベルはほぼ互角で条件は同じだったが、たまたま敵の出現率の差の妙で僕が勝ったけど。そういう遊び方も楽しかったなあ。


と、このままではなんだかファミコンの思い出話に脱線してゆきそうだが、でも僕にとってはダイエーとファミコンの思い出は切っても切れないほぼ同等の深い関係なので、仕方ない。
現在は僕は旅がなんだとかいろいろ言い散らかしているが、実はこういうゲーマー? だった頃も初期のファミコン世代らしく、ふつうにあったのよ。僕にとっての“青春”は、一般的にはちょいと早い時期だがまさにこの小学生時代だった、のだと思う。これは僕の人格形成の一端を担ったダイエーという店舗とのかかわりのなかでも、特に楽しかった思い出である。

今日は久々にそういう思い出も走馬灯のようによぎったりもしながら18時の閉店の瞬間を迎え、30分後には店長の挨拶があるということなのでそれを入口で待っているダイエーとの別れを惜しむほかの大勢の客としっかり聴き、シャッターが下りるのも見届けて、(映画『風立ちぬ』以上に)今夏最も泣ける瞬間であった。今はもう喪失感しかない、ホントに。まさに“ダイエーロス”である。

でも実は、ウチから半径10km圏内に志木店のほかにも三芳店、西浦和店、成増店、と3店舗あり(参考に埼玉県内の店舗のリンクを)、明日以降はそちらの店舗へぜひ、と誘導する貼り紙とアナウンスもあったが、志木店の職員の多くは人事異動でこの3店舗に振り分けられるようで。
西浦和店と成増店は数回行ったことはあるが、三芳店は未踏なので近々行ってみようっと。
何も用事や買うモノがなくても自転車でふらっと立ち寄ることのできる店を失うのはホントに寂しいものだ。僕も今後、店長の挨拶にもあった“ダイエー志木店魂”を胸に残りの人生をより良きものにしてゆこうと、閉店後に明かりの消えた建物を見上げながら誓った。


最新の画像もっと見る

37 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
寂しい (取手のアホ)
2014-05-22 13:51:57
開店した時に勤務今おもえば高度成長の時家電、家具衣料品等は欠陥品のオンパレードの陳列でしかも店員さんの知識がなくいずれ閉店と当たり前です、とくに女性のインナーはひどかった。
内側は (わたる)
2014-05-23 08:30:38
はじめまして、でしょうか。

どちらで勤務されていたかはわかりませんが、そういう見方もあるのでしょうね。
この投稿はもちろんあくまで外側(客)からの印象なので内側(店舗の運営等)のことは知る由もないです。バイヤーの力量も年代ごとに変わっているでしょうし。

たしかに些細な問題はありながらも、それも含めて思い出深い志木店でした。
当然 (開店から)
2014-07-02 15:04:03
志木店に開店時に勤務してました。当時はダイエー全店で第3位の売り上げでしたが反対に利益は無く家具・電気文具は欠陥品の陳列で特にPBは欠陥のオンパレードで生鮮食品はのシールは張った日付けは先日でした。いつかこうなる閉店になると当然です。歴代店長から売り場主任は反省しなさいとブラック企業の代表です。
そうでしたか (わたる)
2014-07-05 03:33:24
当時の勤務、お疲れさまでした。

最近話題の「ブラック」も、業界や企業ごとの度合いは異なるでしょうから一概には言えないのかもしれませんが、客のために売場をより良くしようとする店員の想いは昔も今も変わらないはずなので(と信じたいです)、なんとか踏ん張ってほしいものです。

今春にようやく近隣の三芳店を初めて覗きに行ったのですが志木店に近い雰囲気で、同業他店よりもゆるい空気が漂っていましたが、僕はそういう趣も嫌いではないので今後もちょくちょく行って応援し続けようと思います。
お疲れさま (爺)
2014-09-10 23:00:14
志木店も閉店しましたか
昭和がまた一つ消えましたね
開店時購入した洋服タンス、私が定年退職で実家に戻るとき処分しました
38年お世話になりました、たしか1万円で購入したと記憶してます
そうでしたか (わたる)
2014-09-13 23:45:20
開業時をご存知とは、当時買ったモノはとりわけ貴重で思い出深いのでしょうね。
僕もホントにお世話になりました。
今はもう建物の解体が済んで、見通しが良くなっています。
80年代からの (すな)
2014-10-08 17:13:48
数年ぶりに志木を訪れ跡地となっている光景に少なからぬ感情がわきおこりました。いつ閉店したのだろう。と。検索して辿り着いた限り。貴殿と私はやや近い世代なのかもしれません。ことに4階玩具売場の記述は私の知る4階に近い姿でした。2台のファミコンwも覚えております。同じ記憶を持つ者がいることで、揺れ動く気持ちがいささかおさまり安心したのかもしれません。コメントさせていただきました。
4階は (わたる)
2014-10-13 01:45:41
良かったですよね。

10年ほど前に玩具売場は3階に移動してしまい、それで面白味に欠けるようになってからは僕も足が遠のきました。移動で売場がやや縮小されて子どもたちが行きにくい雰囲気になったこともその一因ですね……。

近隣では、現状は三芳店がこの志木店に近い雰囲気なので、機会があればそちらも行ってみるとよいと思います。
時代の流れのせいか、先の報道で挙がったように数年内にダイエーの店名が消滅してしまうようで、そうなると寂しさは(全国的に)さらに増すのかもしれません。
Unknown (sala)
2015-04-18 09:19:09
私も地元のダイエーさん(八王子店)が今年の2月に閉店になりました。その近隣にグルメシティさんが3店舗あるのですがダイエー八王子店は私も小さい時から買い物していたのでとても残念に思いました。
ダイエー志木店さんへは以前近くに用事があった時に利用した記憶があるのですが閉店になってしまったと聞くと寂しいですよね。
関東に限らず (わたる)
2015-04-26 23:23:21
八王子店もでしたか……。
ここ数年はご無沙汰でしたが、八王子店にも以前に3回ほど行ったことはあります。志木店よりも人口の多い地域の店舗なので、より洒落ていたように記憶しております。

今後は関東以外にも全国的に、同様の寂しさに包まれる地域が増えますね。まだ店舗のある地域の方は今のうちに、存分に満喫しておくとよいと思います……。

コメントを投稿