中郡道「なかごおりどう」とは、毛利輝元が広島城築城にあたり、吉田郡山城から広島までの、人や資材の往来のため三篠川沿いに整備したみちである。今回は安佐北区の深川から井原までのバスツアーに参加してみた。
中深川にある明光寺は、毛利氏の祈願所で薬師如来像は県有形文化財である、室町末期の作で思ったより大きく立派なものである。
狩留家の順正寺の石垣も城のようであり、甲斐の武田一族であり信玄の叔父、武田四郎尉重信が戦乱をさけ古城の館跡に隠棲し開基したとされている。
かるが薬師も行基作とも伝えられ、その霊験を手すすぎ石にも見られる。
狩留家から上深川への古道は、竹林の中を抜けて行くが茶屋跡らしき場所もある。
本陣であった黒川家の庭や建物も良く保存されていて、浅野の殿様の再三の来訪があり、御本陣の木札は文久の墨書きが見られる。
昼食は狩留家の集会所で、むすびと猪汁。
三田に入り、宮原観音として伝えられていた本尊は、帝釈天であると判明した。
最後の見学は志屋の出崎山神社、拝殿は県重要有形文化財、再建であるが室町時代の建築様式を今に伝えているとか。
古道を歩けば歴史が見える 今回はバスツワーで95名が参加された。
やはり時間的な関係で、多くの全ての史跡は廻れまかったが、各地元の郷土史研究家からの直接説明を受け、普段何気なく車で通り過ぎていた市内の歴史的価値を新たに認識できたは有意義であった。