朝礼の話題

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103歳になってわかったこと

2015-05-31 13:05:07 | 21世紀
103歳になってわかったこと
2015/06/01
 大正2年生まれの書道家、篠田桃紅さんの新刊の本です。
 103歳で、本を出せるとは、素晴らしいことです。
 私の母「キヨ」は大正3年生まれ、父「康亮」は明治45年生まれですから、同世代の両親の考えることのように感じます。
 この本を読んでいるわけではありません。新聞広告に、各章の題が書いてあって、見ていると「そうだなぁ」と納得するところばかりです。
 「自分の心が一番尊いと信じて、自分ひとりの生き方をする」
 100歳ともなれば、同世代の友人も亡くなり、場合によっては、子供たちに先立たれるかもしれません。自分ひとりで生きることを強いられます。
 自分ひとりで楽しみを見つけ、生きることを喜べる人生を悟らねばならぬ、と感じます。老人ホームで世話を受けるのではなく、通販などを利用しひとりでも生きられる力を持ちたいです。生きる喜びは、自分の心が満足していることです。自分の趣味や工芸など、満足できることと、健康な精神を私たち世代は育みましょう。
 「いつ死んでもいいなんて嘘。生きている限り人間は未完成」
 その通りでしょう。私は76歳になりましたが、気分は高校生の頃とまったく変わりません。若い頃には年寄は何でもわかっている経験者と尊敬していましたが、自分がその年になると、如何に何も知らないか、「心の赴くところに従って則を超えず」などないと感じています。新しいことを知ること、新しい判断方法、などを自分のものにすることは、楽しいことです。
「日々、違う。生きていることに、同じことの繰り返しはない。老いてなお、道なき道を手探りで進む」
 退屈している暇はありません。観察し、感じるだけでも、楽しいことです。
 庭の花、街路樹の色付き、新しい景色・建物・雰囲気。意識を向けると、生きている喜びが、飛び込んできます。無関心はボケの始まりかも?
 「運命の前では、いかなる人も無力。だから、いつも謙虚でいる。どんなに愛する人でも、いつ奪われるかわからない」
 自分も含めて、死神が何時捕えるかは、自分の力で、左右できません。現在日本では、天災であっても、管理者を追及し賠償金を払わせます。運命などというと笑われます。被害者は賠償の権利者として、強者です。裁判所も被害者の味方で、善悪の判断をしない日本国です。
 広告の文面を見て、以上の感想です。本も買ってみよう。
 馬鹿な人 103歳でも 馬鹿な人  103歳 年金局は 怒るだろう


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