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no rule, no theme, but bLog. by 渡邊明生

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『信者』の構造

2010-01-16 01:17:30 | miNdlog
「○○信者」という言葉をよく目にする。宗教の話ではなく、信仰の対象はアーティスト、アイドル、金持ち、キャラクター、メーカーやハードウェア、はたまた「W3C信者(HTMLをW3C(@Wikipedia)の提唱記法通りに書かないと怒る人)」のようなルールに至るまで幅広い。「信者」という言葉は偏狭さや固執、非信者に対する過剰に排他的な態度を小バカにした表現だ。

信仰の中で「人」を対象とする場合には「1:超絶的に素晴らしいから信者になる」タイプと「2:目指せばあの人のようになれるかも知れないから信者になる」タイプの二通りがあると思う。前者は対象とシンクロし得ないが故に信仰できる、という点で「非同期信者」、後者はシンクロを目的とした信仰という意味で「同期信者」と勝手に名付けたい。前者は健全だが、後者はけっこうツライ部分もあると思う。以下詳細。

■タイプ1:非同期信者 -超絶的に素晴らしいから信者になる-
これは単純で一般的ないわゆる信仰だ。自分の力ではどうあがいても届かない、雲の上の存在を盲目的に仰ぐ心理はごく健全で、むしろ信仰の定義と言っていい。
しんこう ―かう0【信仰】:神仏などを信じ崇(あが)めること。経験や知識を超えた存在を信頼し、自己をゆだねる自覚的な態度をいう。(cf. @goo辞書
神仏はもちろん、歴史に名を残すようなアーティスト、アスリート、科学者など、フツーの人との距離が断絶された不連続な存在はこうした健全な信仰の対象になり得る。また「絶対に届かない」という意味では、デフォルメされた歴史上の人物もこちらのカテゴリーに入れることができる。イチロー信者やビートルズ信者がそれほど小バカにされることはないし、龍馬信者もせいぜい「なんだ龍馬かぶれか」とお父さん犬にアクビされる程度だ。ミュージシャンへの「寄付」とか外タレの集金ツアーに「お布施」だ、なんてフザけて言いつつあんまり違和感がないのも似たような感覚だろう。

■タイプ2:同期信者 -目指せばあの人のようになれるかも知れないから信者になる-
殊ビジネスにおいて「成功者」と呼ばれる人物を盲目的に仰ぎ、彼らの本やセミナーでのメッセージを自己の理解で咀嚼することなく賛同し、かつそれを公言し、グッズを買い求め行動を真似るタイプの信者である。成功者当人がセルフプロデュースの一環として信者層を構築する場合もあれば、当人の意図によらずそうなっている場合もあるように思う。

非同期信者との決定的な違いは、信者になって信仰対象とシンクロすることによって「直接的な利益が得られる」つもりでいる、そういう前提がある、という点だ。投資対効果の「取引」を無意識に行っている、と言ってもいいかも知れない。賽銭に投げた額以上の見返りを神様からもらうことなど誰も期待しない(賽銭は通貨ではない)が、同期信者の場合は見返りが前提になっている。

ビジネスは因果的な連続性を持つ(とされている)システムだ。例えば、日常生活の時間を5%割いて本を読むと年収が10%上がります、という計測可能な因果関係でのみビジネス本は説得力を持ち得、信者を獲得することができる。成功者から提供された因果のロジックに共感すればするほど、因果的に自分も成功者になれると確信を持てる、要は自己を啓発することが可能となる(美容もこれと似ているが、カリスマへのシンクロはミュージシャンのライブにグッズのTシャツ着てく感覚に近い気がする)。

ところが「あの人」を完コピしたところで「あの人」にはなれない。何故なら成功者というのは乱暴に言えば「新しい因果律を生み出したから成功した」のであって、因果律に則ったから成功したわけではないからだ。同期信者は成功者が生み出した既定の因果律に則ってシンクロを図るため、従って論理的に「成功できない」ことになる。因果的に見えて実は不連続な境界があるからこそ形態が信仰に近くなるのだが、逆にその不連続な境界を因果的に越えられるのではないか、同期可能なのではないか、というモチベーションを付与できてしまうのがタイプ2の特徴であり、恐いところだ。

計測可能な因果律を「神」として操ると、言う通りに5%ルールを実践しても年収が10%上がらなかった信者に対して「あなたのケースは5%ではなく7%かも知れません」「こっちの本で書いた別のルールも同時に実行すべきです」と「神」は神であるが故にルール自体を変更でき、「信者」は信者であるが故にその変更を呑む以外の視野を持ち得ない。結局、責任の所在はどこまでも成功者ではなく信者側に帰結することになる。このスパイラルにハマると、因果的に到達可能なはずの成功のゴールに、自己責任において永遠に辿り着けない状態に陥る。仮に「神」が「私の言う事が全て正しいとは限りません」と言ったところで「全てが正しいとは限らない、ということは正しい」という認知的不協和の自己解消が続くだけだ。これってけっこうツライ状態なんじゃないかな。

かといってあんまり否定するつもりはない。むしろ実際には5%ルールで20%アップを果たす同期信者も大勢いることだろう。僕はその幸運を享受するチャンスに今のところ恵まれていない、とも言える(皮肉ではなく素直に残念だと思う)。

ちなみに音楽やってると絶対に同期信者にはなれない。音楽はマネとパクりから入るが、信仰してるアーティストの曲を徹底的に完コピしてみても、全く同じ音にはならない。不思議なことに多かれ少なかれ、コピった人間のオリジナリティがどうしても入り込んでしまう。ギターなどの演奏技術だけでなく、デジタルな打ち込みテクノでも同じことが起こる。殆どの場合、完コピしたはずなのに原本に比べて自分のは何故かダサい。最初は「プロは金のかけかた違うしな。機材とか」と思ってみるのだが、そのうち何かに気付く。

以前友達が見せてくれた「村上"PONTA"秀一」(日本の「神」ドラマーの一人。cf. @Official)の教則ビデオにミュージシャン仲間の飲み会みたいな映像が含まれていて、誰だか分かんないけどカメラに向かって「お前、PONTAになろうと思うなよ。お前はお前自身になれ」と笑顔で語りかけた言葉を、僕は忘れることができない。「神」と「信者」の理想的な関係を言い抜いた至言だと思う。
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