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3月24日上海列車事故。高知学芸高の修学旅行中の生徒教員など29人死亡(1988)

2013-03-24 | Weblog

1988年(昭和63年)3月24日に中国上海郊外で発生した急行列車同士による列車衝突脱線転覆事故である。修学旅行のため乗車していた日本の高校生が事故に巻き込まれ、多数の死傷者を出した。

この時期の中国の鉄道は急増する需要にインフラの整備が追いつかず事故が多発していた。同年1月には、鉄道事故が3件連続して発生し、合計で140名が犠牲になっていた。そのため、3月6日には中国鉄道省大臣が更迭されていた。また上海と蘇州の間の鉄道は中国有数の過密ダイヤで運行されていたにも関わらず、ATSが全く整備されていないなど安全性に問題があった。
 一行が乗車した311列車は、蘇州から杭州に向かうには運行上の都合から一旦上海で方向転換する必要があった。311列車は上海西郊の真如駅(現在上海西駅)で停車し、そこで機関車を切り離し、再び後部に連結し直し進行方向を変えた。そこから南翔駅まで逆行し、待避線で対向列車を先行させたあと、上海郊外を迂回するバイパス線「南新線」に乗り入れて、さらに京杭線に乗り入れ杭州に向かう複雑な列車運行を行う予定だった。待避線は上海駅から15km離れた封浜にあった。311列車は急制動をかけて停車寸前に再び動き始めた。だが、これは決められた停止位置をオーバーランしており、単線区間の本線に入っていた。そのため本来の停止位置から160m離れた地点で、15時20分頃に北上してきた長沙発上海行きの第208急行列車と正面衝突した。衝突の衝撃で208列車の郵便貨車が脱線転覆し、311列車の2両目に3両目が食い込んだ。
この事故では29名が死亡し99名が負傷したが、そのほとんどが大破した2両目に乗車していた高知学芸高校の修学旅行生一行であり、生徒27名と引率教諭1名が犠牲となり36名が負傷した。特に列車が食い込んだために破損がひどく、閉じ込められた乗客の救助は翌日まで掛かった。一行の大部分は3月26日に上海から高知空港に直行するチャーター便で帰国し、翌日、犠牲者27名の遺体は遺族とともにチャーター機で高知に帰った。後に重体の1名が死亡している。
中国当局の調査では、原因は修学旅行生を乗せた列車の機関士2名による信号の見落としとされている。そのため公式には鉄道信号無視による列車冒進による事故とされている。ただし事故直後には機関士がブレーキが利かなかったと証言している事や、真如駅で列車の方向転換のために機関車を付け替えた際にブレーキホースをきちんと接続していなかったうえに、ブレーキテストをしていなかったとの指摘を上海鉄路局の幹部が話している。この話が真実であれば、事故原因は駅構内の作業員の人為的ミスの割合が高くなる。しかしながら、詳細な調査報告は中国当局からなされていないため、不明である。
いずれにせよ、当時の中国鉄道は日常的なダイヤ遅れや、列車区ごとの縄張り争いや、鉄道労働者のモラルの低下、鉄道設備の立ち遅れなど様々な支障が生じており、安全性を省みない人為的なミスが事故に繋がった可能性がある。
なお、事故車両の機関士であるが、1988年9月22日に上海鉄道運輸中級裁判所で初公判から判決までを一日で行う集中裁判が行われた。被告人側弁護人はブレーキ故障説を主張したが、裁判の結果機関士の過失によって発生したとして日本の業務上過失致死傷罪に相当する「交通重罪」で有罪となり、機関士(当時45歳)は懲役6年半、機関助手(当時33歳)は懲役3年を言い渡されている。
中国側との事故に対する補償交渉は翌年1989年3月に妥結した。しかし、中国側との補償交渉は日本国の外務省が『基本的には中国と遺族との間の問題」として直接支援しなかったことや、当時の政治的問題や経済格差等のため難航した。また旅行会社からの補償は、同校の修学旅行はいわゆるツアー(企画旅行)ではなく、学校側の提案による手配旅行であり、法律上の補償義務はないとして別途かけていた海外旅行保険の給付しか行わなかった。また学校側と遺族との軋轢も後々まで残った。
 当初から物価水準が異なるために賠償金が低いことが指摘されていた。中国側は、中国人遺族との賠償金の差が中国政府の批判へと発展することを懸念した。日本側との補償交渉の席で、中国側は日中友好と云う言葉を何度もしきりに使いながら、精一杯の努力をしたとして決着に持ち込んだという。
1988年8月に訪中した竹下登首相に対し、中国の李鵬首相が「国情の違いを理解してほしい」と、日本並みの補償はできないとする基本的立場を伝えた。日本側が民事問題としている補償問題に対して、中国政府は介入する態度を示していた。このような対応に対し、当時の運輸大臣だった石原慎太郎は「被災者側弁護士によると中国は中国の示した条件で打ち切るといっているらしい」「これでは日本における中国の印象も悪くなる」と指摘した。東京にあった旧満州国の不動産売却によって中国政府が売却益を上げていることを引き合いに出し、そこから補償金にまわすべきだと述べた。
このような事情であるため、補償額の日中間の開きは大きく、第一回に東京で行われた交渉では、日本側は5000万円前後を示したが、中国側は一律31,500人民元(当時のレートで約110万円)であったという。第二回に上海で行われた交渉では、日本側も2100万円に引き下げたが、それに対する回答は220万円であった。この金額は1988年1月に重慶郊外で墜落した中国西南航空機事故で犠牲になった日本人技術者3人に対して提示された金額と同じであった。そのため中国側は、双方の事故補償とも同じ事故水準で解決しようとしていた。結局、中国側とは1989年2月26日に補償条件を受諾したが、その金額は未公表であるが、400~550万円の間、おそらくその中間であった。この最大額550万円は前述の重慶の事故の犠牲者の補償額である。海外で発生した事故で犠牲になった日本人に対する補償金としては、一切なしという事例もあるため、極端に低いものではないが、充分な補償ではなかった。
一方、学校側は1988年12月27日に「事故の法律的責任はない」とする通知を遺族に送付し、学校が支払うのは見舞金200万円を含め800万円とした。別途に学校に全国から寄せられた義捐金約2億7000万円を分配し、一人当たり800万円を支払うとした。また日本体育・学校健康センター基金から災害共済給付金として一律1400万円が支給された。これらを合わせて、学校側は3000万円弱を支払った。
旅行保険も含め、犠牲になった生徒の遺族に支給された金銭補償は4000万円前後である。同時期に高校で発生した事件や事故の補償と比較すると、その金額は低かった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/上海列車事故

他には---------------------------------------------

マネキン記念日

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芸予地震発生。(2001)
▲アップル社がMac OS Xの最初のバージョンをリリース。(2001)
▲ブータンの国民議会(下院)で、前年12月の国家評議会(上院)選挙に続いて初めて普通選挙による選挙(2008年ブータン総選挙)を実施。ブータン調和党が圧勝。(2008)

誕生:スティーヴ・マックイーン(俳優1930) 梶芽衣子(女優1947)
   島田紳助(タレント1956) 天野博之(俳優1970) タケホープ(1970) 
   ちはる(タレント1970) 原田泰造[ネプチューン](タレント1970)

誕生花:はなびし草 (California Poppy)   花言葉:希望

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