明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

菅首相の会食問題とメッセージの伝え方

2020-12-18 16:20:07 | ニュース

5人以上で会食したとして大騒ぎになっているが、問題の会食はそれほどリスキーなものではなく、国民の誤解だと首相は発言。これがさらなる批判を浴びて、マスコミの格好のネタになってしまった。問題のポイントはどこにあるのか?

そこで私のいつもの「論理的思考」で解析してみることにしたい。まず、「5人以上の会食は控えていただきたい」という西村大臣のメッセージは、コロナ対策としては、十分国民に意図が伝わっているのか、を中心に話を進めていく。

1、基本的な考え方
飲食は、マスクを外して口を開けることになるので、普段に比べて「飛沫を飛ばし、無防備になる時間」が飛躍的に増大する。だから、一人ひとりアクリル板で囲ったり、換気装置などの感染対策を十分に行っている店で会食しないと、リスクは上昇する。遮蔽物が無い場合には距離をとっているから大丈夫、というのはどうかというと、遠ければ大きな声を出さざるを得ないから余計飛沫が出て空中に漂うので、感染防止には余り効果はないだろう。それよりも「飲食する時以外」はマスク着用が必要、という意識が大事である。要は「静かな会話」を心掛けること。

2、多人数は宴会
静かな会話をするつもりなら、必然的に人数は3、4人ぐらいに限定される。家族や親しい友人との日常的な食事のイメージだ。それ以上の多人数になる場合というのは、基本的に「忘年会など、特別な会合や宴会・パーティー」ということになる。この場合は、非日常の状態で臨むので気が緩み、声も大きくなって「はしゃいだり騒いだりの躁状態」になりやすいし、むしろそうなることを求めているとも言えるからリスクは増える。また、普段余り付き合っていない人とも同席するので、中には無症状の陽性者がいる可能性や、ウィルス伝播の観点から日常の行動範囲を越えて人が交わることなど、感染リスクは格段に上がることになる。つまり「あぶない状況」を自ら作り出している、といえる。

3、リスク要因は「人数」ではない
菅首相が「国民の誤解」と発言したのは、人数は5人以上だったけれども「あぶない状況」ではなかった、という意味である。確かに正当な説明で、国民も納得するかと思ったら意に反して大炎上してしまった。こういう当たり前の説明が通らなくなっていることは、日本人のコミュニケーション能力が落ちたのか、あるいは「揚げ足取り」の悪しき習慣が国民全体に蔓延したのか、何れにしても由々しき事態だと憂慮せざるを得ない。政府も国民に向かって何かを伝える場合には、噛んで含めるように「事細かに箇条書きスタイルで」言わなきゃ分からない、となるのであろうか。世論が「4人」という数字にこだわって、我々は政府の言うことを守って我慢しているのに、トップの首相がそれを破っていいのか!というような「教条主義・内容無視」な言葉のアヤを言い募る「批判のための批判」に陥っているのが嘆かわしい。

4、事の本質を捉える
コロナから身を守るには、
a. 日常的に話す相手を少なく限定して、知らない相手や用のない相手とむやみに話さないこと。どうしても話をしなければならない時は、なるべく小さい声で、マスクをしっかり付けるなどの対策をとること。
b. 移動中は完黙。友人と歩く時は、なるべく顔を相手に向けないで話す。一緒にいても、LINEで話すのが良いかも。
c. 飲食は飛躍的に飛沫が飛ぶので、例え2人であっても「ハイリスク」と身を引き締める気持ちが大切だ。飛沫感染防止のリスクマネジメントとしては、最も「試される時」である。
d. 感染リスクは人ごとに違う。感染予防対策をしっかりしている人とルーズな人をよーく見分けて、ルーズな人にはなるべく近づかないこと。
e. 高齢者・基礎疾患のある人間は、特に慎重に行動を制限するべきである。私の考えでは、年金の下りる65歳以上の人は働かないでも暮らせるので「外に出ない」こと。外に出て感染すれば、医療を圧迫するのは目に見えている。逆に40代以下の壮年・若者は、積極的に活動して経済を盛り上げる原動力になって欲しい。
以上。そして不要不急の「イベント」は避ける、というのが「新しい生活様式」の基本だ。行動範囲を限定することが、感染防止の一番の対策である。

5、今後の政府の発表
いつも思うことだが、日本人は「意図を正確に伝えることが出来ない国民」である。国会答弁など、その一番の悪例だ。要は何をどうしたいのか、それを簡潔・具体的に言葉にする習慣が、日本人は苦手である。欧米言語では主語述語が最初に来る。そのあと形容詞や副詞やいろいろな説明がくっついてくる文法になっている。ところが日本語は、この主語述語が曖昧なまま周りの尾ひれが盛りだくさんに並んだ最後に、「やっと結論が来て、意図・内容が分かる」文法だ。中には結論を濁して「言外に匂わす気持ちを汲み取れ」とか「行間を読め」とか「紙背に隠された思いを感じ取れ」とか、訳のわからない表現形式を至上の文章と有難がる風潮が、一部の教養ある人々(特に国会議員)に未だに存在することが問題である。要は意図する内容を間違いなく伝えるというコミュニケーション技術の習得が出来ていないのだ。これは学校教育の問題でもある。小池都知事のスローガン連発に「中身がおろそかになっていないか」と批判が出ているように、感染症対策は「適切な行動を確実に行う」ことが大事なのだ。「命を守る行動を!」と100回言うよりも、「〇〇が原因だから〇〇してはいけない」と1回言う方が、「より的確」なのは当然である。この、シンプルで「的確な」感染対策マニュアルを作成する能力が、政府には求められている。特に「的確な」という点が、政府には掛けているように思う。政府は、国民を牛や羊の群れと思っているのか分からないが、「会食は4人以下で」というメッセージは、感染対策としては「的外れ」である。これを、私が提唱するような「感染原因とその防止対策」形式にしておけば、菅首相の会食はオーケーだった、と思うのだが後の祭りと言えよう。それにしてもマスコミやネットの反応が子供じみた低レベルで、それに謝罪しなければならない菅首相に、心ならずもちょっと同情してしまったのは遺憾である。この国のマスコミとか世論というのは、どこまで「他人のすることに文句いったり難癖つける」のだろうか。これはもう、単なる不平不満の解消でしかない「国民全員自粛警察状態」になっているのだ。正しい意見を言うのは大いに結構である。だが間違った事を「あーだこーだ、いちゃもんつける」のは、品性が下劣じゃないだろうか。まず順序としては、自分の行いから見直すのがいいと思うけど。


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