18年と5ヶ月一緒に暮らした愛猫ざくろが2016年10月4日に死んだ。
とても大事な猫だった。
親兄弟より長く一緒に過ごした猫だった。
唯一の家族だった。
そして私はペットロスになった。
通称、「ざくロス」である。
現在でも絶賛進行中のざくロスについて書いておきたいと思う。
怪談は死を題材とするものです。
不謹慎と思われることは多いし、「怖いから嫌」と言われやすい。
怪談には心を癒すという側面もあることを実感した。
ざくろが死んだ時にとても気になったのは「ざくろは幸せだったのか」でした。
看取ってやれることができなかったこともあって、負い目もある。
ざくろが私をどう思っていたのかが知りたいけど、死んでるし猫で人間の言葉は通じないし。
そんな時、火葬に来てくれた友人が言った。
「隣のマンションの前あたりから御線香の匂いしてたよ。ざくろが迎えにきてくれたんやね」
「私もー。お迎えありがとうって思った」
ちなみに私は感じてないです、鼻はいいのに。
遠方に住んでいる友人も「えらい影の薄い黒猫見かけたけど、あれはざくろだったんだねー」とLINEをくれた。
「子供が外に黒猫がいるって言ってたからざくろだと思う」と東京の友人も言っていた。
「夜中にライトもないところで光ってたけどざくろちゃんだったのかなー」
「普段見ない猫を見かけたからざくろちゃんだと思う」
「猫の気配したから飼い猫かと思ったけど違ったということが何度もあった」
フォロワーさんが話してくれました。
皆が「死んだけど居なくなった訳じゃないよ。大事に思われてるやん」いう話をたくさんしてくれたように思った。
偶然なことも多いだろうけど、ざくろが私を恨んでたり嫌ってたりしてた訳ではないということを感じられました。
フォロワーさんや友人のところにざくろがお邪魔していたのであれば、私を思ってくれてたのかなーと素直に思うことができました。
「幸せな猫だと思う」と言われると「猫に聞かなわからへんやんかー」と思ってしまうけど、幽霊ならそうは思えないものなのです。
私が自力で乗り越えられそうなレベルのペットロスで済んでいるのは、これがあったからだと思う。
「死んだ猫の姿や声を聞く」のはペットロスの症状の一つだけれど、自分以外の人が体験したことを話してくれることで納得することがある。
「死んだ後に挨拶回りに行くほどには大事に思ってくれてたんやな」
こう思うことで心が落ち着いたのです。
被災地に怪談が多いのは同じ理由なのだと思う。
亡くなった人が苦しくないか幸せだったのか、生きている人は知る術がなくて心に隙間が空いてくる。
その隙間をみっしりと埋めるのが怪談なんだろう。
自分が体験したことでないことの方が心を癒す効果は高いのではないだろうか。
「文学の極意は怪談である」と昔の文豪も言っているのは、無意識のうちに人が求めるものだからなのかもしれない。
人は死に別れることから逃れられないし。
だから私は怪談が好きなのだと思う。
もしペットロスになっている人の周囲の人が不思議な体験をしたら、是非その方に話してあげてください。
落ち着くきっかけになってくれるかもしれません。
とても大事な猫だった。
親兄弟より長く一緒に過ごした猫だった。
唯一の家族だった。
そして私はペットロスになった。
通称、「ざくロス」である。
現在でも絶賛進行中のざくロスについて書いておきたいと思う。
怪談は死を題材とするものです。
不謹慎と思われることは多いし、「怖いから嫌」と言われやすい。
怪談には心を癒すという側面もあることを実感した。
ざくろが死んだ時にとても気になったのは「ざくろは幸せだったのか」でした。
看取ってやれることができなかったこともあって、負い目もある。
ざくろが私をどう思っていたのかが知りたいけど、死んでるし猫で人間の言葉は通じないし。
そんな時、火葬に来てくれた友人が言った。
「隣のマンションの前あたりから御線香の匂いしてたよ。ざくろが迎えにきてくれたんやね」
「私もー。お迎えありがとうって思った」
ちなみに私は感じてないです、鼻はいいのに。
遠方に住んでいる友人も「えらい影の薄い黒猫見かけたけど、あれはざくろだったんだねー」とLINEをくれた。
「子供が外に黒猫がいるって言ってたからざくろだと思う」と東京の友人も言っていた。
「夜中にライトもないところで光ってたけどざくろちゃんだったのかなー」
「普段見ない猫を見かけたからざくろちゃんだと思う」
「猫の気配したから飼い猫かと思ったけど違ったということが何度もあった」
フォロワーさんが話してくれました。
皆が「死んだけど居なくなった訳じゃないよ。大事に思われてるやん」いう話をたくさんしてくれたように思った。
偶然なことも多いだろうけど、ざくろが私を恨んでたり嫌ってたりしてた訳ではないということを感じられました。
フォロワーさんや友人のところにざくろがお邪魔していたのであれば、私を思ってくれてたのかなーと素直に思うことができました。
「幸せな猫だと思う」と言われると「猫に聞かなわからへんやんかー」と思ってしまうけど、幽霊ならそうは思えないものなのです。
私が自力で乗り越えられそうなレベルのペットロスで済んでいるのは、これがあったからだと思う。
「死んだ猫の姿や声を聞く」のはペットロスの症状の一つだけれど、自分以外の人が体験したことを話してくれることで納得することがある。
「死んだ後に挨拶回りに行くほどには大事に思ってくれてたんやな」
こう思うことで心が落ち着いたのです。
被災地に怪談が多いのは同じ理由なのだと思う。
亡くなった人が苦しくないか幸せだったのか、生きている人は知る術がなくて心に隙間が空いてくる。
その隙間をみっしりと埋めるのが怪談なんだろう。
自分が体験したことでないことの方が心を癒す効果は高いのではないだろうか。
「文学の極意は怪談である」と昔の文豪も言っているのは、無意識のうちに人が求めるものだからなのかもしれない。
人は死に別れることから逃れられないし。
だから私は怪談が好きなのだと思う。
もしペットロスになっている人の周囲の人が不思議な体験をしたら、是非その方に話してあげてください。
落ち着くきっかけになってくれるかもしれません。