かばるあんぎん

まっ、人生いろいろあります。ゆっくりいきましょう、ご同輩!!

バザールでござーる

2011-10-30 17:12:46 | 無駄なお喋り

すっきりしないお天気の日曜、我が家のすぐ裏手にある小学校の創立100周年を祝して小学校と周辺5町会が共同主催したバザールのお手伝い。

我が町会の出し物は輪投げ。ひとり一回50円の輪投げで2万5千円のあがり、景品代を差し引いても1万5千円のもうけ、これを会議費用としてアタシを含む実行委員会メンバー四人は「地域性が教育におよぼす課題」について近所の居酒屋で酒の肴に舌鼓を打ちながら論議を交わすことにしたのでした。

しかし、子供たちから1万5千円を巻き上げてしまうのはオトナとしてのコケンにかかわる問題なので一人あたり2千円の8千円だけを会議費に充当し、残りの7千円は町会から東北大震災へ義援金として寄付することにしてオトナの威厳をかろうじて保ったのでした。

で、「地域性が教育におよぼす課題」はどうなったか? 
ま、どうせこちらは川向、教育には適していないよなあ、「あの空き家のボヤ騒ぎになったのはオイラたちのイタズラが原因」なんて、そんなツマラン子供の頃に犯したワルサの告白大会になったのでした。もちろん、ワタクシはそんな悪いことはしておりません。



コメント
この記事をはてなブックマークに追加

今年は甘いかな

2011-10-29 09:36:17 | 無駄なお喋り
街路樹もそろそろ秋色に染まる季節。
小さな庭の柿の木は食べ頃、今年は甘いかな。

なんて言うと風流だけど、今朝の東京は寒い!
寒さが苦手な歳になった。
ヒートテック、買ってこなくちゃね。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

バリ島の笑顔のこと

2011-10-28 06:38:56 | 海外編
世界のどこでも子供たちの笑顔は同じ...。といいたいところですけど、さてどうでしょうか?

バリ島の裏側にあるプムトゥラン村でオーストリラリア人の友人が経営するコテージへ遊びに行った時のこと。たまたまコテージの場所を訪ねた少年は、そのおじさんを知っているからとコテージまで連れて行ってくれたのでした。

アタシたちはえらく恐縮してお礼に「写真を撮ってあげよう」と言うと、その子は海のに向かい突然「アヨッー、アヨッー」と叫ぶと、海辺で遊んでいた素っ裸の少年たちがざわざわと集まってきました。あらから17、8年が過ぎて少年たちは青年と呼ばれる年頃になったことでありましょう。

この写真と今の日本の子供たちを姿をかさねて「本当の幸せって何だろう?」とアタシはつきなみですが、考えるのであります。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

コロンボで夕日を見たこと

2011-10-27 06:59:20 | 海外編




20分ほど走ったベモがとまったのは粗末な掘っ立て小屋が二、三軒ある淋しい海岸でした。アタシたちはまずビールを調達してから、再会を祝して乾杯をあげたのでした。椰子の葉の揺れる向こう側では、いかにもインド洋といったかんじの重量感のある波が赤茶けた難破船をごっくんと飲み込んでおりました。

波の後ろからオモチャのような小さなボートがあらわれたと思うとすぐに砂浜に着いて、ボートから降りた5,6人の漁師たちがコンクリートの台へ獲物を置きました。この人数でこの収穫ではちょと淋しいのでは、ないかと思ったのですが、コロンボの漁師たちは別に不満な顔を見せず淡々と、魚を買い付けに男たちから金を受け取り、そのままどこかへ行ってしまったのでありました。

ここの夕日はまたいかにもインド洋といった感じなのものであります。スリランカの太陽がインド洋の下へいやだいやだと沈み、それでもまだ水平線の下にから光を放ちながら未練タップリに一日を終える様子は、なんだかとっても不思議な光景でありました。なんとまあ、コロンボの日没は魂をゆさぶるのでありましょうか、タナカさんとアタシはこの日の二度目の乾杯をコロンボの夕日にしたのでありました。確かにここはコロンボでビールがいちばん美味しく飲める場所だったのでした。ここにアタシ招待してくれたタナカさんへお礼のビールを一本ごちそうしたのでした(感動ノワリニハ、コスイオ礼デスネ)。


その後、タナカさんはJICAの担当者とやはり折り合いをつけることができずに日本へ強制送還ということになったのでありました。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

コロンボで友人に会ったこと

2011-10-26 06:40:59 | 海外編
ビールがあれば他には何もいらないという人もいるのです

ブログネタがなくなると海外編へとなるのであります。

青年海外協力隊の応募人員が減少している、という話を以前に聞いたことがあるのですが、最近はどうなっているのでしょうか。年金も70歳から支給されることになりそうなこのご時世ですが、70歳以上の老人海外協力隊なんてものができたら応募したいと思うのですがどうでしょうかねぇ。

今から17,8年前のこと、スリランカへ派遣された友人でビールの大好きなタナカさんを尋ねた時のことであります。アタシの宿泊していたホテルにビールを片手にやってきたタナカさんは暑い国にいると美味しくビールが飲めるよ、と嬉しそうな話しておりました。

タナカさんは他人と折り合いをつけることがたいそう苦手で極端に無口なヒト。いわゆる人的コミュニケーション難ありタイプで、アツレキを起こしてしまう、という人なのです。この手の人が海外で働くとどうなるか、というと問題をおこさない、ということになります。つまり言葉が通じないのですから他人とコミュニケーションがないわけでして、だから問題は発生しないというわけです。しかし、付き合ってみると、なかなか味のある人でアタシはそんなタナカさんが大好きなのであります。

そのタナカさんがコロンボでいちばんビールを美味しいところを知っているというので、さっそく一緒に出かけることにしました。ホテルの前でタクシーを拾おうとすると、タナカさんがベーと呼ぶオート三輪が安いというのでそれに乗ってコロンボ一のビールを飲みに出かけることにしたのでした。 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

片道切符型老人海外協力隊

2011-10-25 06:17:33 | 海外編
マレーシア、コタバルの市場、ブログネタがなくなると海外編へとなるのであります。


本屋さんの文具コーナーではもう2012年の手帳が販売されてました。
2011年もそろそろな感じですが、これまで日本が曖昧にしてきたことに白黒をつけくちゃイカンという気分になった年、ということになるかもしれませんね。

でも、白黒つけるというのは日本人は苦手で間違いの元になりましょう、「まあ、いろいろあるけど、適当なところで...」というのがゆるい日本のとるべき道だとアタシは思うのであります。

日本は落ち目だというけど、ヨーロッパやアメリカなんてもっと落ち目なのじゃないでしょうか。不自由なく物を食べられて、充実の国民保険制度おかげで長生できて、老人が元気になって、その結果異常な高齢社会を達成できたのだから、と考えると今の姿はアタシたちの父親世代が終戦から頑張って完成させた理想型社会でありましょう。感謝の気持ちがわいてきます。

元来、日本は貧しい国で働かないと食べていけない国です。老後をゆっくりする余裕はないはず、だから働きたい人にははたらいてもらう。理想は「働きながら死ねる社会を達成する」やっぱり日本人ってこれですよね。

人口減少に起因して労働人口が不足するというなら高齢者は75歳以上として働かせれば労働力の問題は解決するはず。よいことづくめのようですが、老人が働くので生産能力は向上しない、つまり経済規模の拡大はない、というのが難点。でも老人はあまり金を使わないのでどうにかなるでしょう。それに外交面では年寄りを大事にする中国や韓国から尊敬されることは間違いない。老後は明るいぞ、ニッポン。(ホントカナァ?)

派遣先の国で骨を埋めるために70歳以上の片道切符型老人海外協力隊なんてものをひとつ作ったら応募したいと思うのですが、どうですか、ドジョウ総理様、ひとつ検討していただけませんでしょうか。



コメント (5)
この記事をはてなブックマークに追加

お茶の水

2011-10-23 07:37:11 | 千代田区
湯島聖堂のおとニコライ聖堂、ふたつの聖堂を結ぶ聖橋、土手の緑を映す神田川。JRお茶の水駅からの景観はいつみても美しいのであります。

伊達の殿様が徳川様の命をうけて駿河台を切り崩してできたのが神田川。ついでにもう少し高かった駿河台の山を崩して小川町の低地を埋め立て武家屋敷をつくったのでありました。

「小川町のあたりはすべて大小の武家屋敷で、町屋(まちや)は一軒もなかったのである。」 岡本綺堂著:半七捕物帳「歩兵の髪切り」半七捕物帳に江戸末期の小川町の武家屋敷の様子がくわしく描かれています。

明治時代になると岩崎弥太郎、加藤公明、西園寺公望など当時のそうそうお歴々が閑静なこのあたりを好んで宅を構えました。順天堂や医科歯科大など由緒ある病院が多いのも同じ理由からだということであります。

日曜日の早めの時間にお茶の水駅から、駿河台の坂をゆっくり下って神保町の本屋さんをぐるりと歩いた後のコーヒーは格別のものがあります。

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

ああ...

2011-10-22 15:52:34 | サラリーマン生活
湯島聖堂、学問の神様、孔子様を祀った聖堂

顧客折衝、各部門間調整、経営会議資料作成、役員説明、ムツカシイプロジェクトを進めるはめになりまして、このところよく働いているのであります。 「アアデモナイ、コオオデモナイ」と足りないアタマのなかでムツカシイ仕事に想いをめぐらしつつ、テキパキと音がするほど仕事しております。

世間ではウツが流行しているということですが、こんなことをしていてアタシもいつかは、なんて少々不安を感じてしまいます。毎日通勤で顔を合わせるサラリーマン諸氏、またはご同輩からするとこの手の話はごくあたりまえのことでありましょうから、「フン、まったく」と鼻で笑われることも承知しております。が、しかし、やはりアタシにとってはベリー・ヘビーなワークということになるのです。

しかし、こうゆう仕事をしていてつくづく思うのですが世の中の皆さんったら、頭脳明晰、高論卓説、知略縦横、当意即妙(タマタマ四字熟語辞典ガアッタモノデスカラ使ッテミタダケデス)つまりアタマがよくてキレモノだということなのですが、ついて行くのが大変であります。皆さんが一回の説明で終わるなら、理解力のないアタシには三回は説明が必要です。どうにかしてほしいです。

先日も「同様の結果になると思われる」なんてアタマを絞って報告書を作ると、これは「同様の結果となると思料」と生まれて初めて見る日本語で訂正されたのでありました。しかし「思料」なんて言葉がどうしてフツーに出てくるのでしょうかね、あの人たち。

きっと、あの人たちはアタシがビー玉やメンコにベーゴマで遊んでいる間にこっそり勉強していたのでしょうね。子供の頃にビー玉やメンコの勝負で常勝だったアタシは、これで人生は勝ったも当然と信じていたのですが甘かったです。騙されました。残念ながら人生はビー玉やメンコでいつまでも勝負できるものではなかったようです。


コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

お手紙書いた

2011-10-15 17:28:55 | 無駄なお喋り
初期の小腸癌で治療を続けていた知人から軽い調子で「完治したよ、よろしく!」ってメールを受け取った。

ヨカッタ、ヨカッタなのであります。
で、新しい絵の具も買ったし、ここはひとつ「おめでとうのお手紙を出そう」ということにしたのであります。でも、なんて書こうかしら、「もう秋ですね、お元気ですか?」「完治おめでとう、頑張ってください」「人間だものいろいろあるさ」...、どれもピンと来ないなあ。とりあえず「また、会いましょう」かな?、これじゃEメールでもいいような気もするけど。

手紙といえば、メールなんて無かった頃、絵はがきを買ったり、あるいは自分で絵を描いたりして旅先からよく手紙を出したな。夏休みでばらく会っていない友だちことを思いながら手紙を出すの楽しかったし、そんな手紙を貰うのも嬉しかったものです。手紙は人から手のバトンで目的の人に届くのがいいですね。手間と時間をかけてやってくる手紙を受け取った時、相手の顔が浮かんできますね。Eメールは便利だけどこうはいかないですね。昔は日本中どこにでも郵便局ありましたからできたのでしょうね。手紙を出しに寄る小さな町の小さい郵便局はとってもローカルな雰囲気が楽しかった。

郵便局といえば現金を持って旅行するのはアブナイからって、通帳とハンコをもって旅行する人も多かった。通帳とハンコを持って旅行するほうがよっぽど危ないと思うのですけど、ATMもコンビニも無かった頃の話です。

アレコレ考えると自分が思っている以上に世の中は進んじゃってるんですねぇ。
コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加

ネタがないので読書感想でも

2011-10-14 23:45:22 | 無駄なお喋り
忙しい今週は帰宅するとぐったり、ほんの少し残った気力で「月と蟹」道尾秀介著を読み終えたのでありますが、これがまたお話もぐったり疲れるお話なのでありました。

父親を亡くした慎二が引っ越したのは祖父昭三の家。小学校の友人たちに馴染めない慎二は同じ転校生の春也とヤドカリを生け贄にして願い事を叶える秘密の遊びを思いつく。そこにクラスメートの鳴海が加わり、たわいない遊びが徐々にエスカレートしていく...。

多感で繊細な慎二の心模様が少年らしくてイケテルではないですか、もしかして、さわやか系?読み進めていくと大間違いなのでありました。
慎二が引っ越して来る以前に昭三の漁船が起こした事故で死亡した女性が鳴海の母、慎二の母親と鳴海の父親は密会を重ねている、春也はDV犠牲者、いかにも「小説は事実よりも奇なり」という設定から生じるひずみが慎二の心のなかで大爆発。微妙なバランスで成立していた春也と慎二と鳴海の日常は破綻するのでした。読了後は疲労感たっぷりのちょと暗いストーリーでありました。いやはや疲れました。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加