旧奥州街道(松前道)の17回目は、「日詰~盛岡」です。
この区間は、2006/06/04に踏破しました。
旧街道記事の掲載ルールも併せてご参照ください。
日詰~盛岡間のルートマップはこちら。
その1
撮影は Canon PowerShot S80 です。
JR日詰駅を出、紫波運動公園を通過すると日詰宿。往時のたたずまいを残す建物がいくらか残ります。
…はい、写真は撮り忘れました…
日詰宿を出ると、街道は高水寺城跡(城山公園)のふちを回るように通り、国道4号に合流。
盛岡宿手前の川久保一里塚までひたすら国道4号をゆきます。
途中、JR矢巾駅に続く道との交差点の手前にある徳田小学校は、徳丹城跡です。
徳丹城は弘仁三年(812年)に時の征夷将軍・文室綿麻呂(ふんやのわたまろ)によって造られた律令制最後の城柵とされています。
広大な土地に城の遺構が復元されています。



さらに国道4号をゆき、うんざりしてきたあたりで国道4号と別れます。
その分岐点には川久保一里塚があります。三角州のあたりなので近寄りづらいです。

川久保一里塚から約1km、小鷹刑場跡があります。現在は供養塔が残ります。
刑場が街道筋にあるのは旅人への見せしめのためというのは全国共通。

明治橋を渡ると盛岡の市街地、そして盛岡宿。
雄大な岩手山が迎えてくれます。

ここで街道から外れて盛岡八幡宮と岩手護国神社へ。
盛岡八幡宮は盛岡の総鎮守とされています。

岩手護国神社は盛岡八幡宮のとなり。明治維新以降大東亜戦争(第二次世界大戦)の間に犠牲となった、岩手県に関係する人々の英霊を祀っています。

街道に復帰。上の橋を渡ります。

上の橋の擬宝珠(橋の欄干の飾り)は京都・三条大橋のものをモデルとしており、昭和20年に国の重要美術品に指定されました。

この日は泉神社(盛岡駅南の本宮にある神社)の祭典が行われており、お神輿の運行がされていました。

盛岡城跡に行きます。立派な石垣が印象的です。
盛岡城は盛岡藩主南部氏20万石の居城でした。

本丸と二の丸の間は橋でつながっています。

これは烏帽子岩。盛岡城の築城時に出てきたとされる大石で、城内の祖神さまの神域にあったことから以後信仰されるようになりました。

盛岡城跡の見物後、JR盛岡駅まで行って終了。
この区間は、2006/06/04に踏破しました。
旧街道記事の掲載ルールも併せてご参照ください。
日詰~盛岡間のルートマップはこちら。
その1
撮影は Canon PowerShot S80 です。
JR日詰駅を出、紫波運動公園を通過すると日詰宿。往時のたたずまいを残す建物がいくらか残ります。
…はい、写真は撮り忘れました…
日詰宿を出ると、街道は高水寺城跡(城山公園)のふちを回るように通り、国道4号に合流。
盛岡宿手前の川久保一里塚までひたすら国道4号をゆきます。
途中、JR矢巾駅に続く道との交差点の手前にある徳田小学校は、徳丹城跡です。
徳丹城は弘仁三年(812年)に時の征夷将軍・文室綿麻呂(ふんやのわたまろ)によって造られた律令制最後の城柵とされています。
広大な土地に城の遺構が復元されています。



さらに国道4号をゆき、うんざりしてきたあたりで国道4号と別れます。
その分岐点には川久保一里塚があります。三角州のあたりなので近寄りづらいです。

川久保一里塚から約1km、小鷹刑場跡があります。現在は供養塔が残ります。
刑場が街道筋にあるのは旅人への見せしめのためというのは全国共通。

明治橋を渡ると盛岡の市街地、そして盛岡宿。
雄大な岩手山が迎えてくれます。

ここで街道から外れて盛岡八幡宮と岩手護国神社へ。
盛岡八幡宮は盛岡の総鎮守とされています。

岩手護国神社は盛岡八幡宮のとなり。明治維新以降大東亜戦争(第二次世界大戦)の間に犠牲となった、岩手県に関係する人々の英霊を祀っています。

街道に復帰。上の橋を渡ります。

上の橋の擬宝珠(橋の欄干の飾り)は京都・三条大橋のものをモデルとしており、昭和20年に国の重要美術品に指定されました。

この日は泉神社(盛岡駅南の本宮にある神社)の祭典が行われており、お神輿の運行がされていました。

盛岡城跡に行きます。立派な石垣が印象的です。
盛岡城は盛岡藩主南部氏20万石の居城でした。

本丸と二の丸の間は橋でつながっています。

これは烏帽子岩。盛岡城の築城時に出てきたとされる大石で、城内の祖神さまの神域にあったことから以後信仰されるようになりました。

盛岡城跡の見物後、JR盛岡駅まで行って終了。































