一瞬に永遠が刻まれて

風景/鉄道/日本の旧街道の写真が中心のブログです。

旧奥州街道(松前道) 仙台(八乙女)~古川

2012-03-29 21:24:00 | 旧奥州街道
旧奥州街道(松前道)の11回目は、「仙台(八乙女)~古川」です。
この区間は、2006/03/18に踏破しました。

この回から松前道となります。
松前道には、交通の便のいい地点をつなごうとすると長距離行程を強いられる交通が不便な区間があります。
これからご紹介する仙台~古川~有壁もその1つです。
よって難易度高めなので、行程を組む際は入念に事前準備をされることをお勧めします。

旧街道記事の掲載ルールも併せてご参照ください。

仙台(八乙女)~古川間のルートマップはこちら。
その1
その2

撮影は Canon PowerShot S80 です。

市営地下鉄八乙女駅を出、ほぼ住宅地となっている七北田宿を通過。
東北道とクロスすると、東北マツダの手前に大清水石盥(せっかん)があります。
新妻豊前という武士が病気で倒れた家臣の喉を潤すために槍の先で岩を掘ったところ清水が湧き出したとされており、旅人の憩いの場となりました。


新規に造成された住宅地を抜け、国道4号を外れると富谷宿。打って変わって静かな旧宿場町の様相です。
かつては(先にある)有壁宿と同じような本陣があったとのことです。




再び国道4号に合流し、大きく左にカーブする手前に吉岡宿。
住宅地ですが、九品寺や吉岡八幡神社があります。

吉岡宿を抜けると山を回り込みながら工業団地のなかを行きます。
ここには旧道が埋もれているようですが、自分の足で歩くことはできませんでした。

工業団地を抜けると須木神社。源頼朝が陣を置いたことがあるそうです。




須木神社からひたすら北上し、豆坂を下って鳴瀬川を渡ると大豆坂地蔵尊。
明和2年(1765年)に死者の霊を慰めるため仙台広瀬川の巨石で建立された、高さ4メートルを誇る地蔵尊。
現在は延命・子育てのお地蔵さんとして信仰されています。
道の駅が隣接していますので、休憩にもよいでしょう。






大豆坂地蔵尊からも続けて北上し、JR古川駅を目指しました。
…地図をご参照いただければわかりますが、この区間は約38km(!)とかなりの長丁場。
身体能力に対して歩行距離がオーバーしていたため足を痛めてしまいました…
完治までには大分引きずりましたので、無理はいけないなぁ、と実感。

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旧奥州街道(仙台道) 岩沼~仙台(八乙女)

2012-03-26 23:59:00 | 旧奥州街道
旧奥州街道(仙台道)の11回目は、「岩沼~仙台(八乙女)」です。
この回で仙台道は完結となり、さらに北を目指す松前道に入ります。
この区間は、2006/03/05に踏破しました。

旧街道記事の掲載ルールも併せてご参照ください。

岩沼~仙台(八乙女)間のルートマップはこちら。

…どうにもこの頃は記録を残すことに熱心でなく、内容がウスい…
岩沼宿付近の様子はこちらの記事を、
仙台市街地の様子はこちらの記事にもう少し詳しく書いてありますので、合わせてご参照いただけると幸いです。

撮影は Canon PowerShot S80 です。

JR名取駅のやや南、増田公民館の前に衣笠の松があります。
「衣笠の松」の由来は、明治天皇ご行幸の際に休息された屋敷内にあったこの松を見た木戸孝允が呼んだ和歌「大君の立寄りましし影なれば衣笠の松とこそいうなかりけれ」とされています。


ここから一気に仙台の市街地にワープしてしまいますがw、JR長町駅を通過すると広瀬橋を渡ります。


街道は仙台の市街地を曲がりくねりながら進みます。
芭蕉の辻がある通町筋では市街地を南北に貫き、通町筋を北に突き当たると青葉神社。
伊達正宗が祀られており、(Wikipediaによると)美形な戦国武将が多数登場する「戦国BASARA」ファンの方の参拝も増えているとか。


青葉神社を後にし、市営地下鉄八乙女駅まで行きました。

その後仙台市街地に戻り、青葉城址を見学。やはり伊達正宗がシンボルですね。




青葉城址からは仙台市街地が望めます。遠くには太平洋も。


次回からはさらに北を目指して松前道をゆくことになります。
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旧奥州街道(仙台道) 白石~岩沼

2012-03-24 13:43:00 | 旧奥州街道
このところ、すっかり新幹線ブログと化していましたが…旧奥州街道を再開です。

旧奥州街道(仙台道)の10回目は、「白石~岩沼」です。
この区間は、2006/03/04に踏破しました。

旧街道記事の掲載ルールも併せてご参照ください。

白石~岩沼間のルートマップはこちら。
その1
その2

撮影は Canon PowerShot S80 です。

前回ちょっとしか見れなかった白石城を再訪問。現在の姿は1995年に復元されたものです。
白石城は伊達氏(白石氏)→豊臣氏(蒲生氏)→上杉氏→伊達氏(片倉氏)と城主の入れ替わりが激しかったお城です。また一国一城令でも仙台城と合わせて許された経緯も持っています。
では天守閣からの眺めをどうぞ。




美しい蔵王連峰もバッチリです。


白石城を後にして、旧小関家屋敷へ。1991年に白石市に寄贈され改修が行われました。
小関家は片倉家の家臣で、小関家の初代太右衛門元成は延宝8年(1680年)、12歳の時に白石に来て番士や奥方要人として活躍しました。


屋敷内ではかわいらしいおひなさまが出迎えてくれました。




白石宿を出、ひたすら北上し岩沼まで。途中桜で有名な大河原・船岡を通ります。
まだまだ冬で寂しいですが、満開になったら素晴らしいだろうなぁ、と思いました。






…そう思ったら行きたくなるのが人情というもの。4年後の2010/04/25に見に行きました。(リンク先の下の方にあります)

…この記事を書いていたら行きたくなってきました。
大河原・船岡の桜の満開時期は例年4月中旬ですが、今年(2012年)は桜の開花が遅めとのことです。2010年も遅かったですし、デジャヴ?
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Rebirth

2012-03-21 21:32:00 | 新幹線
ここしばらく追い続けた新幹線300系は表舞台から去っていきましたが…
まさかの再生もあります。

2012/03/17(土)付のダイヤ改正で、500系が岡山~広島間のひかり441号として運行され始めました。
500系は2010/02/28(日)に東海道を引退して以来、久々の定期優等列車への復帰です。
まさかの抜擢ですが、かつて500系のぞみを頻繁に利用した者としては、500系はやはり堂々と駅を通過していく姿が似合うと思います。
今回は撮影となりましたが、ぜひ乗ってみたいですね。
(九州新幹線直通用のN700系S・R編成が増備されるまでの期間限定のような気もしますが…)

そのほかにも山陽・九州新幹線の新たな主力となったN700系S・R編成に乗車したところいたく気に入ってしまっていたり、かつて通っていた山陽路を視点を変えてもっと知ってみたくなったり…
新たな出会いを求めて、この趣味を続けていきたいと思います。


JR山陽新幹線 新倉敷駅
Canon EOS 5D Mark II + EF 70-200mm F4L IS USM(100mm)
1/2000sec F4 ISO2500
2012.03.18
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ありがとう100系・300系(その3)

2012-03-20 22:34:00 | 新幹線
ありがとう100系・300系(その2)の続きです。

03/18(日)には大阪の鳥飼基地に寄り道しました。
東海道ラストランを飾ったJ57編成は、人目に付きにくい場所で静かに休んでいました。




これは大阪モノレールの車内から撮影。不鮮明になってしまっていますが、写真左側に300系がいるのがお分かりいただけると思います。


ここでは廃車準備が行われていたようで、そう遠くない日に廃車解体される運命となります。
ラストランの日まで使命を全うしたことをねぎらいつつ、鳥飼基地を立ち去りました。

最後はラストラン当日の記念品です。
まずは岡山駅で配布された記念ポストカード。100系と300系の簡単な歩みが書いてあります。


次に300系ラストラン列車の車内で配布された記念乗車票。
表面(上側)大津トンネルで撮影されたと思われる写真に最終運行列車の情報が書かれています。
裏面(下側)は300系の簡単な歩み(ポストカードとほぼ同内容)が書かれています。


※記念品は、大きく見えると問題かもしれないので拡大はできません。悪しからず…

デビューしてから多くの人々を乗せ続けた100系・300系。
たくさん利用された方も、あまり利用されたことのない方も、何がしらの思い出があるのではないでしょうか。
もう営業運転することはないと思いますが、その雄姿は名古屋のリニア・鉄道館等で見れますので、当時の思い出に会いに行ってはいかがでしょうか。
私は旧街道歩き等で旅行する際は日常的にこの2車種を利用していましたので、やはり感情移入してしまいますね。

それではお礼の言葉を送って締めたいと思います。
今まで、どうもありがとう。
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